なあむ

やどかり和尚の考えたこと

大震災 128 言論統制か

2012年05月10日 22時23分17秒 | 東日本大震災

千年に一度の津波。甚大な被害をもたらしました。

加えて、福島の原発事故は、これまでこの国の人々が被ったことのない大被害になっています。

事故によって放出されたセシウムの量だけをみれば、広島原爆の168個分だといわれています。

それ以外の違いもあるようですので、単純に比較できるものではないようですが、それにしても、60年以上経っても日本人の誰もが知っている、誰もが恐怖を感じる、あの広島の原爆よりも福島の原発事故が大きな事故であることを知っている日本人は何%いるのでしょうか。

しかも、たった一年しか経っていないのに、既に忘れ去られるような空気は、いったい何なのでしょうか。

肥田先生の本に書いてありました。

原爆投下後、広島に入ったGHQは、日本国民に原爆のことは人に話さないようにと、日本政府に厳命したとのことです。

アメリカとしては、初めて使った原爆の効果を他国に知られたくなかったという事情があるのでしょう。日本政府は、占領下ですから嫌とは言えない状況にあったのでしょう。

爆発によって直接死亡した人以外、直接や間接に被曝して時間が経ってから現れた症状については、原爆との関連性は全く無視されたとのことでした。

何かものを言う人は警察に連行されたということもあったようです。

そして、被曝者は、誰にも相談できず、診察も受けられず、差別的な扱いをされて、見捨てられたように死んでいったというのです。

まさか今の福島で同じようなことが起ころうとしているわけではないだろうと思います。

ないだろうとは思いますが、この大事故の重大さがあまりにも国民に知らされていない、たった一年でこれほど関心を薄くさせられている、そこには、何か意図があるのではないかと、思いたくなります。

