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土門拳「薬師寺金堂薬師如来坐像」(1961頃)が掲載されている小学館文庫から第2巻から選んでみた。
文庫本では見開きの左側の頁に薬師如来の全体を写した作品があり、左側の頁にこの作品がならんている。これがこの頭部ばかりの大写しならばすぐに仏の顔であると認識するのはなかなか難しい。
これは右側の作品の頭部を拡大したものでもない。現に照明の反射の白い部分の位置が違っている。頭部だけ別に撮影したことがわかる。
黒光りする飴のような艶を持つ顔をじっくりと見ていると、両方の頬の白い照明の反射が涙にも見えてくる。単に慈愛の表情だけではなく、我々を見る眼が憐れみの表情にも見えないだろうか。
さらに彫りの滑らかな顔の凹凸が消えて、黒地に白い線だけが浮かぶ凹凸の無い作品にも見えてくる。顔が、顔という制約から抜け出て、左右対称の模様に見えてくる。
凹凸をキチンを捉えて3次元的に見えるようにするのが、この手の作品の眼目からするとそれを否定しているようにも見える。あくまでも2次元の世界に拘るように見える。
こんな鑑賞の方法はひょっとしたら土門拳という作家の意図を無視した、頓珍漢なのかもしれない。