メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

『自分でできるカウンセリング』(創元社)その3

2013-07-03 22:40:25 | 
『自分でできるカウンセリング 女性のためのメンタル・トレーニング』(創元社)
川喜田好恵/著

その1はこちら→here
その2はこちら→here


<part15 不安から抜け出すには?>

認知とは?
私たちは「見たもの」に反応するのでなく、「見たと思った」ものに反応している。
「感じる」のは感覚そのものではなく、外界の刺激を取り入れる「認知の過程」を通して受けとったものに対して。
「聞いたこと」に応えているのでなく、「自分の価値観を通して理解したこと」に応えている。

歪んだ環境・価値観・社会通念などで偏った認知は修正(再学習)ができ、異なる結果を得ることができる。
思考・感情・行動・生理は、関連して1つのシステムをつくっているので、一部で生じた変化は、ほかの変化につながる。


認知行動療法
1960年、アメリカで発展した心理療法。
女性は調整役や人に気に入られることを優先する姿勢が求められ、でなければ社会から排斥される暗黙の圧力もある。
女性は不安感や自責の気持ちを持ちやすく、自己否定に陥りやすい。
もっと公平・合理的・現実的・肯定的なものに変えること。

同じ出来事が起きても、人によって受けとり方・感情がまったく違うことに注目。
悩みを生むのは、出来事そのものではなく、自分の無理な考え・偏った価値観で認識するから。


●論理情動療法
無意識に持った非合理的な考え方に気づき、論理的に論駁(相手の論や説の誤りを論じて攻撃すること)して変え、
結果的に「悩み」を解消する。

●自動思考・体系的な思考の誤り
うつや不安症状の引き金になる。

●セルフ・ステイトメント(自分への語りかけ)
否定的な自問自答を肯定的に変えることで、ストレスフルな場面でも対処できることを明らかにした。
これらは、うつや不安、パニック障害、摂食障害、肥満、アルコール・薬物依存等に活用されている。

●女性の抑うつ
抑うつの中心にある一番の問題は「認知の障害」であり、「感情の障害」は二次的なもの。
もともとの「抑うつへの脆弱性(ひ弱さ)」+ネガティブな自動思考、体系的な思考の誤りがある

自動思考
日常生活の中で無意識に心の中でつぶやいている言葉や文章。
例:「自分は何をしてもダメな人間だ」

体系的な思考の誤り
人を落ち込ませる極端な考え方。

拡大解釈・過小評価
過去のマイナス経験等を拡大解釈し、「どうせ何をしても自分はダメだ」と決めつける。

過度の一般化
わずかな事実や経験から広範囲なことを推論する。

完全主義的・二分法的思考
ものごとに完全かゼロしかないという極端な考えで結論を出す。

恣意的推論
データもないのにネガティブな結論ばかりを出す。

選択的注目
自分の先入観で、些細なことやネガティブなことばかりを重視する。

個人化
自分に関係ないことまでネガティブに自分に関係づける。


とくに女性は、性役割社会での立場、社会経験の少なさなどから、広く、客観的な思考を訓練する機会が限られてしまう上、
虐待や性被害などのネガティブな体験も多い。
女性と「うつ」を考える際、「女性の特性」という偏見に陥らないで済む。


パニックを引き起こさないために
1.危険が起こる確率を過大に見積もる
2.恐怖の対象に常に注意を向け
3.以前の不安体験を選択的に思い起こす
傾向がある。

・パニックとなる刺激は自分の内部と外部の場合がある。
・不安の身体感覚を「我慢できない」「大変だ!」と認知すると、恐怖に対する「二次的恐怖」が生じる。
・それをコントロールできないと感じ「パニック発作」となる。

→その不安を「自分でコントロール可能なものとして認知」できればよい。
自分の体を自覚的に認識し、統合された自分として感じる感覚そのものが希薄な女性が多い。

女性に対するジェンダーを考える上で、自分・社会に対する「コントロール感」の問題は避けられない。


学習性無力感
犬の実験によって、いくら行動してもそれが結果と結びつかない経験が続くと、
「どうせ何をやっても無駄だ」と無気力に陥ることが分かった。


抑うつになる人とならない人の違い
「コントロール不能なのはなぜだろう?」と原因を考えるプロセスにある。

2つの考え方
A.コントロールできなかったのは「自分のせい」で、これからもずっと続くにちがいない。
B.コントロールできないのは「状況のせいで仕方ない」、それは「たまたま起きた」もので、状況は変わるかもしれない。

