Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「芸術原論」 7

2025年03月07日 21時46分19秒 | 読書

 本日はいつものとおり横浜駅までウォーキング。金融機関をいくつかまわり、いつもの喫茶店に辿り着いた。7千歩あまり。

   

 喫茶店では「芸術原論」(赤瀬川原平)を少々。第三篇「脱芸術的考察」の「脱芸術の科学-視線をとらえる視線」、第四編「路の感覚」の「アークヒルズのエントツ」を読み終えた。

1960年のころ、絵画はなお絵画として世の中にあるが、マグリットの絵に蓋をされた絵具箱の中でのできごとである。芸術を絵画の中におさめようとするのは無理な話だ。収めようとして収めきれない芸術は、絵画の表面にぷつぷつと凸起物となってはみ出してきた。印象派が盛り上げた絵具の厚みのおさらいである。印象派の画家たちは、無意識のうちに絵具を物体としてあらわしたのだ。それがこんどははっきりと意識されて、絵画表面の絵具の中に異物を呼び込んでくる。・・キャンパスと絵具は次第に物体色を強めてオブジェが生れ、作品形態はオブジェからさらにハプニングへと移行した。そこで芸術は形態を失い、すべての物体から蒸発し、行方不明となったのである。私は芸術の抜け出た絵画を梱包した。絵を描く本能を持って生きている画家の筆先から芸術の逃げてしまったことの報告である。」(脱芸術の科学)

 1960年代の現代芸術の大雑把な流れをこのように渦中にいた赤瀬川は理解していたのかとあらためて認識した。私には思いつかなかった把握である。

私の路上観察への入口は超芸術トマソン(ジャイアンツに在籍したゲーリー・トマソンの名にちなむ)だった。超芸術とは、無意味無用でありながらこの生産社会の一隅に存在を続けている物件である。階段を昇った先の入口をセメントで塞がれている無用の階段・・・。」(アークヒルズのトンネル)

 これは有名な話なのだが、もう記憶の彼方であった。思い出すように記しておく。

 



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