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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
ナマステー。無事に帰国できました。
前回、帰国が18日日曜日と言ってしまったようですが、昨日18日土曜日に帰国しました。
ネパール、すごい国でした。
まず驚いたのは、山。もちろんエベレストなどの山は有名ですが、国土の85%が山だといわれる国。国全体が山だと言っても過言ではない国。
その中で人々は暮らしていました。
今回訪ねたヌワコット郡というところは、私の近くで言えば、神室連峰のような山岳地帯、高度は2000メーター級ですが。
その全ての山肌、斜面がほとんど全部、段々田圃、段々畑である光景を想像してみてください。
斜面といってもかなりの急斜面ですから、田圃も畑も狭いものばかり、魚のうろこのような感じです。
その中に民家が点在して、へばりつくように暮らしていました。
おそらくこちらの人々は、里から上がって来たのではなく、元々山で暮らす人々だったのだろうと想像されました。
そして、どれ程の歳月をかけたか知れませんが、苦労の末にこのような光景を作り上げたものと感動しました。
その斜面を幹線道路がトラバースしています。
一応舗装はしていますが流れ落ちる水によってあちこちで路肩が崩れて、ガードレールもない、ようやくすれ違えるほどの幅の道を大型トラックが上り下りします。
当然のごとく、故障や事故で止まった車があちこちにあり、それにより大渋滞が引き起こされます。
そんな山を上って、山の学校に行きました。
元の学校が地震で倒壊し、竹の柱にシートをかぶせただけの仮校舎です。その脇に私たちの団体の支援で建設している新しい校舎を見てきました。
登校していた生徒は十数名、本来は65名いるのだけど、今日は雨で来られないとのこと。片道30分歩いて通学してくるそうです。
生徒に「家が壊れた人は」と聞くと、全員が手を挙げました。
早く新しい校舎が完成して、安心して学校に来られればいいですね。
屈託のない笑顔で見送ってくれました。
次に訪問したのは女性のシェルター。特に寡婦、未亡人の保護を目的としています。
というのは、この国では寡婦にとってとても厳しい現実があるのでした。
病気や事故、あるいは内紛によって夫を亡くした女性は社会や親戚からも忌み嫌われる存在とされ、色のついた服を着ることを控えなければならない、冠婚葬祭に出席できない、土地を持てない、婚家からいじめられる、実家や親戚からも邪険にされる、子どもにまで差別が及ぶと、とんでもない現実にあることを知らされました。
元々、125の民族があり、123の言語が存在するとされる国。さらにその中にカースト制度による上下があるという、誠に複雑な社会構造の中で暮らす人々。
他人がとやかく口を挟めるような状況ではありません。
それでもこの国の人々があっけらかんとして、明るく生きられるのは、諸行は無常であること、苦しみは常に繰り返しやってくるもの、他と比べても意味がない、という達観というか、哲学的な受け止め方が身に染みているからなのではないかと、人々の話を聞いて思いました。
そんな社会において我々にもできる支援がないかということで、学校建設と防災教育の支援を考えて、来年1月に活動をスタートさせます。
ネパールにはいろんな聖地があるのですが、その一つはヒンズーの聖地である寺院、ここがヒンズーの発祥の地ということで、毎年のお祭りのときは全世界からヒンズー教徒が集まるそうです。
また、火葬場にもなっていて、毎日たくさんの火葬が行われるようです。我々が訪れた時も、何体かのご遺体が焼かれていました。燃え尽きた?らしい遺体と薪は、煙の立ち上るまま川に投げ込まれていました。
もう一つはチベット仏教の寺院、こちらも大きなお寺で、たくさんのチベット仏教徒が周辺に暮らしているようでした。
そうして、もう一つ忘れてならないのは、仏教の聖地ルンビニー。
お釈迦さま生誕の地です。併せて、お釈迦様が29歳まで暮らした、カピラバストゥーのカピラ城も訪ねてきました。
お釈迦様が悩んだ末に出家されたとされる東門の跡も発掘されていて、お釈迦様の発心のお心に思いを馳せてみました。
ある意味、生誕の場所より意味があると思いました。
ということで、長くなってしまいましたが、この1週間のネパール視察の様子でした。