どうも、真実は、知ろうとしないと知れないような状況にあります。

しかし、今は敗戦後の言論統制下ではありません。

知りたいことを知り、言いたいことを発言できる社会です。

まず知らなければなりません。

そして、知ったことは言わなければなりません。

福島を他人事のように眺めていてはいけません。

このまま、忘れ去られることを待っているような仲間になってはなりません。

な日本列の中に「福島」があります。

福島の幸せなくして、日本列島の幸せはありません。


大震災 127 内部被曝

2012年05月09日 22時44分54秒 | 東日本大震災

先日、河北町環境を考える会の総会で講演いただいた渡辺祥文さんから推薦された本のもう一冊をようやく読了しました。

肥田舜太郎著「内部被曝」。

肥田先生は、広島で自身が原爆に被爆しながら6000人の被爆者を診てきた医師で、現在95歳の現役です。

低線量の長期被曝が、高線量短期被曝よりもずっと怖い、だから、食物による内部被曝がとても危険であると力説されています。

広島の被爆者を多数診察してきた実績、また、チェルノブイリ、スリーマイル島の原発事故による放射能被害を詳しく分析されての発言は説得力があります。

広島で発症した「原爆ぶらぶら病」の現象が福島はじめ各地で起こるだろうと予測されています。

怖いことではありながら、これが現実なのだとすれば、まず、その事実を知り、受け止め、そこからものを考え、どう生きるかを対処しなければならないのだろうと思います。

そのためにも、多くの方が読むべき著書であるといえます。

特に、福島、原発を考える人は読むべきと思います。

扶桑社新書「内部被曝」肥田舜太郎著。


大震災 126 一心通心

2012年05月08日 16時22分08秒 | 東日本大震災

チーム21世紀文明の早坂文明さんは、

「チーム21世紀文明」というのは、まけない!タオルをきっかけにできたチームで、やなせななさんと三部で7×3=21、と早坂文明さんを加えてできた名前です。

その早坂さんが、大津波で壊滅してしまった自坊、徳泉寺の復興を発願して、「一心通心」という写経運動を始められました。

多くの方々の心を寄せ合わせ、心を一つにすることで、祈りの心は通じるという願いでしょう。

「はがき一文字写経」の賛同者第一号は永六輔さんです。

広く多くの方々のご参加を呼びかけておりますので、ご関心の方は以下のHPをご覧ください。

http://tokuhonji.jp/tokusenji/

チーム21世紀文明は、6月長野にお招きいただいています。

そのチラシが送られてきました。

まけない!タオル1000本が、来場者に配られることになっています。

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大震災125 気仙沼と最上町

2012年05月07日 19時23分11秒 | 東日本大震災

5月5日、山形新聞に記事が載りました。

気仙沼の集会場再建にあたり、最上町の大木が大黒柱として贈られる、という記事です。

震災後、気仙沼と最上町は、色々な交流を展開してきました。

その元々のきっかけは、気仙沼の清涼院住職と私が友人だったということにあります。

震災後私が真っ先に向かったのは清涼院さんでした。

抱き合って無事を確認し、ささやかな支援が始まりました。

それが元で、シャンティ国際ボランティア会現地事務所の用地として境内をお借りすることになりました。

息子陽堂がこの事務所で2ヶ月間ボランティアする間、被災家族と家族ぐるみのつきあいが始まったのです。

その後、最上町の温泉リフレッシュプランに訪れた家族は、姉のグループとも交流がはじまり、それがきっかけで、気仙沼漁師による震災後はじめての、復活「大漁唄い込み」最上町公演が実現したのでした。

更に、そこで出会った「黒澤餅搗き唄保存会」のメンバーとの交流も始まり、つながりの輪は益々大きく強くなっていきました。

そして今回、気仙沼市本吉町前浜集会所再建の計画の中で、最上町との交流の証として、大黒柱になる大木をいただけないかという打診が義兄にあったのです。

それは光栄のことと、町の木を探している中で、100年の杉の大木を寄贈したいという人も現れ、黒澤の神社境内のこぶしの大木と合わせて、2本の木を気仙沼に贈ることになった、という記事なのです。

震災支援を縁として、山と海の民が市民レベルで交流することが、今後長期に亘って約束されたような出来事となりました。

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大震災124 南相馬からの便り

2012年05月06日 11時14分20秒 | 東日本大震災

南相馬市原町区の高橋美加子さんにお会いしました。

クリーニング業を営む高橋さんは普通(?)の主婦ですが、原発事故以来、南相馬の現実を発信し、地域の人々と力を合わせて、現実に向き合い、そこでどう生きるかを模索し、先頭に立って活動を続けています。

昨年4月10日に発信された「南相馬からの便り」は、第1号「知ってください!」を皮切りに、今年4月19日に発信された「みんな共和国ができました」で第7号になりました。

「この地域はいまや、日本という国から抹殺されようとしていると感じる出来事が続いています」

「このごろ、カラスの姿が少ないよね。みんな浜に行っているみたいだよ。いまどき、鳥葬なんてむごすぎる」

「『我慢強い東北人に世界は感嘆の声をあげている』なんていわれると、バカヤロー!と叫びたくなります」

「今、私は声を出します。大きな声ではなく、心の底からの祈りの叫びです。原子力で電気を作るのは、もう、やめてください!」

「被災者は敗者ではなく、新時代の幕開けを告げる使命を持った勇者なのです。(つながろう南相馬!須藤栄治)」

そして、今年2月に開催され、1500人が参加した「南相馬ダイアログフェスティバル」で、「想いのツリー」に貼られたそれぞれの想いの中には子どもたちのこんな想いが・・・