自分に問題があると責めることなく、時間の経過を待つ。
自分の「刷り込み」を消し去り、別の認知の枠組みを改めて学ぶことが必要。


強迫的思考
ある考えが頭から離れない。気づくと、いつもそう考えてしまっている。

認知の枠組み
1.その思いが自分でコントロールできるか考える(コントロール可能性
2.その思いが自我親和的なものとして受け入れられるか(受容可能性
3.その思いを忘れられるか(忘却可能性

強迫的枠組み
1.自己責任に関するもの。例:「こんなことを考えるなんて、実行したのと同じだ」
2.自己非難に関するもの。例:「こんなことを考えるなんて、自分は悪い人間だ」
3.自己コントロールに関するもの。例:「自分の考えをコントロールできないなんて、ダメな人間だ」

「そんなことないよ」と言っただけでは、なかなか変わらないどころか、逆に
「いろいろ言ってもらってるのに、変われない自分はほんとうにダメだ」とさらに落ち込む。
→認知の再構成が必要。



<part16 リフレイミング>

リフレイミングとは?
「再枠組み」「再意味づけ」という意味。
問題の原因は自分のせいじゃないと気づいたり、問題をどう認識するかが変わり、行動の変化が起こりやすくなる。
自分の考え方を自分で転換できれば、自分を自由にできる。

【ケース1】不幸な母と、長年その保護者役を引き受けてきた「良い子」である娘
冷たく無関心、手のかかる夫や家族の関係に疲れ果て、娘を慰め役・話の聞き役として頼り、コントロールしている(まったくその通り
母の嘆き・非難に応えられずに自分を責める「自動思考」、自罰的、抑うつ的な気分になる。
「自分を責めなくてもいい」となぐさめても、再び否定されたように感じてさらに落ち込む。

母の期待に応えるようプログラムされ、その通りに動いている時は罪悪感は出てこない。
→「この罪悪感は、自立への道かもしれない」「苦痛ではあるが望ましい罪悪感だ」と発想の転換を試みる。

【ケース2】家事をしない夫
「掃除ぐらい手伝ってよ!」→「掃除は誰がする?」と主語を変えて言う。

【ケース3】問題のラベルを替える
登校拒否→不登校→登校渋りなど、リラベリング(ラベルの張り替え)で、問題の意味や影響を変える視点ができる。

【ケース4】問題の枠組みを変える
PTSDなどの症状も「こんな被害に遭ったのだから苦しむのは当然。そんな被害を生み出す異常な社会では正常な反応だ」
心に取り込んだ社会の問題を客観視でき、自責・自罰を防ぐ。



<part17 女性を縛るダブルバインド(二重拘束)の破り方>

ダブルバインド(二重拘束)
相反する命令、二律背反的な状況に陥って、身動きが取れない状態。
女性は感情的・ヒステリック⇔動じないと女らしくない、理屈っぽいと、どちらを選んでも責められる。
疑問を持つ、問題提起をするのも許されない。

【ケース1】嫌われるのを怖れて、友だちの中で自分らしく振る舞えない
「女性は自分らしく振る舞うと嫌われる」というジェンダー社会の問題。
「気にしなくても大丈夫」と言っても、本人の認識・状況は何も変わらない。


逆説的に言い換えることで、どちらに動いても、何らかのメリットが生じる
「実害の少ない場面で嫌われることをしてみたら? 練習になるし、次善の策を考える材料になると思うよ」
→自分で課題を達成する、心配が払拭される経験になる。

「人」と「症状」の関係が逆になり、「人」が「症状」をコントロールできる。
「回避行動」も意図的に取るよう指示されれば、自分を責めなくて済み、問題解決に向かう。



<part18 自分らしさを大切にするために>

他人の考え方や行動に惑わされない
同じ出来事でも、価値観によって、悩みになる人と、そうならない人がいる。
この論理療法は、相手の言動を客観的に理解するのにも役に立つ。


ダブルスタンダード(二重規範)
「その問いは、誰にでも問われるの?」「逆の問いは問われるの?」と考える。
例:「あなたは結婚したら、仕事を辞めますか?」という面接での質問を女性だけにしたら差別になる。
問い自体に問題があるのだから答える必要はないと考えてもよい。

