なあむ

やどかり和尚の考えたこと

バカ肉

2010年01月17日 09時11分51秒 | 家族模様

先日足の爪が剥がれた時、中の肉がまだ完全にできあがっておらず、生のまま盛り上がっていた状態でした。

消毒しておけばそのうち乾くのだろうと思って、家にある消毒薬を塗って包帯を巻いて対処していました。

ところが1週間経っても改善せず、包帯を剥がすたびに血が吹き出るので、このままではだめかと思い、昨日ようやく医者に行ってきました。

医者は診るなり「バカ肉だね」と。

家の包帯は肉にくっついてしまうので、剥がすたびに皮が剥がれてまた肉が出てくる、それを「バカ肉」というようで、素人治療の浅はかさを知りました。

「餅は餅屋だからね」と先生。

しかし、肉にバカなものとそうでないものがあるとは知りませんでした。

その話を家内にすると、「あなたの肉でバカでない肉はあるの?」という厳しいお言葉。金太郎飴の如く、どこを切ってもバカ肉のような言われようでした。

少しぐらいはいい肉もあるんじゃないのと思いましたが、成人病のデパートのような内臓と、脂ぎった肉では、反論もできないとあきらめました。

Dvc00218 看護師さんはきれいに親指をデコレーションしてくれました。


2010年01月08日 11時59分00秒 | 家族模様

昨年、師匠の本葬の前々日、片付けものをしていて左足親指に重い物を落としひどい目に遭いました。病院に行って爪の上から針を刺して血を抜いて何とか本葬は乗り切ったのでした。

「爪も死んでいないようだし、このままで大丈夫でしょう」と医者もいうので、そのつもりでいましたが、ここ最近、爪の端から汁が出てくるような症状が出て、少し痛みも感じるようになっていました。おそらく爪が死んでいて剥がれてくるのではないかと思っていましたら、何と、昨日、パッカリと剥がれました。

昨日は葬儀もあって一日足袋を履いていました。夜に足袋を脱ごうとした時に、爪が足袋に張り付いているような感じがあったので慎重に脱ぎました。脱ぎ終わって指を見たら、爪がない!

エッと思って足袋の中を見たら、内側にペッタリとそのまま張り付いていました。

写真に撮って皆様に見てもらおうと思いましたが、グロテスクなのでやめました。

指には、新しい爪が2割ぐらいのところまで伸びてきていますが、あと8割は肉なので、ぶつかると少し痛みがあります。

爪は約1年で生え替わると聞いたことがあるので、2割の爪にも納得しています。

ということで、今しばらくは注意しながらの生活となるでしょう。

「雲水道中記」が終わってから、ブログに書くことに詰まっていたのでつまらないことを書いてしまいました。ご不快をお許しください。


何のための勝負

2009年09月02日 08時44分10秒 | 家族模様

選挙で勝つためには相手候補を落とさなければならないとしても、相手の非をあげつらい、マイナスを並べるのは如何なものか。

目的はこの国をよくするための選択であり、そのために人を選ぶのであるから、お互いに相手のマイナスを披露し合うのが国のためとは思えない。

同じことは家族の中でも言えることで、夫婦、親子が相手の悪い点を並べ合ったからといって、家族が崩壊することはあってもよくなることはないだろう。

相手の欠点を指摘して、更正を促すということはあるかもしれないが、マイナスは誰にでもあるのだから、自分の非を指摘されれば、どうしても相手の非も指摘したくなり、マイナスの数え合いになってしまうだろう。せっかくのプラスまでつぶされてしまう。

Ho3r1道元禅師はこう言っている

「他の人の間違いを見て、いけないと思い、慈悲をもって教化しようと思ったら、相手の人が腹を立てないように手段をめぐらして、他のことを言うようにして、教え導くのである」

道元禅師の修行道場においてもこのようであるのだから、一般社会においてはなおのこと、相手の気持ちを測りながらものを言う必要があるだろう。

家族の中での勝った負けたという勝負は全くの無意味だ。

今朝、家内と小競り合いをしてしまった反省を込めて。


余韻の酒

2009年08月20日 22時02分12秒 | 家族模様

今日の締めに冷や酒を一杯呑み始めました。

Dvc00154 この酒は、先日の残り物で、冷蔵庫の整理の意味もあります。

先日17日、久しぶりに家族で温泉に一泊しました。

庫裡の引っ越しからお盆へと、全く休む時間もなく過ごしてきました。陽堂も、長女の智花も帰ってきてお盆を手伝ってくれたので、久しぶりに家族でゆっくりしようということになりました。

近くの天童温泉のひなびた(あまり客のいない)宿に泊まって朝までのんびりしました。

その時に呑んだ四合瓶の冷酒が残っていたのです。寝酒にはちょうどいい量です。

息子も娘もそれぞれの場所に帰り、お盆の喧噪も過ぎ、通常の生活に戻りつつあります。

心配された稲の作も持ち直したようだし、まずは安心です。

もう少し呑みたいというところで止めておくのが健康にはいいことです。


寺の墓参り

2009年08月12日 18時11分18秒 | 家族模様

いよいよお盆突入です。

今年は引越もあったりで、突入前から疲れている状態です。

今日は、皆さんより一足早く松林寺の墓参り。歴代住職の墓や、寺族の墓、親戚、地蔵様、無縁墓など、11ヵ所を回ります。

Dvc00142 毎年姉の家族とともににぎやかに墓参りしていましたが、子どもたちがそれぞれ都合が出てきて、一人欠け二人欠けして、だんだん寂しくなりました。父親が元気な頃は、子どもたちにも太鼓や妙ハツ(シンバルのようなもの)を持たせて、笑いながらの墓参りでした。