今日はこれから高知に出かけます。
今週はここまで。
また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
ナマステー。無事に帰国できました。
前回、帰国が18日日曜日と言ってしまったようですが、昨日18日土曜日に帰国しました。
ネパール、すごい国でした。
まず驚いたのは、山。もちろんエベレストなどの山は有名ですが、国土の85%が山だといわれる国。国全体が山だと言っても過言ではない国。
その中で人々は暮らしていました。
今回訪ねたヌワコット郡というところは、私の近くで言えば、神室連峰のような山岳地帯、高度は2000メーター級ですが。
その全ての山肌、斜面がほとんど全部、段々田圃、段々畑である光景を想像してみてください。
斜面といってもかなりの急斜面ですから、田圃も畑も狭いものばかり、魚のうろこのような感じです。
その中に民家が点在して、へばりつくように暮らしていました。
おそらくこちらの人々は、里から上がって来たのではなく、元々山で暮らす人々だったのだろうと想像されました。
そして、どれ程の歳月をかけたか知れませんが、苦労の末にこのような光景を作り上げたものと感動しました。
その斜面を幹線道路がトラバースしています。
一応舗装はしていますが流れ落ちる水によってあちこちで路肩が崩れて、ガードレールもない、ようやくすれ違えるほどの幅の道を大型トラックが上り下りします。
当然のごとく、故障や事故で止まった車があちこちにあり、それにより大渋滞が引き起こされます。
そんな山を上って、山の学校に行きました。
元の学校が地震で倒壊し、竹の柱にシートをかぶせただけの仮校舎です。その脇に私たちの団体の支援で建設している新しい校舎を見てきました。
登校していた生徒は十数名、本来は65名いるのだけど、今日は雨で来られないとのこと。片道30分歩いて通学してくるそうです。
生徒に「家が壊れた人は」と聞くと、全員が手を挙げました。
早く新しい校舎が完成して、安心して学校に来られればいいですね。
屈託のない笑顔で見送ってくれました。
次に訪問したのは女性のシェルター。特に寡婦、未亡人の保護を目的としています。
というのは、この国では寡婦にとってとても厳しい現実があるのでした。
病気や事故、あるいは内紛によって夫を亡くした女性は社会や親戚からも忌み嫌われる存在とされ、色のついた服を着ることを控えなければならない、冠婚葬祭に出席できない、土地を持てない、婚家からいじめられる、実家や親戚からも邪険にされる、子どもにまで差別が及ぶと、とんでもない現実にあることを知らされました。
元々、125の民族があり、123の言語が存在するとされる国。さらにその中にカースト制度による上下があるという、誠に複雑な社会構造の中で暮らす人々。
他人がとやかく口を挟めるような状況ではありません。
それでもこの国の人々があっけらかんとして、明るく生きられるのは、諸行は無常であること、苦しみは常に繰り返しやってくるもの、他と比べても意味がない、という達観というか、哲学的な受け止め方が身に染みているからなのではないかと、人々の話を聞いて思いました。
そんな社会において我々にもできる支援がないかということで、学校建設と防災教育の支援を考えて、来年1月に活動をスタートさせます。
ネパールにはいろんな聖地があるのですが、その一つはヒンズーの聖地である寺院、ここがヒンズーの発祥の地ということで、毎年のお祭りのときは全世界からヒンズー教徒が集まるそうです。
また、火葬場にもなっていて、毎日たくさんの火葬が行われるようです。我々が訪れた時も、何体かのご遺体が焼かれていました。燃え尽きた?らしい遺体と薪は、煙の立ち上るまま川に投げ込まれていました。
もう一つはチベット仏教の寺院、こちらも大きなお寺で、たくさんのチベット仏教徒が周辺に暮らしているようでした。
そうして、もう一つ忘れてならないのは、仏教の聖地ルンビニー。
お釈迦さま生誕の地です。併せて、お釈迦様が29歳まで暮らした、カピラバストゥーのカピラ城も訪ねてきました。
お釈迦様が悩んだ末に出家されたとされる東門の跡も発掘されていて、お釈迦様の発心のお心に思いを馳せてみました。
ある意味、生誕の場所より意味があると思いました。
ということで、長くなってしまいましたが、この1週間のネパール視察の様子でした。
今日はこれから高知に出かけます。
今週はここまで。
また来週お立ち寄りください。