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三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
3月12日日曜日、昨日はいわゆる3.11でした。
各地でいろんな催しが行われたようですね。
私は寺で一人鐘を撞き手を合わせました。
我が同級生の勝明君は、去年に引き続き「忘れ米」を作りました。
去年は、被災地以外の皆さんに、「忘れないでいようね」という願いで、310g入りの米と1gのローソク1本をつけたものを311個作って配りました。
その企画を聞いて「忘れ米」というネーミングと趣意書を提供しました。
「今年もやりたいんだけど、今年は31.1㎏の米袋で被災地に贈りたい」ということで、米袋に張り付けるラベルを作りました。
それにはこう書きました。
……………
言葉を失った
心が痛かった
何度も涙を流した
命が締め付けられた
あの日から6年を迎えます
時間とともに 忘れていくのは 自然なこと
でも 忘れてはいけないこともある
未来のために語り継いでいかなければならないことがある
いや 今も 困難な中に暮らす人がいる
故郷に帰れない人がいる
忘れられることは見捨てられること と感じる人がいる
だから 忘れ米(まい)
忘却の自然に抗いたい
米を噛みしめて 心に刻みたい
米は 俳人の黛まどかさんと一緒に作った
もがみ源流米 「夢まどか」
31.1kg心を込めて詰めました
一つのおにぎりを分け合って食べた あの日の記憶を語り
心に刻み 語りつないでいただければ・・・
それが私の願いです
米提供 農家 奥山勝明
……………
米は南相馬に送り、これから大船渡に持って行くようです。
こんな文章を書いておきながらなんですが、この日だけ「忘れない」というのではあまり意味がないと思います。
被災地は毎日が被災地なのですから。
忘れてしまうのは被災地じゃない人たちで、この日だけ思い出して被災地に押しかけて迷惑をかけるのもなんだかなあと思ったり、マスコミが免罪符のようにやおら報道するのもどうかと思います。
でも、「今でも12万人以上が避難生活を…」などというニュースが流れて、被災地の苦労を慮ってくれるきっかけになれば、少しは意味があるかなと思います。
被災地の住職さんが言っていました。
「3月に入るとお檀家さんの7回忌法要が毎日びっしり入っているよ」。
合同供養というのもあるのだと思いますが、家族は自分の家族の法事をキチンと努めたいという思いがあるのです。
命日の前にという思いがあるからどんどん前に詰まってくるのでしょう。
同時に何万人が亡くなろうと、自分の親は自分の親、自分の子どもは自分の子どもであって、誰とも同じではない。誰とも比べられない。
孫であったり、おじいちゃんおばあちゃんであったり、兄弟、友人であったり、かけがえのないという意味では、いつ、どんな亡くなり方をしたかは関係がない、そんな問題ではありません。
親を亡くした喪失感、子どもを失った喪失感は、個人個人、一人ひとりの問題であって共有できるものではありません。
数万人の喪失感が同じ日に重なっているというだけのことです。
亡くなられた方々の菩提寺の和尚さん方は、それぞれお一人お一人に寄り添って、丁寧に読経してくださったことと思います。
6年、7回忌。これが「もういいだろう」などという被災地以外の人々の勝手な心の区切りにならないことを願うばかりです。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。
三ちゃんの、サンデーサンサンラジオ!
今週もはじまりましたサンデーサンサンラジオ。
お相手は、いつもの三ちゃんこと三部和尚です。
3月12日日曜日、昨日はいわゆる3.11でした。
各地でいろんな催しが行われたようですね。
私は寺で一人鐘を撞き手を合わせました。
我が同級生の勝明君は、去年に引き続き「忘れ米」を作りました。
去年は、被災地以外の皆さんに、「忘れないでいようね」という願いで、310g入りの米と1gのローソク1本をつけたものを311個作って配りました。
その企画を聞いて「忘れ米」というネーミングと趣意書を提供しました。
「今年もやりたいんだけど、今年は31.1㎏の米袋で被災地に贈りたい」ということで、米袋に張り付けるラベルを作りました。
それにはこう書きました。
……………
言葉を失った
心が痛かった
何度も涙を流した
命が締め付けられた
あの日から6年を迎えます
時間とともに 忘れていくのは 自然なこと
でも 忘れてはいけないこともある
未来のために語り継いでいかなければならないことがある
いや 今も 困難な中に暮らす人がいる
故郷に帰れない人がいる
忘れられることは見捨てられること と感じる人がいる
だから 忘れ米(まい)
忘却の自然に抗いたい
米を噛みしめて 心に刻みたい
米は 俳人の黛まどかさんと一緒に作った
もがみ源流米 「夢まどか」
31.1kg心を込めて詰めました
一つのおにぎりを分け合って食べた あの日の記憶を語り
心に刻み 語りつないでいただければ・・・
それが私の願いです
米提供 農家 奥山勝明
……………
米は南相馬に送り、これから大船渡に持って行くようです。
こんな文章を書いておきながらなんですが、この日だけ「忘れない」というのではあまり意味がないと思います。
被災地は毎日が被災地なのですから。
忘れてしまうのは被災地じゃない人たちで、この日だけ思い出して被災地に押しかけて迷惑をかけるのもなんだかなあと思ったり、マスコミが免罪符のようにやおら報道するのもどうかと思います。
でも、「今でも12万人以上が避難生活を…」などというニュースが流れて、被災地の苦労を慮ってくれるきっかけになれば、少しは意味があるかなと思います。
被災地の住職さんが言っていました。
「3月に入るとお檀家さんの7回忌法要が毎日びっしり入っているよ」。
合同供養というのもあるのだと思いますが、家族は自分の家族の法事をキチンと努めたいという思いがあるのです。
命日の前にという思いがあるからどんどん前に詰まってくるのでしょう。
同時に何万人が亡くなろうと、自分の親は自分の親、自分の子どもは自分の子どもであって、誰とも同じではない。誰とも比べられない。
孫であったり、おじいちゃんおばあちゃんであったり、兄弟、友人であったり、かけがえのないという意味では、いつ、どんな亡くなり方をしたかは関係がない、そんな問題ではありません。
親を亡くした喪失感、子どもを失った喪失感は、個人個人、一人ひとりの問題であって共有できるものではありません。
数万人の喪失感が同じ日に重なっているというだけのことです。
亡くなられた方々の菩提寺の和尚さん方は、それぞれお一人お一人に寄り添って、丁寧に読経してくださったことと思います。
6年、7回忌。これが「もういいだろう」などという被災地以外の人々の勝手な心の区切りにならないことを願うばかりです。
今週はここまで。また来週お立ち寄りください。