「聖母の美術全史」の第6章「東洋の聖母 インド・中国・日本への伝播と変容」の第1節「インドの聖母」、第2節「中国の聖母」、第3節「マカオの聖母」を読み終えた。
「「中南米、インド、中国、日本などで」聖母がすぐに受け入れられた背景には、各地に類似の女神信仰があったためであると思われる。‥地中海沿岸や西欧で地母神信仰が聖母信仰に習合されて黒い聖母を生みだした過程と似ている‥。」(1.インドの聖母)
「1534年にはカトリックの大司教座が設置されてアジア全域を直轄する拠点となった。同じころ北インドにイスラム教を奉じるムガール帝国が興った。第三代皇帝アクバルは‥諸宗教に興味を抱いて融和政策をとり、宮廷ではイスラム諸派のほか、ヒンドゥー教、ゾロアスター教、ジャイナ教、キリスト器用などの学者を議論させ‥。」(1.インドの聖母)
後半部分の記述はなつかしく感じた。大学の入試で世界史を選択したことを思い出し、三共資料のなかに「ムガール帝国のアクバル帝、ジャハンギール帝の宗教融和政策と、後代のイスラム中心主義」というような趣旨の記述があったのを思い出した。
今回は美術や建築についての記述もあり、50年以上前の記憶が更新された。