「そんなの、どっちでもいいじゃん」は、議論を打ち切って現状を守るために使われる。
例:「子どもの日曜参観なんてどっちが行っても同じだろ」「じゃあ、あなたが行ってね」と言ってみると、相手の隠された本音が分かる。

「自分は完全じゃない」「世の中は理不尽だという諦め」を理解し、克服するのに必要。



<part19 男社会の支配のテクニックへの対処法>
生物学的な差異は、現代の社会生活を送る上ではほとんど関係ない程度。

1.理論で勝つ
「男は仕事優先」という考えが、女性を家事&仕事の二重負担に追いやって社会参画を妨げたり、男を過労死に追いやったり、熟年離婚に至らせたりする。
この正攻法は、「女らしさを放棄している」という攻撃を受けることは予測できる。

2.実力で勝つ
「実力で勝つ」ことは「女を捨てる」ことではない。
淡々と仕事をして、実績を挙げ、実力で相手を超えればいい。
人の間違った理屈や価値観をいちいち修正してエネルギーを使う必要はない。

3.無視して相手にしない
もっとも楽な方法。「私は私」と聞き流す。

4.同じジョークで切り返す。知的に勝つ

5.相手の差別的な態度を利用する
食事をごちそうになる、力のいる仕事をやってもらって、ほかの仕事を片付ける。
続くとある意味、危険な方法。

6.肩書き・レッテルを外して見る
ノンバーバル(言葉で表現されない部分)が、人の本質を表現している。

7.女性嫌悪を女性恐怖と気づいて余裕をもつ
「怒らせたら怖い」など、暴力的になる大きな理由は、恐怖・怯え
最後まで追い詰めず、逃げ道を用意しておくのも賢い方法。
人は、弱点を突かれると感情的になり、怒鳴ったり、威嚇してくる。今後の危険予防のためにどの言葉が刺激したか知っておく。

8.冷静に矛盾を分析して対応を決める
例:「子育てに専念したいとは思わないの?」などの男性側の質問に、同じ質問を返してみる。

9.別の価値観、人生、領域を考える
上記を試しても差別を繰り返す職場より、いきいきと働ける職場を探す。



<part20 支配と特別扱い>

1.保護と支配は紙一重。保護されている=相手との関係が対等ではない。
例:レディファースト、女性割引(賃金が男性と同じなら半額にしてもらう必要はない

2.強者は弱者なしに存在できない
支配する側は、支配される存在を必要としている。
どうして支配が起こるのか、構造に気づいておくと、傷ついたりせずに、問題整理ができる。

3.「知っていること」と「伝わっている」ことは違う
自分で分かっていても、伝えなければ相手は無視することができる。

4.自己表現・主張の方法を身につける
自分の思いを人に伝えるのは、けっこうエネルギーの要る作業。
「言いたいことは言ったけど、自分の望む結果にならなかった・・・」ということもある
相手に伝わりやすい方法や工夫を考える。

5.自立・自律していないと、自分を大切にできない
経済的な自立は精神的自立・社会的自立と密接に関係している。
夫に経済的に依存している妻は、関係が悪くなったら、お金の使い方や生活の細部に自分の意思を大切にすることが許されなくなったり、
関係が終わることで生活が困窮することもある。

「妻の収入が夫の4/1では、夫婦の支配関係は変わらないが、2/1以上を超えると、大きく関係が変わる」という調査結果がある。



<あとがき抜粋メモ>

水平の暴力
抑圧されている人間同士の間の心理的な暴力。例:「女の敵は女」、妬み、陰口など
被支配者が分断、対立していれば、支配者にははむかいにくい。分割統治・分断統治。

自分を大切にできていないと、意図せずに人を傷つけることがある。
他者からの何気ない言葉に傷ついたり、必要以上に自己防衛的になったり、
「あなたのためにしている」と言って、相手を利用したり、
自分の弱さや嫌な部分を相手の中に見て攻撃しているケースも珍しくない。

自分で自分を枠にはめていると、同じ枠で相手を見てしまう。
例:「私は女だから我慢しているのに・・・」→「女のくせに・・・」

逆に、相手の中に見るプラスの力を自分に当てはめて、「あの女性にできるなら、わたしにもできる可能性がある」とする。
自分なりの力があると信じると、人を羨む、妬む、恐れがなくなる。