「海や川で遊べるのはいつですか」

「20㎞内の動物のいのちはどうなりますか?」

「私たちが生きているうちに放射能問題はなくなりますか?」

「私たちは悪いことをしていないのに、なぜ同じ日本国民からまでも死の町などとよばれなくてはいけないのですか?中3」

「「将来、子供が産めますか?中」

「僕はいつまで楽しくいきられるでしょうか」

「じいちゃんちのすいかをたべてもいいですか」

そして、

私たちが望んでいた「普通の暮らし」とは「子どもの笑顔があふれる日常」だった。

と、述べています。

最後に「みなさん、南相馬に来てください!南相馬の若者たちに会いに来てください!」と結んでおられます。

大勢の、被災地外の人々と共感できればと思います。

「南相馬からの便り」は、高橋さんのお店のHP「北洋舎」から読めます。

http://www.hokuyosha.com/


大震災123 「フクシマ元年」

2012年04月25日 18時45分10秒 | 東日本大震災

先日講演をいただいた、渡辺祥文さんからご紹介いただいた本の一つ、フォトジャーナリスト豊田直己『フクシマ元年』(毎日新聞社)を読みました。

震災直後から被災地に入って取材を続けてきた1年間の記録です。

世界各地の紛争、イラクの劣化ウラン弾の取材をした著者の、偏りのない冷静な文章が一つ一つ腑に落ちます。

福島で何が起こったのか、何が起こっているのか、マスメディアでは報じられない、現場の生の様子が手に取るように分かります。

国は、原発を再稼働させることが最優先で、そのためには原発は安全であることにしなければならず、そのためには、現在それが原因で苦しんでいる福島の人々の様子を伝えることを極力押さえ込んでいるとしか思われません。

広島に落とされた原爆168個分のセシウムが放出されたといわれる、この国最大の事故も、知ろうとしなければ知り得ず、見ようとしなければ見えない、危機的な状況にあります。

もはや、知ろうとしないこと、見て見ぬ振りをすることは、「罪」だと言いたいと思います。

是非多くの人に読んでもらいたい、知ってもらいたいと希求します。

かき消され、押しつぶされてしまっているような福島の人々の叫び声に耳を傾けてください。

4月23日の朝日新聞連載「プロメテウスの罠」で、福島県浪江町赤宇木の男性が昨年11月、避難先から自宅に戻り、包丁で腹を刺して死んだことを取り上げました。

「あれの自殺は、最大の抵抗だ」 (長老)

「人間には、耐えられる限界というものがある」(馬場町長)

福島の人々にだけ苦しみを押しつけてはなりません。


大震災121 「うらやましい」

2012年04月22日 17時42分58秒 | 東日本大震災

昨日はもう一つ、会合がありました。

最上町の「NPO法人やまなみ」が企画しているこの夏の福島支援プログラム「福島っ子キャンプイン最上」の実行委員会です。

何度かの企画会議を経て、最終的な実行委員会には、福島側の共催「NPOりょうぜん里山学校」の代表、関久雄さんも同席されました。

お互いのアイディアとノウハウを出し合って具体的な詰めの打ち合わせでした。

プログラムは、8月1~6日の5泊6日、福島から35名の子どもたちを招いて青空と緑の高原で思いっきり空気を吸い思いっきり遊んでもらおうという企画です。

その延長線上には、放射能疎開の構想もあります。1年ないしはそれ以上、学童を最上町で山村留学のように受け入れようという考えです。

これが、福島の人々の切実な願いであるということも、関さんの話を聞いて分かりました。

さて、この企画の発端となったのは、関久雄さんの書かれた一遍の詩でした。

それはこんな詩です。

「うらやましい」

私はみなさんがうらやましいです。

マスクをつけずに空気を吸えることが。

私はうらやましいです。

家族や友人や地域の人と別れずに暮らせることが。

私はうらやましいです。

普通に野菜や魚、お米が食べられ、水が蛇口から飲めることが。

山や川で遊び、グラウンドをかけ回り、虫や犬や草や木にふれることができる。春は山菜をいただき冬には薪(まき)で暖をとる。落ち葉やわらでたい肥をつくり自然と共に暮らしていける「当たり前の暮らし」がうらやましい。

