なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンサンラジオ357 憂鬱な彼岸

2022年03月20日 05時00分00秒 | サンサンラジオ
三ちゃんのサンデーサンサンラジオ。第357回。3月20日、日曜日。

彼岸に入りました。明日が中日です。
大量の雪も大急ぎで沈んできていましたが、昨日また降りました。
例年なら穏やかな春を迎える喜びに浸る時期なのですが、今年は気持ちが晴れません。
16日には福島県沖で大きな地震がありました。18日には岩手沖でもありました。
福島の震源地は昨年2月に発生した場所とほぼ同じところです。専門家は「双子のような地震」と表現しました。
震源に近い山元町の住職に電話を入れました。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫じゃね~よ、まいったよ。」
寺の中も外もぐちゃぐちゃで、ようやく片づけたのにまたかーという嘆きが伝わってきました。
直したばかりの墓石もまた倒れて、檀家さんも力が抜けているということでした。
なんで何度もこんな目にと、天を仰ぎたくなる気持ちが察せられます。
「命が救われただけよし」とはいうものの、年齢にもよるでしょうし、繰り返せば疲労感と虚脱感が募るだろうと思います。
新幹線が脱線し不通になってしまいました。橋梁にも破損があるようなので復旧までにはかなりの日数がかかるようです。
年度またぎの移動の多い時期、またコロナ後の観光を見込んでいただろう人々には更なる失望と打撃となるでしょう。

そして、気が晴れないもう一つの要因はウクライナ。
戦争という殺人はまだ続いています。
戦争は公然たる人殺しです。
子供も老人も病人も妊婦も、もちろん兵士も人間です。それを殺すのは殺人、人殺しです。
それを公然と、いわば世界が見ている前で、堂々と行われているのです。
そんなことが許されていいわけがないでしょう。
「戦争だから仕方ない」みたいに慣れてはいけません。麻痺してはなりません。
一人ひとり、かけがえのない命です。
繰り返し繰り返し「やめろ」と声を上げ続けなければなりません。
大戦後、こういうことが起こらないために国連ができたのではなかったでしょうか。
国連憲章の前文には「善良な隣人として互に平和に生活し、国際の平和及び安全を維持するためにわれらの力を合わせ」と謳われています。
その常任理事国の一つのトップが自らその精神を踏みにじる行為を犯すことは絶対に許すことができません。
その背景には何があるとか、性格的な問題がどうしたとか、今後の影響とか、だから我が国も核武装をとか、評論家や政治家は好き勝手なことを言っていますが、御託を並べる前にまず、戦争をやめさせろよ、と思います。

その方法は、それは私の頭ではそんないい方法が簡単に浮かぶわけではありません。
が、例えば、大統領を止めるのは大衆国民の声だとすれば、ハッカー集団がテレビ局を乗っ取って海外のニュースを流すことができるなら、そんなことを繰り返しやればいいのではないか。一つの集団だけでなく世界中のハッカーが波状的にやることはできないのか。お金でやるなら募集してどんどんお金をつぎ込んだらどうなのか。
SNSが遮断されたなら、その遮断を解除する方法は考えられないのか。
もっともっと原始的なことを考えれば、風船にビラ、今であれば大量のUSBメモリーとかを付けてロシアに向けて飛ばすことだってやってみたらどうなのだろう。風船がだめならドローンじゃどうなのか。
もう一つは、なぜ日本が仲介役として手を挙げないのか。傍観者の如く制裁に加わるだけでなく、積極的に自らの外交として和平交渉を進める気はないのだろうか。北方領土を挟んで隣国なのだし。出て行ってもおかしくないでしょう。
お友だちの元首相もいるわけだから、大統領を知る政治家や財界の人たちが雁首をそろえて説得に行くぐらいの努力をしてもいいのではないか。たとえ無駄だとしても、「まずは銃を下ろせ、人を殺してはならない」と、「ましてや核兵器を使うことなど唯一の被爆国として絶対に許されない」と、「平和であることが誰にとっても有益なのだ、戦争なんてバカくさいぞ」と、直に言ったらどうなのか。もちろん、行くと言っても来るなと言われるでしょうが、その態度と意思表示はすべきではないか。行けないならオンラインという方法もある。シュワルツェネッガーもビデオメッセージを流したりしてる。
そんな和平への努力をせずに、自分のことだけを考えて核保有などと唱えるのは間違った国づくりだと私は考えます。

彼岸は、春秋の季節のいい時期に、静かに心を落ち着けて先祖に手を合わせ、人のあり方に思いをいたす行事です。
心を鎮めなければいけないのですが、ついついふつふつと怒りがこみ上げてきます。
コロナ、戦争、地震。
憂鬱な彼岸です。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。