「気にする」と「気づく」はまったく違う
人の評価や目を気にする:自分中心に考えてしまう弱さからくる。
人の気持ちや周囲のニーズに気づく:自分を離れて、ありのままの相手を見れる強さがある。

今、女性が再確認しようとしているのは、自分の中から湧き出て、自分を支え、
コントロールする力、自分のために使う力。

1970年代の「フェミニズム」は心理学にも浸透し、カウンセリングにも反映されてきた。

親が自分の人生を、自分のために誠実に生きることが、子どもが自由に生きることを可能にする。
(そう、それも母に言い続けたけど、結局理解してもらえず、逆に責められたんだよな。。

コメント

『自分でできるカウンセリング』(創元社)その2

2013-07-03 22:02:48 | 
『自分でできるカウンセリング 女性のためのメンタル・トレーニング』(創元社)
川喜田好恵/著

その1はこちら→here
本書は1995年発行の同タイトルのものを時代に合わせて大幅に変更・加筆したもの。
著者が実際、自治体の女性センターで相談・カウンセリングの現場で、
「楽になりたい」「自分らしく生きたい」という女性の訴えを見てきたことも反映されているという。

前半では、女性差別がまだまだ形を変えて残っていること、
その旧態依然な社会システム・商業ベースに絡め取られている背景に気づくことが大事と書かれていて、
後半には、より具体的に、じゃあどう対処すればいいかまで詳しく書かれていてとても参考になった。

書かれている事実は、だいぶ昔から気づいていたことだったけど、
男女ともに無意識に巻き込まれている状況で、女同士でも意見の相違が生まれることも多々あり、私はさらに深く傷ついていた。
母と娘のケースの話はとくに、これって自分のことを書いてくれたのか?って思われるほどリンクしっぱなし/驚
今、実行しているカウンセリングや、認知行動療法のことも出てきて、一人じゃどうしても理解できないことも
具体例でまたちょっと近寄った気もするが、やっぱり難しいことも多いなあ!


【内容抜粋メモ】

<part9 心の基本的人権>
きちんと自己主張ができてこそ、相手の主張を受け止められ、互いの関係調整が可能となる。
人と違っていることは、自分を否定することではなく、価値あること。
「和」を尊ぶ日本では難しい。日本では「90%が言えば善」になりがち。
「私は独身でも幸せ」といくら言っても信じてもらえない。自分の不幸は不問のままで。
「そういう人がいるんだ」と、社会的通念・過去の経験にとらわれず自己開発するのもねらい。
自己評価がきちんとできる人は、他人からの評価で動揺する度合いが少なくて済む。

【心の基本的人権】
自分の気持ちは変わってゆく
考えや生き方が変わってこそ、自分の可能性を切り拓いていける。何かを得れば、何かを失う。
人が成長するとは、変わることでもある。


感情に良い・悪いはない
「喜怒哀楽」の喜・楽は歓迎されても、怒・哀は責められる。
例:「あなたにイライラしている」と言えず、「あなたのためなのよ」とすりかえる。

「嫌い」という感情を正当化するために欠点を探したり、言い訳をしがち。
例:「腹を立てる自分は、人間ができていないんだ

感情を合理化する必要はない。自分の感情を認め、受け止めれば、表現の仕方はコントロールできる。
例:「あの人なりの良さがあるだろうけど、私とは合わない」で済ませれば良い。


不完全でもいい
完全主義の人は、「やるなら完璧に!」「自信がついてから」と思うあまり一歩踏み出せない。
「女は無知のほうが可愛い」という社会。「できませーん」と甘えるのは自分を下位にして保とうとする歪んだ関係。
知らないことは「知らない」と言えること。


取れる責任と、取れない責任がある
女性はとくに愛情関係において「取れない責任」まで取ろうとしがち。例:「私がやらなきゃ・・・」
主体的な決断が働くことには、親といえども責任は取れない。取ってはいけない


失敗をする権利
人は失敗を乗り越え、やり直しをしてレパートリーを増やす体験をしなくては成長できない。
「自分の人生に失敗は許されない」なら、生きることなど到底ムリ。
生きるとは、絶えず結果の分からない一歩を踏み出すこと。


「ノー」と言う権利
やりたくないけど「相手が困るから」「世の中のため」などつい「イエス」と言ってしまう人。
「ノーと断れば悪い感情を持たれるのでは?」「人間関係が不安になる」と思ってしまう。
いつも無理しなくてもいい。「できるかもしれないけどしたくない」もアリ(笑。そうだね


