Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

りんごの木箱

2011年11月02日 20時57分06秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 奥入瀬渓谷・八甲田と巡って青森駅に到着してから、駅前を歩いていたら、駅の正面に青森の特産品を売っている店があり、店頭に木箱を並べてりんごを売っていた。
 さすがにりんごの産地だけあって、実にいろいろな品種があり、小ぶりの紅玉などもう横浜では店先で見ることのない品種や初めて聞く品種が並べられていた。それももはやりんごの木箱というのは見ることはない。
 そういえば昔はりんごもみかんも梨も木箱に入れられて店先に並んでいた。りんごは籾殻を緩衝材にしていた。みかんは木箱で買っていた記憶がある。あの木箱がなくなってからどのくらい経つのだろう。そして今でも産地では木箱を使用しているのだろうか。いくつも並べられた木箱と、その中に入れられているりんごを見て懐かしさがこみあげて、4個ほど購入した。いづれもとても甘く、みずみずしく食することが出来た。
 これが他のりんごの産地やみかんの産地などでも木箱に入れられて売られているのだろうか。それともあの店だけのパフォーマンスだったのだろうか。そんなことを帰りの新幹線の中で考えていた。

 さて定年まであと5ヶ月をきった。「やっとあと5ヶ月か」という思いと、「とうとう早5ヶ月をきってしまった」という思いは、9対1くらいだろうか。ある先輩が言っていた。「最後の一年はつらいよ」と。その意味がようやくわかってきた。仕事のつらさはもう37年で慣れっこになっている。仕事がことさら最後の一年がつらいのではなく、それよりも最後の一年という時間との競り合いがつらいのだと。


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2 コメント

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Unknown (大納言)
2011-11-03 18:38:06
リンゴの木箱……どうでしょうね? 送るときはボール箱+プラスチックの緩衝材になりました。私はリンゴの木箱に本を詰めて上京した日のことを思い出します。
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思い出しました。 (Fs)
2011-11-03 19:21:10
1970年大学入学の頃は、下宿した多くの友人が引越しに使ったりんご箱を机代わりに勉強していました。寮に入った友人は備え付けの机があり、自慢していました。私は高校時代使っていた机を下宿に送り、部屋が狭くるしく感じたのを覚えています。
その頃まではりんごも木箱で流通していたのでしょう。
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