Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「大岡信 架橋する詩人」 その3

2021年09月23日 21時54分11秒 | 読書

   

 著者は、大岡信の文章を多く引用している。
「遊びと見え、戯れと見えるものが、じつは精妙に練り上げられた秩序ある構造をもっとている場合、そこに投入されたおびただしい時間と精力と忘我の恍惚境とを思いみる必要がある。それは、強いられた無為の時をみずからのものとして奪いかえし、堅固な秩序を貫徹しようとする意志的な現れにほかならず、現実の秩序からはじき出されている痛覚を創造的に転換する自由実現の場にほかならなかった。そういう意味では、贈答歌の「うたげ」的な華麗さ、軽薄とみえるまでの奇想、パズル的な眩惑を生みだしているものは、現実への抵抗によって活力を与えられている充実した「弧心」にほかならないといえるだろう。」(「うたげと弧心」の「贈答と機智と奇想」の章からの引用。第4章「「唱和」のよろこび」)

「目覚ましい「連詩の国際化」だが、この集団制作については日本でも全ての詩人がもろ手を挙げて歓迎したわけではない。むしろ冷ややかに見る人も少なくなかった。「他人が見ている前で詩を作る」という「近代以降の詩作の一般的なあり方である密室の孤独な力わざとは、ずいぶん異質な要素」(大岡信「連詩の愉しみ」)を持つためでもあった。また完成し、発表された連詩を観賞しようとする読者にとって、ある詩から次の詩へのつながりが決して分かりやすい、読みやすいものばかりではないという「作品」としての難解さもある。」(第4章「「唱和」のよろこび」)

 そして私が大岡信について、注目し、関心を持っていたことについて以下のようにまとめている。この個所はとても大切な部分だと私は思っている。この本を読んだ収穫は、私がこれまで断片的に大岡信の著作でほのかに覚えていたことをここにまとめてくれたことである。

(「ヘルメス」の「創刊二周年祈念別巻」で)大岡信は「日本的なるものに対してはどうしてもなじめない」のが、自分や武光徹ら同世代に共通する感覚だと述べ、こう続ける。「いまでも僕はぜんぜんなじめないわけで、日本というものを極力相対化したいと思って、そのためには日本のものを扱わなければならないと思うから、和歌とか俳諧とか、そういうものに関心を持っているわけです。‥‥そういう意味では、自分は戦後すぐの時期にヨーロッパやアメリカに憧れたという、あの時代の雰囲気を持ち続けちゃっている‥‥‥むしろ日本的な美意識を相対化することによってしか生きていけないと思うから、その自覚によって一連の仕事をしてきている。」見逃せない自己分析だと思える。なぜなら、『紀貫之』以降、古典詩歌論に力を注いだことによって大岡は「日本回帰」をしたというふうに、しばしばみられてきたからだ。しかし、一連の仕事はむしろ日本的な美意識の相対化のためだったというのである。」(第4章「「唱和」のよろこび」)

「彼ら(60年代詩人)に比べると、大岡は「社会的なもの」を生のまま作品化することに新調だった。だが、この発言は逆からいえば、自分は社会的な問題に深く関心を寄せつつ、それを詩の中に安易に(方法の追求なしに)持ち込むことを厳しく戒めていた、ということになるのではないか。」
(第4章「「唱和」のよろこび」)

 

 



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