行動を起こす権利
いつも受け身でなくてもよい。
「私はここです!」と手を挙げるより、ひっそりといて、誰かが気づいてくれるまで待つというのが「女性の美学」とされてきた。
それは男性が気づきたい時しか気づかないというからくりが隠れている。
すると、相手に媚びたり、操作しようとなりがち。


10か条のルールはただ1つ。
「自分にある権利は人にもあるし、人にある権利は自分にもある」

権利を増やしてもよい。 例:人の期待に応えない権利
相手も私の期待するように動くとは限らないという覚悟も必要。

「人はその人の思いで動く自由がある」と意識することで、相手の行動に動揺せずに関係を築いていくことができるし、
相手に対しても縛られる感じを与えずに付き合える

「辛い、苦しい」という弱さや本音を「頑張ればできる」と理性で説き伏せようとする人は、
自分に対してなかなかノーが言えない。
→「私は苦しくても頑張っているんだから、あなたも頑張って」というプレッシャーになる。
相手を傷つけたり、防衛的にさせずに、適切に自己表現する方法を知る。
意見や価値観の違いを認めた上で、相手と付き合う方法もある。


自己表現が出来ずに受け身だったり、自分を抑えて気持ちが言えなかったりする。
その対極は、自分の考え、感じ方を人に押しつけ、攻撃し、人を軽んじる。
1つの行動で相手の人格の全体を判断・評価すると、非常に攻撃的な態度になる。


「いつも○×だ」という一般化
一般化は、どんな口調でも十把一からげにするという意味では、攻撃的になり、人を傷つけ、束縛する。


主語をはっきりさせる
主語をはっきりさせないのは受け身の特徴。誰が、誰に向けて、何を言っているのか分からないと、
相手はたとえ気がついていても気がつかない振りをすることもできる。

日本にはそれとなく察しをつける文化がある。
本音が言えないのは、相手が傷つくんじゃないか、関係が悪くなるんじゃないか、という不安があるから。
意見を表明する権利は、それが通るかどうか、正解かどうかは別にして、表明すること自体に意味がある。
これが自己表現トレーニングのベース。


自分のことは自分で決める
他人に決定してもらうのは、他人に責任を取らせているということ。
それでは、付き合う人のほうが気が重くなる
「なんでもいいわ」と言われたら「じゃあ、あとで文句を言わないでね」と歯止めをかけるケースもよくある。
任せた側は結果に不平を言わないのが最低限のルール。


「小さなことだから」と我慢を重ねると、相手が疎ましくなったり、怒りや苛立ちがたまって、
なにかの拍子に爆発して、関係を断ち切ることになりかねない。
「次はこうしてくれたほうが、私はありがたい、嬉しい」と言うほうが、長続きする関係が築ける。


「イエス」「ノー」ははっきり言う
ノーと言いたい気持ちがあっても、相手にどう思われるか不安、自分の立場が不利になる危険を冒したくないと、
あいまいな返事をしていると、ノーと言いづらくなり、嫌々「イエス」と言うハメになる。
「ノー」と言うなら早い段階がよい。あとになるほど言いにくく、相手の期待は勝手にふくらむし、
引き伸延ばしている自分に負い目が増える、あとになるほど関係へのダメージも大きい


苦手な相手にもひとまず挨拶する
たとえ腹に一物あっても、相手の存在を認めるという意味で挨拶ができるのが大人。
それができない人は未熟。自分が思い悩むことはない。


相手を褒める、褒められたりできる
日本人はおせじは上手だが、褒めるのが下手。
協調性がない→一人でもちゃんとやれるという発想の転換が必要。


不要なへりくだりや、お世辞で人間関係を築かない
やたらに人の世話を焼いたり、尽くしすぎたり、自分を頼っていると思い込む→自己イメージが低い。
謙虚と卑屈は違う。


一般化・絶対化しない
ある事柄を拡大し、一般化・絶対化した言い方は、その表現自体が穏やかな感情論。
例:「だから女には任せられない」「子どもにはお母さんの笑顔が一番」
善意から出た言葉のようでも、自分を支えたい善意だとすれば「小さな親切、大きなお世話」。



<part10 自己表現のケースワーク>
具体的な暮らしの場面でどう自分を変え、他人との関係を変えていけばいいか?

