なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ297 シロクマ

2021年01月17日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ、第297回。1月17日、日曜日。

雪がけっこう積もりました。
降った次の朝は、除雪に山門の前に1時間山門内に30分の時間がかかります。
もちろん除雪機ですが、飛ばす場所がどんどんなくなってきて大変なことになります。
更には、屋根から落ちた軒下の雪を飛ばさないとくっついてしまうので、除雪機で周囲を廻らなければなりません。
ガソリンもかなり使います。ディーゼルだとそれほど燃料を食わないと聞いていますが、ウチのはたまたまレギュラーガソリンなのですごいです。
丸1日動かすと10ℓは空になります。今季これまで100ℓは使っています。
雪の降らない所はこういう苦労が全くないんだなと思いますが、雪景色の美しさは苦労を忘れさせます。

 自分が楽に生きられる場所を求めたからといって後ろめたく思う必要はありませんよ。
 サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。
 シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、だれがシロクマを責めますか。(梨木香歩)

楽だと思う場所に住めばいいですね。
雪国は大変だから雪のないところへ、いいと思います。
でも、そこが本当に楽なところか、それは別問題です。
あとは、住んだ場所でどう快適に暮らすかだと思います。
私にとっては、雪と青空のコントラストの美しさを見るだけで幸せに感じます。世の中にこの色の組み合わせ以上の美しさがあるでしょうか。
高校の山岳部時代、雪山に登った時、顧問の先生が「きれいだねーこの雪肌、吉永小百合みたいだ」と感嘆したことがありました。
吉永小百合かどうかは好みの問題として、もちろんきれいですが、その時の雪の景色が感嘆するほどきれいだったことは同感でした。
何も苦労ばかりが移住の理由にはならないと思います。
苦労以上の喜びや、居心地の良さはその人なりの受け止め方です。楽なことだけが幸せの条件ではないからです。

ブログで自伝『義道』を書き始めました。
以前に、父親の生涯をその幼名で『千代亀(ちよき)』としてまとめました。父の死後7年の時でした。
今書いておかないと父の人生の悲哀を知る人がいなくなってしまうと思って書き残しました。
分からないところを聞こうにも、当時を知る親戚も既に間に合わなかったりして、もう少し早ければと悔やんだりしました。
だとするならば、自分もいつどうなるか分からないのだし、書けるうちに書いておいた方がいいと思い立ったのでした。
去年は暇で時間はたっぷりありましたから、少しずつ書き進めてきました。
一応まとまったので細切れにUPし始めたところです。毎週水曜日の朝にUPします。
思い出しつつ書き始めて、今自分がどうしてこうしてここに生きているのか、それが分かるように思いました。
過去は思い出さない方がいい、過去など思い出したところで何の役にも立たないというのが言わば持論ですが、子孫のためと思って書いてみて、過去の自分を見つめることは今の自分を顧みることでありました。
そして、自分の傲慢さにも気づきました。
我ながら性格がよくないですね。顔がよくないのは性格から来るのでしょう。
誰からも好かれるような、性格のいい人がうらやましいです。
色々なシーンが甦って、そのたびに自己嫌悪に陥ります。だから思い出したくないのです。
暇だから過去を振り返り自己嫌悪に陥っていた若い頃を思い出し、だからねと、独り言ちしています。
自伝として、書くには書きましたが、思い出しながらも書かないで隠しているところはたくさんあります。
なので、告白文でも懺悔文でもありません。いいところだけの自己満足文です。
そんなものを読んで誰が喜ぶのかと思いますが、それでも書けば自己顕示欲で人に見せたくなり、それを我慢する忍耐力がありません。
それが傲慢なところです。
それでもよければ読んでみてください。一人の人生のストーリーとしては読めると思います。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。