私はみなさんがうらやましいです。

子どもをたった一人で見知らぬ土地に送り出さなくてもいいことが。

避難をめぐって、「そんなこど、やっこどねえ!」と言い争い、家族がバラバラになることがないこと、家族、友だち、ふるさとを捨てなくてもいい暮らしのあることが。

でも、うらやましがっていても詮(せん)ないことです。

私と私の家族はそんな道を進んでいくしかありません。

どうか、できるところでかまいません。福島を助けてください。

そして、原発を止める動きに立ち上がってください。なぜなら、この日本列島に暮らす限り震災は免れません。

そして原発事故に備えてください。

家具は倒れないように。ガソリンや水、食料、合羽を用意してください。どこに逃げたらいいかを考え、線量計を用意してください。

必ず地震は起きます。10年後かもしれないし明日かもしれません。誰の上にも放射能は降ってきます。だから支え合う仲間とつながってください。

あなたとあなたにつながるすべての人を守るために、福島の教訓を生かしてください。

(2012年1月20日記す)


大震災119 そうまかえる新聞

2012年03月25日 17時13分11秒 | 東日本大震災

今年2月に、相馬市の今とこれからを伝えるコミュニティ・ペーパー「そうまかえる新聞」が創刊されました。

相馬市の現状、放射線測定値、放射線についてのQ&A、関連情報など、生の情報を伝えています。

創刊にあたっての思いを次のようにうたっています。

2011年3月。

わたしたちのまちも「被災地」になりました。

地震と、津波と、放射能。

今までフツーだったことがフツーじゃなくなって。

生きていくことの全部が不安で。タイヘンで。

でもそれでも

子どもたちを守りたい。

未来に希望を残したい。

そのためにわたしたちは生き方を「変える」。

まちをゲンキに「変える」。

壊れたものが汚れたものが元に「還る」ように。

好きだった場所に「帰る」ことができるように。

子どもたちに明るい未来を「返せる」ように。

ココロのたまごから希望が「孵る」ように。

「かえる」がピョコピョコ動き出したまちの

今とこれからを伝える

「そうま・かえる新聞」創刊します。

と。

なかなかスマートなスタイルで発信されています。

以下のサイトから読むこともできますが、インターネット環境の整わない方々にも届けたいということで、紙印刷をして配布しています。

http://soma-kaeru.com/

しかし、それにはお金がかかるということで、一口3000円のサポーターも募集しています。

チーム「まけない!タオル」も協力させていただくことにしました。

ご協力いただける方は以下まで。

郵便局から振込

口座/ゆうちょ銀行 記号/18290 番号/30483531 

口座名/そうまかえる新聞編集部

3000円で「そうまかえる新聞」が「買える」。


大震災118 福島に行こう!

2012年03月17日 21時56分22秒 | 東日本大震災

14・15日、久しぶりに福島に入ってきました。お寺さん数ヶ寺を訪ね、話を伺ってきました。

詳しくは、右のリンク「ほんとうの空」から入ってお読みください。

昨日16日は、気仙沼市登米沢地区の皆さん23名が最上町に来て温泉に泊まるからと、私と息子二人がお招きを受け一緒に泊まってきました。

一周忌が過ぎ、これから復興に向かっていこうと、心を一つにする意味で企画されたようでした。

わざわざ最上町までおいでいただくことはありがたいことです。

むしろ、こちらから被災地を訪ね、お金を使ってくる方が支援になると思います。

それは、福島でも感じたことです。

一泊飯坂温泉に泊まりましたが、温泉街は、寂しいほどです。

少しでもお金を落とそうと、一人酒盛りをし、一人カラオケを演じてきました。少しがんばりすぎて飲み過ぎました。

皆さん、福島に行きましょう。

仕事がなくては自立ができません。

福島の人々が働いて自立できるように、福島でお金を使ってきましょう。

歓送迎会、花見、観光旅行。飯坂、会津、ハワイアンズ、大内宿、見所もたくさんです。

もう成長の止まった年代であれば、何を食べても、何を飲んでもさほど影響はないでしょう。

「復興支援の旅」を企画しようかと考えています。

おじちゃん、おばちゃん、一緒に行きましょう。