自分を知る5つの窓
「いま、ここで」の自身の状態を十分に知り、相手に示して分かち合う姿勢が大事。

1.何を見ているか
2.何を感じているか
3.何を考えているか
4.何を望んでいるか
5.何をしているか

自分の言いたいことをはっきりさせると、相手にも分かりやすい。
「感情」と「考え」はよくごっちゃになる。

高圧的・権威的な人に弱い場合、声の調子に弱いのか、顔つきや表情に弱いのか等知ることで、
会うのはやめて電話で話すなど対応策が立てやすい。


自分の気持ちには案外気づきにくいもの
感情とは解釈によってずいぶんと違ってくるもの。
矛盾した感情を同時に抱くこともある。無理に整理せず、混乱している気持ちをありのまま認める。
過去の経験や、これまでの事柄をもとに思考を組み立てると「これはこうだ」とステレオタイプ化しやすい。


自分の望みをはっきりさせる
望み・意図を最初に相手に告げるとコミュニケーションがすっきりする。
コミュニケーションがこじれるのは、望みをわざと隠している時や、自分でも気づいてない場合。
例:「とにかく話を聞くだけ聞いてもらいたい」

ちょっとした表情もコミュニケーションに影響を与えるから、自分で気づくことも大切。
例:言いにくいことを言う時に目を伏せる、語尾を濁す等


ありのままの自分を受け入れる
「この人に意地悪がしたい」等、人にも自分にも受け入れにくい気持ちも、自分の意図に気づくことが大事。
力に差がある関係で起こると、弱者にとって破壊的になる。例:「モラル・ハラスメント」


相手を大切にする=相手の気づきを尊重する
自分の「気づき」がない人は、相手の「気づき」を受けとめにくい。


「アイ・メッセージ」:「私」を主語にした表現で話す
例:「私は嫌な思いをしている」

感情を伝えることは、感情的になることとは違う。
例:「ゲシュタルトの祈り」



<part11 カウンター・ムーヴ(対抗的な動き)への備え>
親子・夫婦のように長くて深い関係を変えるほうが案外難しい

不満な関係でとる2つの態度の不成功例
1.相手に説教、説得、挑戦、対決することで相手を変えようとする。
相手は怒って防衛的になり、エスカレートして言いすぎたり、自責の念に襲われる。

2.最初から諦めて、関係を断ち切る。
単に関係から逃げているだけ。


【ケース1】娘の自活に対する母のカウンター・ムーヴ例
1.「あなたの考え方はおかしい」

2.「今のままでいいじゃない」
ある意味では甘い誘惑(懐柔)。母を説得するのに息切れすると、振り出しに戻りもとの木阿弥。

3.「病気になったらどうするの?」等の脅し

これらは相手が卑劣とか、自分が至らないからではなく、家族というシステムの性質がある。

変化に対する、元へ戻そうという動き
システム=互いに有機的に関係している人間の集まり
その中の人が変わろうとすると、システム全体が影響を受けるから、できるだけ元の状態を保とうと働きが起こる。
新しい状況より、少しくらい不便でも慣れ親しんだ状況に留まろうとする。


カウンター・ムーヴには反応しない
カウンター・ムーヴが出た時は、それに気づいて、巻き込まれない、反応しないに尽きる。
母にそう言わせないよう食い止めることも無理。
大事なのは、自分の決意や行動は変えないこと。
そのことに自責の念は持たなくてもいい。

相手との間に情緒的な距離をおかず、温かくオープンな態度を取りつづける。
新しい状態を既成事実として積み重ねる→気持ちも変化に追いついてくる。


【ケース2】母が娘に兄と嫁が帰省しないと愚痴る、娘のとりがちなカウンター・ムーヴ例(全部体験済みだよ
1.母と一緒に兄を責める→兄妹の関係が悪くなる
2.「結婚したんだから当たり前」と兄をかばう→母を責める形になり、娘と母の関係が悪くなる(私はこう言っちゃったな
3.母と兄の仲介の立場をとる
→両方が娘に腹をたてるか、両方から無視される。仲介者の距離はとても難しい。「いい子志向」があればなおさら身動きできなくなる。
母と兄が自分たちで問題解決するチャンスを奪う。

