本日も横浜市内の4つの区をめぐり歩いた。家についてみると、脹脛と太腿の筋肉がはっており、だいぶ草臥れた顔が、鏡の中に現れた。自分の顔ながら、わびしげである。
ようやく選挙広報が配布となった。国民審査、比例代表、小選挙区と3つに分かれている。配布するほうも、読むほうも大変である。目を通す暇のない人にとっては、これを見ただけでうんざりしてしまうかもしれない。
本日は久しぶりに短時間であったが、移動で使った市営地下鉄とバスの中で「万葉の時代と風土」(中西進)を紐解き、「呪と美と――「袖振る」をめぐって」の前半に目を通した。
本日読んだところは、「茜さす紫野行き標の行き野守は見ずや君が袖降る」(八~二〇)の「袖振る」の解明に当たっている。
この歌は中学生の頃、教科書で読まされたが、天皇の眼前で「袖降る」という行為が認められるはずがないのに、古代にはどういう意味が込められていたのが、結局わからないまま今に至っている。
その後も幾冊かの解説を読む機会を得ているが、納得のいくものはいまだに出会っていない。この解説に期待しつつ目を通した。まだこの節の終わりまで至っていない。
こういう疑問というのは、いったん疑問に思うと、ずーっと気になるものである。