昨日の東北から関東地方の大地震と長野県北部の地震、特に東北地方は知り合いも多数おり、安否が気遣われる。横浜でも停電・電車の運転見合わせで、大人数の帰宅難民が発生した。
妻は東京から6時間歩いて帰宅、私も4時間歩いて帰宅した。二人とも幸いというべきか、やっとというべきか、23時半前後に相次いで帰宅できた。私の場合は幸いにも途中は超満員ではあったがバスに乗ることができたため、本来7時間位かかるところを短縮できた。ただし途中から渋滞で動かなくなり、再度あるいた。
幹線道路は徒歩帰宅の人々がひけもきらず列をなしていた。車道は自家用車があふれバスは最徐行を強いられた。私は横浜市内6区をとおり抜けて帰宅した。幹線道路を歩き通したが、ある区内は全線停電で信号ばかりか自動販売機も使えず、コンビニも営業しておらず道路は暗く危険であった。区界を超えると街路灯も自販機も点灯し、通常の道路の明るさとなったが、暗い道路を歩いている間は不安も募った。
夫婦ともに帰宅難民となると、お互いに助け合うこともできない。メールの着信にも時間がかかり、30分以上の時間差が生じた。夫婦で山歩きやウォーキングで歩くことに慣れていたため、妻もどうにか歩きとおすことができたようで、日ごろの習慣が役に立ったようだ。
歩きながら、コンビニエンスストアの存在の意義をあらためて認識した。飲料水・食料・トイレ・情報・休息と役割を発揮していた。私の場合はおにぎりもパンも売り切れで食料は手に入らなかったため結局は夕食抜きで帰宅したが、カップ麺とお湯などは調達できたようだ。また飲料水もありがたかった。喧伝されているように現代を象徴するものであるようだ。
巨大災害のたびに喧伝される原子力発電の危険、今回も重大事故の様相である。抜本的なエネルギー問題の解決方途が求められてしかるべきであろう。
妻は東京から6時間歩いて帰宅、私も4時間歩いて帰宅した。二人とも幸いというべきか、やっとというべきか、23時半前後に相次いで帰宅できた。私の場合は幸いにも途中は超満員ではあったがバスに乗ることができたため、本来7時間位かかるところを短縮できた。ただし途中から渋滞で動かなくなり、再度あるいた。
幹線道路は徒歩帰宅の人々がひけもきらず列をなしていた。車道は自家用車があふれバスは最徐行を強いられた。私は横浜市内6区をとおり抜けて帰宅した。幹線道路を歩き通したが、ある区内は全線停電で信号ばかりか自動販売機も使えず、コンビニも営業しておらず道路は暗く危険であった。区界を超えると街路灯も自販機も点灯し、通常の道路の明るさとなったが、暗い道路を歩いている間は不安も募った。
夫婦ともに帰宅難民となると、お互いに助け合うこともできない。メールの着信にも時間がかかり、30分以上の時間差が生じた。夫婦で山歩きやウォーキングで歩くことに慣れていたため、妻もどうにか歩きとおすことができたようで、日ごろの習慣が役に立ったようだ。
歩きながら、コンビニエンスストアの存在の意義をあらためて認識した。飲料水・食料・トイレ・情報・休息と役割を発揮していた。私の場合はおにぎりもパンも売り切れで食料は手に入らなかったため結局は夕食抜きで帰宅したが、カップ麺とお湯などは調達できたようだ。また飲料水もありがたかった。喧伝されているように現代を象徴するものであるようだ。
巨大災害のたびに喧伝される原子力発電の危険、今回も重大事故の様相である。抜本的なエネルギー問題の解決方途が求められてしかるべきであろう。