テレビを点けるとサッカー一色、世の中すべてサッカーが中心にいるような塩梅になっている。私はサッカーのルール自体がよくわからない、それ以上にスポーツ全般に興味のない私は退屈するばかり。オリンピックに続いてサッカーのワールドカップと続き、身の置き所がないと感じる。
スポーツは人々を熱狂させるという。スポーツは闘争本能を刺激し、応援することで闘争本能を吸い上げ社会生活を円滑にする効果があるのだと、大昔に体育の教師がスポーツの効能として力説していた。スポーツ観戦に熱狂的になれば、スポーツそのものを体験すると同様にストレスの解消になるのだという。
当時は牽強付会の珍説にしか思えなかったが、そんな教師と喧嘩する気にはならず、ほとんど無視していた。そんな小生意気な気分でいると、教室でおとなしく授業を聞いていても、体育館やグランドで体を動かしていても、教師には顔色で伝わるようで、高校の卒業まで嫌われ続けた。しかも体育の実技は、不器用でいつも呆れ笑われ続けた。一人の教師に嫌われると他の体育の教師も同じような目で見るようであった。そういう体育の教師の集団性もまた私には余計嫌悪感を抱かせた。
オリンピックといい、サッカーのワールドカップといい、勝ち負けにこだわる熱狂の裏では、醜い金と利権が横行している。勝敗への熱狂は、それらの醜さを隠し、不問に付してしまう。スポーツの過剰な応援が昂じて応援団同士でぶつかり合いが起き、けが人どころか死者まででている。先の珍説も当たっていることになる。
私はいつも醒めた目でばかりスポーツを見てしまう。「素直」ではない自分に嫌悪感も持つこともあるが、こういう自分から抜けられない。
個人で鍛える部分については、人それぞれのやり方と興味に従ってするだけのこと。
むろんアドバイスは聴きますが、対戦相手がいるスポーツ、集団演技、チームでの対戦‥いづれも私は遠慮したいものです。
基本的に人と争って、勝ち負けにこだわるという価値観が理解できないのです。