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本日電車の中で「モチーフで読む美術史」(宮下規久朗、ちくま文庫)を読んでいたら、次のような指摘があった。
「鶏」の項で「若冲の描く鶏は、人間以上に風格と威厳がある。単に神聖な対象を描いたというより、いくつかは画家自身の自画像のようにも見えてくる」とあった。取り上げている作品は「仙人掌群鶏図」(1789)である。この作品は晩年の作品である。残念ながら「若冲と蕪村」展では展示されてはいなかったが、文庫本に取り上げられている図版を見る限りなるほどと思った。ただし晩年にしては諧謔味やとぼけた味わいが感じられない。鋭いまなざしで不羈の面構えと踏ん張りで力がこもっている。
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「若冲と蕪村」展では晩年の彩色の雄鶏図は展示がなかった。晩年の水墨画の「釣瓶に鶏図」(1795)はすでに取り上げているが再度掲載してみる。これは鶏の表情に若さは感じられない。それなりに歳をくったような表情でとぼけた味わいがある。
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そして「若冲と蕪村」展から初期の作品に分類されてた作品から目についた2点を取り上げてみる。水墨画の「粟に雄鶏図」は比較的雄鶏を大きく主役のように描いている。表情は特にりりしくは描いていないが、目が少しとぼけたようなひょうきんな感じである。
一方で彩色画の方はきつい眼をしている。
若冲は水墨画と彩色画で同じ対象を描くにしてもその表情を変えて描いた可能性もあると思う。どちらかというと水墨画は力を抜いて諧謔味があり、ひょうきんでとぼけた味わいを追求したのかもしれない。彩色画は描かれている動物の視線も姿勢も人を恐れない不羈の表情をして威厳すらある。若冲という人の二面性を物語っているのであろうか。
宮下規久朗氏が指摘したのは、彩色画の方である。自画像というのはなかなか魅力的な指摘である。若冲晩年の鶏図を見る機会があったらこの指摘を忘れずに鑑賞してみたいと思う。