Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

少しだけ片付け

2015年09月25日 23時28分15秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 机の上とそこからはみ出している書類と資料の山を少しだけ片付けた。片付け終わるための作業量の4分の1くらいだろうか。机の上だけで見ればそれなりに片付いたが、ファイルに閉じたり、本箱からはみ出ている本の片付け、机の横の丸椅子の上の書類の整理を考えるとまだまた時間はかかる。
 年に4~6回くらい片付けると大体きれいに見えるのだが、年に1~2回だと常に散らかって見えており、整理されているという感じではない。しかも、当然のことであるがたくさんたまればたまるほど労力がかかる。
 書類の下の方から、「これはもうファイル化したはずだが‥」というものも3つほど出てきた。記憶というものはどうも自分の都合のいいように捻じ曲げて記憶している。これは世界に共通であるらしいが、子どもの頃と大して変わることのない習性なのだそうだ。
 明日は午後1時からの講座のあと、渋谷のBunkamuraザ・ミュージアムで「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」展を見に行くことになった。どこからか招待券を2枚手に入れたようだ。これは儲けもの、ということで早速出かけることに決めた。


追悼!福島菊次郎

2015年09月25日 19時04分12秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 写真家の福島菊次郎氏が亡くなったとのことである。毎日新聞は次のように報じている。
http://mainichi.jp/select/news/20150925k0000e040205000c.html
★ヒロシマからフクシマまで--。戦後の激動の現場を撮り続けた反骨の報道写真家、福島菊次郎さん(94)が、24日亡くなった。突然の訃報に、福島さんを知る人たちから悼む声が相次いだ。
 1960~70年代の成田空港(千葉県成田市)建設を巡る「三里塚闘争」を同じ時期に撮影していた同県市川市の写真家、北井一夫さん(70)は「福島さんの写真は、学生と機動隊が衝突し合う過激な写真がほとんど。『もっと柔らかい写真があってもいいのでは』と周囲で言い合ったが、多くが柔らかい作品に流れていく中で、最後まで『反権力』を貫いた。写真界に一つの方向性を示してくれた」と振り返った。
 東日本大震災後、被災地入りした福島さんに同行したフォトジャーナリストの那須圭子さんは「言うことと、やることがすべて一致している人で、94年間のあっぱれな人生だと思う。安保関連法の成立を心配し『戦争なんて始まらないと頭のどこかで考えているだろうね。でも、もう始まるよ』と最後まで危ぐしていた」と惜しんだ。
 30年近い交流があったフォトジャーナリストの山本宗補さん(62)は「福島さんは戦争が再び訪れる社会を予想し、その現実にあらがってきた。『戦争法案』が可決された現在、私たちや次の世代に報道とはどういうものか伝え続けてほしかった」と述べた。
 親族によると、福島さんは今年8月ごろに自宅で転倒し、足を骨折して入院生活を送っていた。肺に水がたまるなど体調を崩しがちだったが、24日昼ごろは耳元で話しかけると目を開き、うなずく仕草もしていたという。


 ツイッターでの投稿によるとなくなる直前にも安保法案で国会前が騒然としていた時にも撮影に訪れていたとのことである。

      

 私は一昨年2013年10月12日に、日本新聞博物館(横浜情報文化センター内)にて開催されていた「92歳の報道写真家福島菊次郎展-ヒロシマからフクシマへー。戦後、激動の現場」を取り上げて、感想を記している。
 この時初めて福島菊次郎という名前を知ったのであるが、私にとっては取り上げられている社会的事象は、広島の原爆、60年安保闘争、三里塚闘争、東大闘争とあさま山荘事件、水俣病等の公害、ウーマンリブ、福島原発事故の南相馬市等と自分にとっては同時代的なものである。報道写真というジャンルについてはなかなか私にはよくわからない面もあるのだが、自分が関わった社会との同時代性を感ずるということでは、それなりに関心は強いものがある。
http://blog.goo.ne.jp/shysweeper/s/%CA%A1%C5%E7%B5%C6%BC%A1%CF%BA

 同時代を切り取り続けてくれたことに敬意を表さなくてはいけないと思う。


腕まくり

2015年09月25日 12時28分14秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 寒い雨模様の日である。夜中から雨が本降り、雷は鳴っていないのでほっとしていたら、朝テレビの画面が時々ちらついた。雷のためか、もっと高層の大気に対する太陽風の影響かはわからない。雷注意報は発令にはなっていない。
 本日の予想最高気温は20℃ということで、長袖のシャツとズボンを着用してみた。いつものとおり長袖を久しぶりに着ると、左右ともに二の腕がどことなく煩わしく感じる。その上無意識に腕まくりをしてしまう。
 腕まくりというのが妻は嫌いたそうで、まくるなら半袖にすべきだという。腕まくりした格好というのが印象が良くないのだそうである。腕まくりというのがむさくるしく映るようだ。わからなくもないが、半袖から長袖に、逆に長袖から半袖に変わる季節というのは「しょうがないんじゃないの?」と私などはまったく気にしない。
 だいたい着るものにまったく執着しないというか、おしゃれなどというものに無縁で60数年過ごした者にとっては、服装というものを考えること自体が面倒である。もっとも妻もおしゃれというものには疎い方だし、派手なものや、着飾るということが嫌いである。つまり本当はどっちもどっちなのである。二人共アクセサリーというものを持たない主義である。

 さて本日は眼科と内科にいづれも薬の処方をしてもらいに出かける必要がある。雨の中で歩くのは億劫だが、やむを得ない。