富山の特派布教なのですが、先方の都合で2回に分けての巡回です。
今回が1回目。明日一日の教場です。
できれば少しゆっくりしたいところですが、帰って30日は松林寺の葬儀が2件あり、31日は師匠の1周忌法要です。
まあなんと、今月は色々な用事がありました。
こういう状態は、普通に言えば「忙しい」ということなのでしょうが、以前から、あまり「忙しい」という感覚がありません。
どんなに用事が立て込んでいたとしても、体は一つだから、二人分の用事をこなせるはずもなく、自分のできることを、自分のできる範囲でこなしているに過ぎません。
確かに、休み、というのはありません。しかし、半日でも何の用事もなく、ぼんやり過ごせる時間があったりすると、何をしていいのか「暇」を感じてしまいます。
嫌々仕事をしているのではないからでしょうか、休みを楽しみにするという期待はありません。何とお坊さんはありがたい仕事でしょうか。
今日13日は、盛岡マリオス大ホールにて「禅をきく会」でした。
1500名収容のホールでしたが、入ったのは750名ほどだということでした。
前半、古今亭志ん輔師匠の口演と高座、高座は人情噺の大ネタである「唐茄子屋政談」の一席でした。
志ん輔師匠は志ん朝師匠のお弟子さんなので、やはり志ん朝師匠のスジをさらっているなと思いました。
出番前に楽屋で挨拶をし、志ん朝師匠の大ファンであることを告げますと、いやぁまいったなぁというぐあいに頭を掻かれました。志ん朝師匠に比べられるのはやりにくいことだと察しました。
しかし、先日のさん喬師匠もそうでしたが、志ん輔師匠も、時計もみないのに終了時間がピッタリだというのには驚きました。
よほど体内時間の中でお話しをされているのでしょうね。
高座が終わって私の法話でした。
40分という限られた時間でしたが、言いたいことは言わせてもらいました。
大勢の前で話させていただくのは、最初緊張するのですが、だんだん快感に変わってくるのは偽らざる感情です。それはいいことなのか、気をつけるべきことなのか。
今日も4時ころに目覚め、顔を洗い頭を剃って、昨日の報告書を書き、日の出とともにブログを書いています。
昨日は特に疲れました。
暑さもあるのですが、午前の教場で、教場主が「高座を用意しましたので」ということで、思いもよらず高座説教となりました。
高座というのは、その名のとおり、高さ三尺あまりのところに半畳畳を敷いた説教台で、その上で坐禅を組んで話をするのが高座説教の形です。
今では授戒会以外ではほとんど行われない古い形の説教スタイルなのですが、おそらくは教場主がそれほどの気持ちで迎え入れてくれたのだと思い、断ることもできず、勤めさせていただきました。
なれない形での緊張感と、坐禅の位置が定まらず変なところに力が入り、そのまま1時間半という状況に、終わってホトホト疲れました。
でも、昨晩は静岡最後の夜ということで、シーラカンスさんと二人で蕎麦屋で一杯やりながら(シーラカンスは当然呑みませんが)ゆっくり話ができたことで、気持ちの疲れはとれました。
今日は最終日で、午前の教場が終われば山形に帰ります。
今回の巡回は、5日間で8教場、午前午後の1日2教場の日が3日もあり、それよりも何よりもこの暑さでなかなかハードでした。
こうやって、一日一日を一期一会の心持ちで過ごして、生きている喜びを感じていきたいと思います。
やりました。間に合いました。
昨日1日付けで「不幸」の連絡がなければ、帰ってからの葬儀に間に合うと思ってヒヤヒヤいました。
これで今日明日と2日間、安心してお勤めができます。
昨日は、この2日間の打ち合わせを兼ねてのご接待がありました。
その席に、私ともう一人の布教師(シーラカンス)の同安居(永平寺修行の同期)が訪ねてくれました。
その彼は、上山日が私より一日前でしたので、一番厳しい時期をほとんど同時に経験した仲でした。上山したてのころの様子は鮮明に覚えていて、同じ釜の飯の連帯感を味わいました。
もう一人、二人と共通の同級生という人もいたのですが、私にもその彼にも全く記憶がなく、やっぱり大学時代はお坊さんを避けて生活していたなと確認したことでした。
そういえば、静岡県に「尾羽(おばね)」という地名があって、もしかしたらこれも「尾花沢」の語源と同じくアイヌ語系由来かも、と思いました。各地を旅することの面白さですね。
日中の暑さで体力を消耗するせいか、夜になると8時ころには眠くなります。昨日も9時には寝てしまい、その分朝は5時前からぼんやり目覚め、顔を洗ったり頭を剃ったりして、こうして朝日とともにブログを書いたりしています。
静岡に来たら寄らなければと思っていた、シャンティ国際ボランティア会の前会長(現名誉会長)のお寺へ、昨夕時間が取れたので寄らせていただきました。
