仕事 吉野弘
定年で会社をやめたひとが
--ちょっと遊びに
といって僕の職場に顔を出した。
--退屈でしてねぇ
--いいご身分じゃないか
--それが、一人きりだと落ち着かないんですよ
元同僚の傍の椅子に坐ったその頬はこけ
頭に白いものがふえている。
そのひとが慰められて帰ったあと
友人の一人がいう。
--驚いたな、仕事をしないと
ああも老けこむかね
向い側の同僚が断言する。
--人間は矢張り、働くように出来ているのさ
聞いていた僕の中の
一人は頷き他の一人は拒む。
そのひとが、別の日
にこにこしてあらわれた。
--仕事が見つかりましたよ
小さな町工場ですがね
これが現代の幸福というものかもしれないが、
なぜかしい僕は
ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
いまだに僕の心の壁に掛けている。
仕事にありついて若返った彼
あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
ほんとうの彼ではないような気がして。
何とも身につまされる詩である。私も現役時代に幾度も同じような体験と感想を持った。そして私が定年となって、ふと懐かしく昔の職場に出向いたことも2度ほどある。そして後輩や元同僚と椅子に腰かけて、2~3分ほど話をして退出した。
現役時代はこの詩のような会話が主であった。ほとんどの先輩はそれほど老け込むようなことはなかったものの、それでも「仕事をしているときのほうが張り合いがあってよかった」「生活にメリハリが無くなった」と愚痴をいっていた。
その都度私は、「私なら他のことをしたい」と思いながら、それでもやはり「仕事が無くなるというのはこういうものなのか」と感じていた。
「彼のげっそりやせた顔が懐かしく」というのは極端かもしれないが、「生活に張りがなくなった」と愚痴をいう先輩のあり様こそが、仕事に振り回された現役時代よりも本当は肯定されるべきなのではないか、と心の片隅で考えていた。仕事を離れてこそ生きがいを見つけられるのだ、生きる張り合いがあるのだ、といつも思っていた。
一方で、労働組合の役員としては「働き甲斐・生き甲斐、誇りをもって働き続けられる職場を!」「家族に胸を張って誇ることのできる仕事を!」と、これは本気で主張していた。だが、これを主張する私自身は、仕事以外の生き甲斐を模索していた。定年延長を主張しても私自身は60歳で現役を退きたかった。
今でも、この矛盾した感慨がつきまとっている。
定年で会社をやめたひとが
--ちょっと遊びに
といって僕の職場に顔を出した。
--退屈でしてねぇ
--いいご身分じゃないか
--それが、一人きりだと落ち着かないんですよ
元同僚の傍の椅子に坐ったその頬はこけ
頭に白いものがふえている。
そのひとが慰められて帰ったあと
友人の一人がいう。
--驚いたな、仕事をしないと
ああも老けこむかね
向い側の同僚が断言する。
--人間は矢張り、働くように出来ているのさ
聞いていた僕の中の
一人は頷き他の一人は拒む。
そのひとが、別の日
にこにこしてあらわれた。
--仕事が見つかりましたよ
小さな町工場ですがね
これが現代の幸福というものかもしれないが、
なぜかしい僕は
ひところの彼のげっそりやせた顔がなつかしく
いまだに僕の心の壁に掛けている。
仕事にありついて若返った彼
あれは、何かを失ったあとの彼のような気がして。
ほんとうの彼ではないような気がして。
何とも身につまされる詩である。私も現役時代に幾度も同じような体験と感想を持った。そして私が定年となって、ふと懐かしく昔の職場に出向いたことも2度ほどある。そして後輩や元同僚と椅子に腰かけて、2~3分ほど話をして退出した。
現役時代はこの詩のような会話が主であった。ほとんどの先輩はそれほど老け込むようなことはなかったものの、それでも「仕事をしているときのほうが張り合いがあってよかった」「生活にメリハリが無くなった」と愚痴をいっていた。
その都度私は、「私なら他のことをしたい」と思いながら、それでもやはり「仕事が無くなるというのはこういうものなのか」と感じていた。
「彼のげっそりやせた顔が懐かしく」というのは極端かもしれないが、「生活に張りがなくなった」と愚痴をいう先輩のあり様こそが、仕事に振り回された現役時代よりも本当は肯定されるべきなのではないか、と心の片隅で考えていた。仕事を離れてこそ生きがいを見つけられるのだ、生きる張り合いがあるのだ、といつも思っていた。
一方で、労働組合の役員としては「働き甲斐・生き甲斐、誇りをもって働き続けられる職場を!」「家族に胸を張って誇ることのできる仕事を!」と、これは本気で主張していた。だが、これを主張する私自身は、仕事以外の生き甲斐を模索していた。定年延長を主張しても私自身は60歳で現役を退きたかった。
今でも、この矛盾した感慨がつきまとっている。