なあむ

やどかり和尚の考えたこと

サンデーサンライズ441 言葉は心から出る

2023年11月05日 05時00分00秒 | サンデーサンライズ
三ちゃんのサンデーサンライズ。第441回。令和5年11月5日、日曜日。

11月に入りました。
雪囲いも始まっています。
このところ、秋なのに三寒四温の日が続いています。
柿やらなめこやら秋の味覚も味わうことができました。
このまま秋が続けばいいなあ。

先週触れた布教師養成所の法話実演でいい言葉を聴きました。

「言葉は口から出るのではなく、心から出るのです」

なるほど、その通りですね。
口は単に音を出す器官。
「あー」とか「うー」とか、音は出ても言葉とは言えません。
言葉を作るのは心です。
「心にもないことを」口にすることはありません。
心にある思いが口をついて出てきただけです。
「口が滑った」などと、口のせいにしてはダメでしょう。
口から出た言葉は全て心から発せられたのです。
言ったのは口だと思うと軽く考えてしまうかもしれません。
言葉は心、人格から出るのだと思えば、重い意味になります。
政治家がよく「誤解をまねくような発言」と言いますが、それは「誤解をまねくような心」から発せられたものです。
ほとんどの場合それは誤解ではなく、正直な心が口から洩れたのでしょう。
心から出たものを「言い訳け」はできないのです。
ネットでの「発言」も言葉だと考えれば、それも心から出たものです。
嘘や誹謗中傷、あえて相手を傷つけるような発言をするのは、その人の心に潜んでいる暴力性です。
人の不幸を望む悪魔の心です。
そのことに自ら気づいていかなければなりません。

朝の散歩のときはらじるらじるでNHKの聞き逃しサービスを聴いています。
最近は「ラジオ深夜便」なども聴いています。
ライブで聴くのは無理ですが、こういうことができるのでありがたいです。
先日「謎解きうたことば」というコーナーでゲスト谷川俊太郎さんの話を聴きました。
これまでたくさんの詩を発表し、92歳になる現在も活動を続ける現役の詩人ですが、歌詞もたくさん書いています。
『鉄腕アトム』のテーマ曲や『死んだ男の残したものは』が谷川さんの作詞だったことを今回知りました。
以来、「死んだ男の残したものは」の曲が頭から離れません。ヘビーローテーションです。
私が好きな谷川さんの詩は、『便り』と題された一篇

  便り
おたまじゃくしに
足も生えそろい
ましたにつき
常のごぶさたお詫び
申します
 この春当地にては
 葬式ふたつ
 結婚式みっつ
 とどこおりなく
 相すませ
からたちの花ほころび
かげ口などいつに変わらず
忙しく暮らしており候
です
 先生にはかつら
 ご新調のよし
 おめもじ
 待ち遠しい
 ことなり
      頓首


そんな谷川さんが次のような話をされました。

「詩なんて気分なんです。言葉は常に動いているですよ。
文字になって印刷されちゃうと固定しちゃうけど、実際に体の中を通ってきた言葉というのは固定されたものじゃない。
その日によってその時の気分によって気づかずに揺れ動いているんです。
揺れ動いているということを承知して言葉は使った方がいいですね。」


なるほどと納得して何度も聴き直しました。
言葉も「無常」なのですね。水のように流れて行くもの。不確かなもの。つかめないもの。
一期一会、その場その時の心のやりとりが言葉というものなのでしょう。
一つの言葉にこだわってとらわれてしまうのではなく、意味を固定しないで受け止めた方がいいですね。
流れ去るもの、つかまえられないものとして。
過去の言葉にこだわって、怒ったり心を乱されたり、疑問を感じたり真実を求めたり。
しかし、言葉が揺れ動いて不確かなものであるならば、その時の心のやりとりで終わって捨ててしまえばいいことなのです。
「取り返しのつかない一言」などもないですね。心はころころと動いているのですから、次の機会には別の言葉が発せられるでしょう。取り返しのつかない心であれば仕方ないですが。
なので、本来言葉は、同じ場で、顔の表情が分かる距離で、面と向かって交わされるものなのだと思います。
遠く離れてとか、電話だとか、声だけ、文字だけでの会話は想定されていないのかもしれません。
言葉は、相手に喜んでもらうような気持ちで伝えればいいのでしょうね。心のプレゼントのように。

今週はここまで。また来週お立ち寄りください。