脳の病気をされてから、記憶と言葉に少し障害が残っていますが、お元気で、ご自分で何でもできるとのことでした。
ご家族と一緒に夕食をご馳走になり、方丈様と共に少しお酒もいただきました。
方丈様は、海外開教師として、28年間に亘り南米、北米、ハワイで生活されたため、二人のお子さんはハワイ生まれです。
昨日はたまたま、今ハワイで生活する娘さんが、間も無く3歳になるお子さん「智恵珠」ちゃんを連れて里帰りされており、智恵珠ちゃんを中心とした食事となりました。
智恵珠ちゃんは英語しか話せないのですが、家族全員が英語で会話できるのってすごいなと思いました。
「智恵珠」(ちえじゅ)は、耳で聞くと韓国女優の「チェ・ジウ」と同じに聞こえます。そんな意図はないそうですが。
本日、第一日目の布教教場が終わりました。
今晩も、昨晩に引き続きご接待があるようです。
ありがたいことではありますが、どちらかというと、我々はダシというかキッカケのような気もします。
今回は私ともう一名の布教師が同時に静岡地方を回っています。実はその方は、私と同い年、大学同級生、永平寺同安居、布教師養成所同期という奇遇の仲です。
とは言っても、同級生同安居であることを知ったのは、布教師養成所で会ったときです。
彼は、まじめが服を着て歩いているような学生でしたし、私はなるべくお坊さんとはかかわらないようにキャンパスを横切っていたような学生ですから、出会う機会もなかったのだと思います。
お酒を飲まない人なのですが、「飲めないの」と聞くと、「飲んだことがないから分からない」という答え。考えられません。「どうして飲まないの」。「師匠が飲んではいけないと言ったから」。アンビリーバボー。
それ以外にも信じられないことがいくつもある人で、私は密かに「シーラカンス」と呼んでいます。
しかし、養成所で机を並べているうちにお互いに興味を持ち、友達になりました。また今回こうして一緒の宿に止まって5日間を過ごすことができることは、さらにお付き合いを深くしていくことになるだろうとワクワクしています。
昨日から特派布教巡回で静岡に来ています。
今回は、今日から3日までの5日間で8教場を回ります。
この間「何も」ないといいのですが。
クーラーを入れて寝るのが嫌なので切って寝たのですが、夜中汗だくになって、たまらずスイッチを入れて寝ました。
今日からの法話の内容が気になって、明け方4時前にぼんやり目が覚めたので、風呂で汗を流しブログを書きはじめたところです。
法話も暑さも気になりますが、眠気がさしてきたので1時間ばかり横になります。
今日は尾花沢市寺内の東光寺さんのご本尊、薬師如来の60年ぶりのご開帳によばれて行ってきました。
行基菩薩の作と伝えられており、だとすれば1200年以前のものとなります。真偽のほどは定かではありませんが、古くからこの地にあって、この地の人々の信仰を集めてきたことは間違いないでしょう。
特に、現代と違って医者にかかるなどということがほとんどできなかった時代には、身心の病を救う仏として近郷近在から多くの参拝があったことだろうと想像されます。
今日も、この世で巡り会える最後の機会とて、本堂にあふれんばかりの人が参詣されました。
法話をする方も汗だくでしたが、参詣者の熱気はそれ以上で、一目ご本尊を拝みたいという熱い思いがあふれていました。
神仏を信仰する心は、まだまだ日本人の心に残されているようです。
昨日は日帰りで横浜の倫勝寺さんへ、施食会の法話でした。(倫勝寺さんについては、このブログに「さんぜ通信」としてリンクを貼っていますのでご覧下さい)
住職は河北町出身なので、これまでも何度かお邪魔しているのですが、今回は久しぶりのご依頼でした。
本堂は空調が効いていたので快適にお話しさせていただき、終わってから慰労会にも顔を出させていただきました。
こちらの護持会長さんは、大相撲武蔵川部屋の後援会長さんでもあり、もっぱら大相撲の話題でもちきりでした。
会長さんは、大相撲の存在の意義を熱っぽく語られました。
明治政府が武士を廃止して、断髪令を出し帯刀を禁止したけれど、士(さむらい)の形と心を残し伝えていくために、相撲取りだけは断髪にしなかった。横綱にも正式に帯刀を許した。
「力士」とは、武器を持つ士「武士」に対して、鍛え上げた体躯をもった士という意味だ。横綱の刀は、刃が上を向くように持っている。これは相手を切るためではなく、象徴としての刀だ。相撲は礼に始まり礼に終わる、士の心を後世まで伝える1380年の歴史のある神事なのだ!政府がこれを守らないでどうする!
う~ん、なるほど、勉強になりました。http://blog.goo.ne.jp/rinshou_2008/e/83fc7b55a5e1decb6bd5251a72d1be3c