昨日の国会周辺の雨は強烈であった。私たちは憲政記念館の建物の周囲にいて、集会か始まるたびに合羽を着て歩道に出た。傘ではとても避けられないような雨で、運動靴の人は可愛そうであった。
私はビニールのポンチョとズボンをそれぞれ430円で購入した藻を持参して助かった。靴も防水仕様のウォーキングシューズを履いていたので濡れることはなかった。長袖のシャツをこの秋初めて着用したが寒かった。もう少し厚めのものが良かったかもしれない。
朝8時から参加している仲間もおり、18時半からの集会がほぼ終わった19時45分頃に会場を離れて渋谷で体を温めて帰った。
私たちの退職者会では総勢7人がこの日も集まったが、私たちの周囲には会社がひけてから参加したと思われる単身参加の若い女性が大勢いた。それぞれにペンライトや、小さく折りたたんだA4の紙に印刷した手製のポスターを掲げて熱心に参加者の話に耳を傾け、コールをしている。
労働組合や各種の団体には属さずに単身で参加されているのが一目でわかる。生活の時間からささやかでも貴重な時間を持ち寄って来るこのような人々に、連日の集会は支えられている。このような彼女たち、彼らがいなければ集会は成功しないし、持続しない。
あたらしい運動のあり方、政治への関わり方が生まれつつあると感じている。これによって集会参加者の平均年齢も大いに下がっている。横浜の公聴会会場を取り囲んだ参加者も、シットインに加わった人々もかなり若い人々である。自由な発想、従来の枠にはとらわれない行動パターンが生まれている。この動きを大事にしないといけない。
人は誰もが自分の理想像というものを持っている。その理想像というのは日々作り替えられて行くであろうが、核になっているものは人生そのものがリセットするような体験をしない限り変わるものではない。また変えようとして簡単に変わるものではない。この理想像と対話をしながら、日々の思考、判断、行動を人は決断し、修正して生きていくものである。
この理想像との無言の対話というものを如何に上手にするか、これが人間のコミュニケーションの始まりでもあり、社会とのコミュニケーションの基本でもあると思っている。この対話ができないと、そして理想像と現実の狭間をどうするのかという苦闘がよりよい対話を生む。他者とのよりよいコミュニケーションを生むことができる。
国家にとってはこの理想像は憲法である。きっかけは第二次世界大戦直後の世界秩序を形成していた国家関係の理想的な姿である。それが押しつけかどうかは問題ではない。これを前提に戦後世界秩序が形成されていたということであり、その承認無くして日本の戦後国家は歩めなかったということである。東西対立等々のによってこの秩序自体は大きく変質せられているが、理想としての国家関係、国家のあり方についての基本には変更はない。またそれを変更する必要性はないと判断できる。
誰もが知っている「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し‥」という前文は多くの若い人にとっては身に沁みついている。
国家の外交や内政には常にこの理想像との対話、現実との折り合いの葛藤が求められる。それを国民がつぶさに見ているということを政治家は自覚しなければ政治家とは言えない。
最近は政治家でも、また政府の閣僚の一員である議員が公然と「そもそも主権が国民にあるということ自体がおかしい」といいだしてしまっている。国際社会で通用しない議員が跋扈するという、「政治の劣化」が公然と語られてしまう。とても恐ろしい社会である。
この政治の劣化が、さまざまに社会を規定する法律の改悪として社会生活を圧迫し始めている。それを多くの人々、特に若い人々がひしひしと身に染みているのであろう。
このことを自覚的に政治過程の中に繰り入れなければ、今の政治党派も立ち行かなくなる。無論政治そのものがさらに立ち行かなくなる。国際社会からもますます孤立する。