キュビズムの時代、パブロ・ピカソと私の好きなジョルジュ・ブラックとは、1908年以降親密な交友関係にあり、お互いのアトリエを行き来していた。展覧会では親切なことにこの時期の二人の作品を並べている。取り上げたブラックの作品は日本の美術館所蔵のものである。
ここではこの時期のブラックの《女のトルソ》(1910-11)と、《パイプのある風景》(1914)、及びピカソの《帽子の男/ジョルジュ・ブラックの肖像(通称)》(1909-10)、《ポスターのある風景》(1912)を並べてみた。
いづれも人物や対象が直線によってカットグラスのように区切られていると同時に、周囲との境界が曖昧にもなっている。対象の質感・量感が希薄でもある。色彩もまた同系統のグラデーションに解体している。
しかしピカソは、おそらくこの志向に満足できず、対象の量感・質感にこだわる方向へ、そして曲線と色彩の復権をめざしたのではないだろうか。ピカソからするとブラックの志向とずれが生じたと思われる。
私はピカソの《マ・ジョリ》(1914)を今回初めて見ることで、ピカソは描く対象物の量感・質感をキュビズムの新たな方法として曲線と色彩の復権で果たそうとしたのではないか、と推察してみた。
ピカソには多くの女性が関わっているが、こちらの作品も当時の恋人のあだ名を作品名にしていると解説されている。
ブラックが第一次世界大戦に従軍・負傷して後にピカソとの交流は絶たれてしまうが、その原因について今回私なりに納得したように作品を具体的に並べて感じることが出来たと思う。ブラックの作品がこれ以降どういう展開を見せるか、この視点で作品を追って考えてみたいと思う。
最新の画像[もっと見る]
- 新年を迎えて 1年前
- 謹賀新年 2年前
- 「渡辺崋山」(日曜美術館) 5年前
- 謹賀新年 5年前
- 謹賀新年 6年前
- 「ものの本質をとらえる」ということ 7年前
- 台風18号の進路が気になる 7年前
- 紅の花 8年前
- 「ゲルニカ」(宮下誠)読了 8年前
- 国立近代美術館「コレクション展」 9年前