フラワー緑道を歩いてから、横浜駅でいつもとは違う喫茶店に入り、「魔女狩りのヨーロッパ史」(池上俊一、岩波書店)に目をとおし、第2章「告発・裁判・処刑のプロセス」を読み終えた。
「全体として8割程度が女性であった。他のヨーロッパの地域でもほとんどの魔女が50歳を超えていた。魔女というのは当時の寿命から考えれば最高齢の年齢階梯に属する人たちであった。魔女狩りとは、フェミニズムの立場からは、「男性の女性に対する、とりわけ老女に対する犯罪」であろう。」(第1章「魔女の定義と時間的・空間的広がり」)
「ヨーロッパの古代から近代に至る反女権主義がもっとも燃え上がったのが、近世の魔女狩りの時節であった。・・・魔女狩りをする者(男たち)は一方で女性をなべて呪いつつ、他方では、母性機能を失った老女を選び出して(若い女性は免除して)血祭りに上げるという選別をしていた。反女権的イデオロギーは、近世的な神聖なる国家建設、都市形成とも絡んでいた。当時の聖俗スリーとらは父権制をモデルとする体制をつくろうとしていた。立派な家長が治める「聖なる家庭」だ。その方針に反抗すると見なされた女性が、一種の儀礼的な暴力で祓われるのが魔女狩りであろう。」(第1章「魔女の定義と時間的・空間的広がり」)
「共同体の中で魔女が仕立て上げられる最初のきっかけは「噂」である。12世紀以降のヨーロッパの裁判実践において、噂は至極重要な扱いを受けた。多人数による裏付けのある噂だと予審のきっかけとなり、「証拠」として採用される。一人の人間の社会や集団内での受け入れられ方=評判が、罪のあるなしを予め決めたのであり、当時犯罪とは「噂」に表出する社会的結合関係の鏡と見なされたのである。」(第2章「告発・裁判・処刑のプロセス」)
父権性社会の成立過程で魔女狩りが行われた、という所論は少し性急な議論にも思える。疑問符を付けながら、先へ読み進めたいと思った。