4.ともかく母を避ける→心配な気持ち、怒りも引きずる。

どれも解決策にはならない。
(なんだか、どれも私のこと?てくらい当てはまる


「2人のことは、2人に任せるわ」
自分の気持ちまで同調させる必要はない。
「兄夫婦については、わたしが聞いても仕方ないし、聞きたくないわ」と言って付き合わないようにする。
「こうしてみたら?」というアドバイスもしない

上記の態度は、日本では「冷たい・水臭い」と思われがちだが、互いの感情に巻き込まれずに線を引くことが大切。



<part12 怒り・恐れの自己表現>
子どもの頃から怒りを抑えられると、自分の中の怒りの感情を自覚することすら諦めてしまう
→悲しみ、諦め、絶望、無力感に変わって心に積もり、病にもなる。


3種類の脅威
悪口を言われる、無視される、理不尽な要求をされる→最初に感じるのは脅威。

1.身体的脅威 例:大きな声をあげてテーブルを叩く
2.社会的脅威 例:変な噂をたてられる
3.精神的な脅威
例:政治家の不正(信念・価値観が揺らぐ)、飢餓で苦しむ子どもの写真(自分の無力さを見せつけられる)


脅威にあった時の反応パターン
1.泣く・すねる
幼い時に習い覚えたパターンの繰り返し。人の力で事態改善を期待する。
自分をかわいそうに思っている。「本当は自分は悪くない」という自己正当化もある。

2.逃げる
3.怒る
4.落ち込む
怒りが自分に留まっている状態。自身に向かったり、卑下・自己否定・怒りに蓋をする。
感情的なエネルギーがすべて感情抑制に使われて、やがて喜びなど他の感情も感じなくなる。

怒りは本人と周囲に認知されればいろいろな対応の可能性をはらんでいる。


●怒りの受け止め方
女性が怒るのは「女らしくない」とされ抑制されてきたため、自分は怒っているという認知ができなくなっている。

1.怒りを感じる

2.怒りに気づく
「怒ってない。心配してるんだ」と周囲に受け止められやすい感情にすり替える。
→「なんだか押しつけがましい」と思われる。
伝えることは、ぶつけることとは違う。怒りと攻撃も異なる。

3.怒りを認める


怒りは小さいうちに伝えるのがコツ
「好きじゃない」「賛成できない」「あの人のあの態度が嫌い」「イライラする」
我慢していると怒りはたまって、小さなきっかけで爆発し、攻撃に変わる。
攻撃は相手を傷つけ、打ち負かすのが目的。相手も防御のため応戦してくる。


怒りの伝え方、6つのポイント
1.怒りは小さいうちに伝える
2.自分を主語にする
3.具体的に、はっきりと 例:「ああ言ったのはフェアじゃないと私は思うよ」
4.いつ、どこで言うか選ぶ。一般論でなく、自分の気持ちを話す。
5.言いっぱなしにしない
6.勝とうと思わない

暴力・暴言は生まれつきの性格ではなく、後天的に身につけた対人パターン。
「外で怒りを出せないから、家の中で吠えるのは仕方がない」と容認しない。



<part13 関係を育てるコミュニケーション>
「どうせ聞いてもらえない」、「聞いても分からないだろう」という経験が重なると、感じることも避けてしまう。

1.伝えたい内容:何について話すのか。自分は何が言いたいか
「私は言いたいことを言ってみたから、あなたはどう分かったのか話してみてくれない?」とフィードバックさせる。
ズレがはっきりし、追加・訂正箇所がつかめる。

2.伝える環境:どういうか、いつ、どんな場所で、どこまで話すか。
「ミニ・コントラクト(小さな契約)」:慌しい朝に、準備がない時に話され、応答の余裕もないと怒りにつながる。
「どう受けとられたか」は関係に影響する。
時間を限ったほうが良い場合もある。たまった気持ちを背負った2人がいつまでも話し続けてもうまくいかない。
家以外の場所を選ぶのも大事。家は感情的になるのを許すスペース。
「家庭療法」には、家族において優先するのはまず夫婦の連帯関係。

3.伝える態度:2人とも問題に真剣に取り組む気持ちをもっているか
「私の言ったこと分かってるの」は非難になる。
相手を大事にすることは、想像で気を遣ったり、気を回したりではない。
2人のうち1人がこだわっている問題は、2人の関係に影響を与える。「適当でいいよ」では十分ではない。
キャッチボールしながら、問題を2人の間で泳がせてみる。

