Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

蛍の季節

2018年06月12日 23時50分00秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 例年この時期になると蛍を見たくなる。しかし都会にいる限りなかなか見ることはできない。またせっかく見に行こうと決意しても雨などが降り始めて断念したことが何回もある。結果としてここ十数年蛍をみていない。今年もまた無理なようだ。

 歳時記をめくっていると蛍の項にはたくさんの例句がならぶ。蛍といえば「物おもへば沢の蛍も我が身よりあくがれいづる魂かとぞみる(和泉式部、後拾遺1162)」がまずわたしの頭の中に浮かんでくる。それこそ蛍の明かりのように浮かび上がってくる。そして私は和泉式部の歌にすっかり魅せられてしまった。
 俳句の多くはもこの歌を踏まえて読まれている。そして蛍の火は彼岸と此岸の境を飛び、あまり追いかけると彼岸へ渡ってしまう妖しい火でもある。

★蛍火や手首細しと掴まれし    正木ゆう子
★蛍狩り生者は橋を引き返し    清水知嘉
★妻の手に触れし闇夜やほたる狩  石澤邦彦

不安定な天気

2018年06月12日 20時40分09秒 | 天気と自然災害
 16時過ぎに市庁舎を出てみるとすっかり晴れあがって陽射しが強かった。昼間の天気予報では曇ときどき雨となっていたので、びっくりした。しかしJRの根岸線沿いに北の放校に目をやると横浜駅方面には黒く低い雲が垂れこめて今にも雨が降るそうに思われた。16時半過ぎには大雨・雷注意報が発令されていた。

 そのまま関内駅から横浜駅に向かって歩き始めたら、隣の桜木町駅に着いた頃には空はすっかり今にも降り出しそうに低く黒い雲が全天を覆っていた。雨や雷が不安であったが、そのまま横浜駅、そして三ツ沢公園と遠回りをして帰宅。さいわいに雨には合わずに済んだ。
 途中横浜駅近辺の喫茶店で読書タイム。

 天気予報を見るとこれから22時まで一時的に雨が降る可能性があるらしい。すでに相模原市内や県央地区では西から雨の区域が進んできている。夜のウォーキングまでには雨は止んでほしい。

梔子の花にも匂いを感じない

2018年06月12日 10時33分10秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 台風は関東地方からは遠ざかったが、すっきりとした天気にはならなってくれない。最高気温の予報は30℃。
 昨晩のウォーキングのとき、団地内でクチナシ(梔子)の花を見つけた。夜の闇の中で白く浮き上がるように咲いていた。そういえば毎年咲いている場所であった。十年近く前まではクチナシの花の匂いは感じていた。だが、今年はまったく匂いを感じない。昨晩もクチナシの花に自分の鼻を押し付けるようにして匂いを嗅いだのだがまったく匂わなかった。

 嗅覚が毎年劣化しているのは自覚しているのだが、ここまで進行していることにあらためて驚き、そして愕然とした。そういえば何日か前に妻が「クチナシの花の匂いがする」と一緒に歩いているときに言ったのだが、私は匂わなかったので無視をしていた。街中でもこんな具合である。
 梔子の香にかぎったことではない。ほとんどの匂いについて同じことがいえる。一時は悪臭については敏感であったこともあるが、今ではそれも自信はない。薔薇のような強い匂いについても鼻を花にピタッとつけない限り匂わない。「微かにただよう芳香」「梅の匂い」などの情緒から遠ざかっている。さびしいものである。

 鼻の中の匂いを感知する細胞に問題が生じているのか、脳の匂いを感じる中枢に異常があるのか、どちらなのだろうか。自分で考えても分からないものである。かといって耳鼻科で聞くのも面倒である。

★くちなしや路地を掛け抜く雨匂う    鈴木敬冶
★くちなしの香や尼寺はこのあたり    黛 執
★梔子の花見えて香に遠き距離      八木澤高原


 クチナシの花、ないし花を連想すれば夏の季語、単にクチナシ、ないしクチナシの実をさす場合は秋の季語となる。クチナシの花は匂いに特徴があるので、匂いを連動させることで夏の季語として使われることが多い。