昨日に続いてブラームスのビアノ協奏曲第1番を聴いている。はじめてこの曲を聴いたのはいつだったかと記憶をたどってみたが、覚えていない。CDを購入する前、多分FM放送で聴いたと思う。学生の頃だったか、勤めてからか、それも分からない。
本日の気分では第2楽章のしっとりした気分がうれしい。
さて、明後日の5月4日は寺山修司の亡くなった日。1983年、47歳で亡くなっている。私より16歳上である。
★流すべき流燈われの胸照らす 寺山修司
★卒業歌遠嶺のみ見ること止めむ 寺山修司
第1句、10代の作という。早熟だったことは確かである。しかし私のように70歳も近くなると「どんな胸の想いなの」とひとこと言いたくなってしまう。もはや歳を取り過ぎたのだろう。
第2句、寺山修司の魅力はその反骨精神だと友人はいった。しかし私はいい読者にはなれなかった。この句、卒業歌とは当然「身を立て名を揚げ、やよ励めや」という明治期の「理想像」である立身出世という価値観に背を向けた思いが滲み出ている。遠い峰々を見るようなことではなく「地に足をつけ、現実に向き合う」姿勢を嗅ぎとった友人は大したもんだと若い時に思った。しかし「遠嶺のみ」と「のみ」がついているのだ。理想だけではなく、現実との格闘を如何に引き受けるか、その決意を詠んでいるのだ。問題はこの格闘の質である。さてどんな質を私はこなして来たか。息をしなくなるまで自問自答が続く。
★青空に染まらぬかもめ修司の忌 遠藤若狭男
★五月の蝶消えたる虚空修司の忌 新谷ひろし