永平寺の知り合いの役寮(永平寺に勤務する修行僧の指導役)から、息子の近況を知らせるハガキを二度いただいた。
一度目は、無事に旦過寮を終えて入堂した様子、元気に頑張っているという一報だった。二度目は、直堂(坐禅堂の当番の役)にあたって注意されていたという様子。おそらく何か失敗して(永平寺では「けちらし」と言う)怒られていたのだろう。その後、外単で二人きりになる機会があり、親元にハガキを出しておいたと声をかけたら涙ぐんでいたという報告だった。
そのハガキを見て私の母親は、一日泣いていた。
分からなくもないがちょっと違う。
息子は、おそらく、私の経験から言うと、修行がつらいからまたは里心がついて涙ぐんだのではない。
叱られ、怒られながら緊張の連続の毎日を送っていると、ちょっとした優しい言葉一つにも心がほろっとし、涙がこぼれてしまうものなのだ。おそらくはその涙だったろう。
ま、それだけの緊張の中にいるということではあるのだが。
優しい言葉一つに涙できるという経験こそは、貴重な修行の功徳だ。きっとそのありがたさを味わっているに違いない。