なあむ

やどかり和尚の考えたこと

息子の修行

2009年03月29日 22時19分19秒 | 家族模様

永平寺の知り合いの役寮(永平寺に勤務する修行僧の指導役)から、息子の近況を知らせるハガキを二度いただいた。

一度目は、無事に旦過寮を終えて入堂した様子、元気に頑張っているという一報だった。二度目は、直堂(坐禅堂の当番の役)にあたって注意されていたという様子。おそらく何か失敗して(永平寺では「けちらし」と言う)怒られていたのだろう。その後、外単で二人きりになる機会があり、親元にハガキを出しておいたと声をかけたら涙ぐんでいたという報告だった。

そのハガキを見て私の母親は、一日泣いていた。

分からなくもないがちょっと違う。

息子は、おそらく、私の経験から言うと、修行がつらいからまたは里心がついて涙ぐんだのではない。

叱られ、怒られながら緊張の連続の毎日を送っていると、ちょっとした優しい言葉一つにも心がほろっとし、涙がこぼれてしまうものなのだ。おそらくはその涙だったろう。

ま、それだけの緊張の中にいるということではあるのだが。

優しい言葉一つに涙できるという経験こそは、貴重な修行の功徳だ。きっとそのありがたさを味わっているに違いない。


猫がきた

2009年03月21日 22時42分34秒 | 家族模様

息子が東京で飼っていた猫が、永平寺に連れて行くわけにもいかず、宿用院には既にやはり以前に息子が連れてきた一匹がいるので、結局松林寺であずかることになった。

猫は家につくというから、新しい家に慣れるかどうか心配したが、意外と好奇心が強いらしく、来るとすぐに全ての部屋を走り回り、こちらが振り回されるほどだ。

甘えん坊の性格らしく、人の姿が見えないと寂しくミーミーと泣きながら探し回る。

抱きつくわけでもないのに、側に人がいると静かに丸くなって眠っている。

今も椅子に座って安心して眠っている。

同じように、こちらも側にいるだけで何となく心がなごみ、安心している。

家に小さな命が同居しているのはいい。

ありがとう。


息子の永平寺上山

2009年03月07日 11時56分50秒 | 家族模様

愚息陽堂が永平寺の修行に旅立った。

今日は安下所(身支度を調える場所)である門前の地蔵院に一泊、明日永平寺山門の前に立つ。

寺の長男としての宿命で、物心ついたときから周囲が何を期待しているのかを痛いほど感じながら育つ。

自我に目覚めるにつれ、それは目の前にはだかる大きな障害として圧迫感を感じてくる。

「自分は何て不幸な星の下に生まれたのか」

「自分の将来、自分の仕事を自分で決められないなんて・・・」

と運命を恨む。その恨みは親に向かって向けられ、一切口をきかなくなる。というのは、私の場合だった。

幸い陽堂は、性格的なこともあり口をきかないということはなかったが、運命とどう向き合うかには相当悩んできたようだ。

紆余曲折がありながら、最後は修行に行くことを決め今日に至った。

決意してからの態度や顔つきが次第に変わってくるのが分かった。彼にとっては本当の意味での「出家」だったのだろう。

ここ数日の顔の変化にはハッとすることもあった。

覚悟を決めたときの顔というのは凛々しさを感じるものだと思った。

今陽堂は、明日の上山を前にして人生最大の緊張感を持って身構えていることだろう。

永平寺の修行は想像以上に厳しい。彼がどれほど最悪の厳しさを想像しようとも、それ以上に厳しいことは間違いない。

厳しさに耐えて頑張ろうとするとき、身を固くしてやり過ごそうとしてもだめだ。体も心ももたない。

今朝電話で最後に彼にかけた言葉「流れに抵抗してはだめだ。流れに身を任せてしまえば楽になる。」

道元禅師はこう示している

「ただわが身をも心をも、はなちわすれて、仏のいえになげいれて、仏のかたよりおこなわれて、これにしたがいもてゆくとき、ちからをもいれず、ここをもついやさずして、生死をはなれ、仏となる」と。

無事を祈る。