家族にはこういう波がありますね。小さな子どものいない光景は、静かでもあり寂しくもあります。これも無常の風景です。

今晩は梅花奉詠のお盆供養です。檀家中の先祖と無縁の精霊にねんごろの回向をいたします。

お盆は、家族のあたたかさ、やさしさを思い出し、確認し、切なさの中に安らぎを感じる時間だと思います。

お年寄りと仏様を留守番にして遊びに出かけることのないように過ごしたいですね。


お盆のお勤めは

2009年08月05日 08時09分05秒 | 家族模様

宿用院の引っ越しのために、パソコンに向かう時間と体力がなく過ごしていたら、てきめんにこのブログへのアクセスが減ってきました。正直な結果ですね。

頑張って更新しなければなりません。

8月はお寺の繁忙期で、昨日も松林寺の法事の塔婆を30本書きました。

宿用院の方のお盆の棚経は陽堂に任せているのですが、永平寺から帰ってこれるかどうかは陽堂次第なのです。

というのは、1年目の修行僧がお盆に他出(僧堂から外に出ること)が許される条件として、朝課のお経を全部覚えることという修行僧間でのルールがあるからなのです。

陽堂が全部覚えられないと許可が得られないので、お盆には帰ってこれないのです。

20050813135704 その時は、私が、お盆が過ぎても回らせてもらうしかないと思っています。

陽堂は、今頑張って覚えているようなのですが、果たしてどうなることやら。


老師と北海道へ

2009年06月17日 09時31分35秒 | 家族模様

最近の動きをまとめて。

13日(土)松林寺大般若会、前大本山永平寺布教部長遠藤長悦老師に法話をお願いした。

14日(日)遠藤老師と北海道へ。二人とも以前布教巡回でお世話になったお寺の奥様のお参りに。思い出の場所である然別温泉の宿にも泊めていただいた。

Dvc00085 今から10年ほど前、遠藤老師と私は期せずして相前後してこの地区を布教巡回したことがあった。東根市関山から集団で開墾に移住した現在の新得町のお寺に泊めていただき、奥様に心のこもったご接待をいただいたことが心に残っていた。その奥様が42歳の若さで他界されたという噂を聞いてから、いつかお参りをと遠藤老師と話をしていたが、ようやくこの度実現できた。

方丈様もまことに堅い方で、5時間正座のまま御酒を召し上がるような、実直が衣を着ているような方。4年前に、いずれ北海道の文化財になるような立派な本堂を再建された。

遠藤老師は、私の次女「霧衣」の名付け親でもあるが、この度新たな事実を耳にした。ちょうど次女がお腹の中にいたときに遠藤老師が宿用院に来られ、その時に、もし生まれたのが男の子であったら命名して欲しいとお願いしていた。

生まれたのは女の子だったが、だからとも言えず、命名していただいた。因みに男の子だったらどんな名前を考えておられたのですかとお尋ねすると、「現成」とのことだった。

すごい名前だなと家族で話題になったが、実はもう一つ考えておられたことがこの度判明。その名は「大悲」。多くの人々の苦しみを受け止め救っていく慈悲心のことをさすが、当時の親がこの名前を受け止められたかどうかは微妙。

道元禅師の教えに由来する「霧衣」には心から喜んでいる。

いずれにせよ、いささか疲れてパソコンを開く力もなかった。


猫の飼い主

2009年06月10日 22時34分32秒 | 家族模様

息子から手紙が来た。先日永平寺で会えてうれしかったこと、親に会って帰りたくなったというようなことはないから安心して、というようなことが書いてあった。どうも家内が心配して手紙を書いたようだ。

猫の写真を送って欲しいということも書いてあり、元々の飼い主であるから当然かなと思った。写真だけでも癒されることがあるのだろう。

猫など何の役にも立たないように見えるが、その存在そのものが人を癒している。十分に価値のある存在だ。人間の赤ん坊だって、手がかかるだけで、何の役にも立たないといえる。何かの役に立つなどということは、あまり考えない方がいいのかもしれない。

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息子からの手紙

2009年05月17日 19時33分39秒 | 家族模様

Butuden 永平寺で修行中の息子から初めての手紙が来た。

お腹が空いていること、甘いものが死ぬほど食べたいことが書いてあった。

修行を経験した者はみんな同じ思いをするのだが、「お母さんの作ったまんじゅうの天ぷらが食べたい」などと書くものだから母親は泣いてしまう。

そんな中に、「永平寺に来て、ささいなことで涙が出るようになりました。いろいろな小さなことのありがたさを知りました」とも書いてあり、いい修行をさせてもらっているなと、うれしさも感じられた。

もう少し辛抱すれば体も慣れてきて、空腹感も落ち着いてくるので頑張ってもらいたいと願う。

月末、宿用院の団体で永平寺を参拝する予定なので、少し差し入れできるかと思う。


娘の誕生日

2009年04月29日 21時30分46秒 | 家族模様

今日は長女の22歳の誕生日だった。娘から父と母にメールが来た。

「ちかちゃんのお父さんお母さんになって22回目の誕生日おめでとう・・・」

確かに娘が生まれて娘の父と母が生まれた。

返信メールは

「誕生日おめでとう。「我が誕生日は母受難の日」、お母さんに感謝しなさい。今日29日は恒例の河北町仏教会の花まつり。智花の花は、たんなる花ではなく花まつりの花からつけたもの。唯我独尊の花だ。この世にたった一つの花を大切に」

久しぶりの陽気にさわやかな風が吹いていた。

お釈迦様の誕生も娘の誕生もどちらも同じぐらいありがたい。

お父さんは甘茶ならぬオチャケでかんぱい!