髭剃り(シェーバー)を購入後、喫茶店で一服。妻は食料品などの買い物へ。私はしばらく喫茶店で読書。
「日本の裸体芸術」(宮下規久朗)の第4章「裸体への視線 自然な裸体から性的身体へ」を読了。第2節以降、駆け足で「現在抵抗なく受け入れられているヌードが定着するまでの近代日本のヌード芸術家たちの困難な歩みを振り返って」いる。
他にも気になった部分もあるが、とりあえず2個所、私なりに同意できた個所から。
「裸体モデルや、現実の日本人モデルをどのように造形化するかという問題は、戦後、日本人の体形がすっかり欧米化し、・・・極端なデフォルメも前衛思想も必要なくなったのだが、裸体を描くときに西洋人風に修正していまう癖は完全には払拭できていないように見える。戦後、ヌードの舞台は絵画や彫刻よりも写真に移ったため、絵画や彫刻での試みはもはや時代遅れのようになって注目されなくなった・・。」
「(荒木経惟は)、女性の肉体だけを撮るのではなく、モデルの生活臭や人生の哀感を漂わせたり、・・女性の人間性をともに写しているように見える。・・写真家との個人的な関係が見えて部外者に追いやられるためであり、モデルの女性の〈個〉が見えてしまって感情移入ができないからであろう。精神や人格の分離した肉体ではなく、日本的な心身一体の「身」の表象となっている。」