Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

雨の日曜日

2018年06月10日 23時39分32秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 雨が弱くなった瞬間を捉えて、雨の中を15分ほど夜のウォーキングをした。湿度は高いもののひんやりとした空気が気持ちよかった。15分後家に着いたら少しだけ亀が強くなっていた。

 いつもの尾根のバス通りでは、夜営業しているのはコンビニ2軒、やカラオケスナックや小料理店3軒、コインランドリー1軒、そしてドラックストア1軒があり、ふだんは23時過ぎてもバスを降りる人と店の出入りでそれなりの人通りがある。しかし本日は人通りもタクシーの往来もほとんどなかった。

 雨は明日の夕方まで降り続くらしい。 

梅雨寒・梅雨冷

2018年06月10日 19時59分36秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 本日のランチタイムミーティングは終了。気温が低く、家を出たときは肌寒く感じた。行くときは微かな雨であったので、傘をさしたり、畳んだりしながら横浜駅まで歩いた。畳んでいる時間のほうが長かった。二駅先の関内駅周辺は降っていなかった。
 帰るときは、関内駅でも強めの雨で伊勢佐木町も人出が少なかった。ただし風はなかったので、JR線に沿って横浜駅まで傘をさして歩いた。横浜駅で喫茶店で休養の後、自宅まで再び歩いた。横浜駅の地下街は混みあっており、歩きづらかった。

★我が胸に梅雨さむき淵ひそみけり    中村嵐楓子
★とびからす病者に啼いて梅雨寒し    石橋秀野


 第1句、感覚的には何となく了解できる。このような句、私は好きだ。しかし具体的にどういう意味か、と問われると答えようがない。「梅雨さむき淵」は具体的にどういうことか、と問われても答えようがないのだ。胸の奥に、寒々として自分でも除きようのない、「闇のような淵」が存在している。それは自分では統御できないような情念に支配されてうごめいている。それを動かすエネルギーの源泉もまたわからない。だから不安なのである。自分がそのような「淵」に支配されてしまったら、自分が自分でなくなる。そんな不安を誰もが抱えて生きている。この不可思議にどこかでおびえている。

傘の思い出はろくなものがない

2018年06月10日 09時45分22秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 実入りがないどころか、出費ばかりの「業務」でお昼前に出かける。会費2500円のランチ付き会議。
 空は昨日とはうって変わってどんよりとした梅雨空。

 さて、傘の思い出はろくなものではない。傘を持って出かけると傘を忘れることが多かった学生時代と現役時代。雨が降っているのに、店や会議室に傘を置いたまま雨に濡れて帰宅したり、職場に戻ることが多かった。
 中校生のころ、前日に買ってもらった傘を翌日には電車の中に忘れて、雨の中を歩いて帰った。家についてから傘を持って出たことを思い出して、いたく怒られた。
 高校生の頃、傘をさして俯いて速足で歩いていたら電柱に激突してこけた。ケガはしなかったもののとても痛かった。
 学生時代には研究室から担当教官の傘を持って帰って、しかもアパートの窓に干してあったのを風で飛ばされて壊してしまった。その教官が後日「傘が無くなった」と探しているのを黙って見ていた。

 そういえば、最近は傘はなくならない。安いビニール傘ばかりが玄関に溜まっている。