コミュニケーションがうまくいってるなら、わざわざ意識にのぼらせる必要もないが、
うまくいってない時は、チェックしてみる。



<part14 子どもは授かりもの? 預かりもの?>

●子どもにたくさんの習い事をさせるべき?
遊ぶ時間を削って、人と競争する生活は、成長のためのエネルギーを使い果たしてしまう。
思春期にアイデンティティと取り組む時エネルギーが尽きてしまっている子どもが多い。
すべてには「時」と「当事者の状況」がある。


子育ては「投資・成果・経済論的発想」とは逆
英才教育がマスコミで取り上げられ、親にも多くの経済的見返りがもたらされると思われがちだが、
その背後には何十倍もの挫折があることも忘れない。
「お受験」などの背景には商業ベースもある。


親が未然に代わってやってしまうと、子どもは生活体験が少ないまま成長する。
→親・教師・マニュアル等、自分の言動をコントロールしてきた者がそばになくなると動けなくなる・動かなくなる。
欲求は完全に満たされてしまうと意欲が沸かず、動機づけが少なくなる
本音は、自分が自由に動ける範囲から外に出たくない。
子育ては、子どもが自分を守り、発揮できるような力を身につける手助けをすること。欲求を満たすばかりでなく我慢することも必要。


「子どもは自分のもので、自分の好きなようにしてもいい」と自分の経験で子どもの気持ちを推し量ったり、価値観を押しつけてもいいわけではない。
子どもはまったく別の1人の人間。18年ほど世話をさせてもらい、その後は社会に返す。

(つづく

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『自分でできるカウンセリング』(創元社)その1

2013-07-03 12:00:23 | 
『自分でできるカウンセリング 女性のためのメンタル・トレーニング』(創元社)
川喜田好恵/著

図書館巡りで見つけた1冊。
その昔『シンデレラ・コンプレックス』を読んだ時の衝撃に似ている。
一言一句に「その通りなんだよー!」て共感しまくりで、こうしてちゃんと文章化して、書籍化してくれて有り難い思いがした。

均等法成立から20年経った今でもなお意識の中に深く根付いている理由は、
「男は強く、女は可愛くあらねばならない」「男は仕事、女は家事・育児」っていう考え方が
親から子に無意識・意識的に伝授されるということに加えて、
目に見えない、うまくカムフラージュされた形で社会やメディアから溢れる情報によっていまだ残っているから。

「ダブルバインド(二重拘束)」の背景と、それを克服する「エンパワーメント」などが分かりやすくまとめられていたオススメな1冊。


【内容抜粋メモ】

<part1 結婚したい、したくない?>
女性の大学進学率が上昇し、卒業後は仕事に就く女性が大半になった。
かつて「クリスマスケーキ」(25歳)、「三十日そば」(30歳)と言われた適齢期もなくなってきた(そんな言葉知らなかった
それでも、結婚しても、しなくても、何かモヤモヤしてしまう気持ちはどこからくるのか?

「性役割意識」が以前より見えにくく、微妙な方法で女性の人生に影響を与えていることが関係している。
シングルで働く女性を見てきた次世代の女性の目には、先輩が頑張りながらも多くの抵抗にあってもがいていたり、
テレビなどで堂々と発言する女性が男性からからかいの対象になっているのを見て「しんどそう・・・」と思っている。

結婚が選べるものになった結果、
「どうせ結婚するなら、人からうらやましがられるものでなければならない」
「不幸な結婚は避けなければいけない」とハードルが上がってしまった
結婚して「こんなはずじゃなかった」と思っても、その不満や不安を人に言うことを女性はためらう。

「結婚しない女性の増加」「子どもを産むのをためらう女性の問題」は、女性の問題ではなく
「女性の自己実現と相容れない結婚制度や、性役割分業の問題」
「家事・育児・家庭の管理を女性に任せようとする社会の問題」



<part2 可愛いくなければ女じゃない?>
「カワイイ」という言葉は、日本女性を語る上で重要なキーワード。
女性タレントは身長153cmが理想と言われる。日本人男性の平均身長で手を伸ばして肩を組むのにちょうどいいからという男性基準。
女性雑誌にあふれる「カワイイ」「フェミニン」などのコピーは「女らしく、可愛くなければ生き残れない」というメッセージ。


女性性はマーケティングの対象
「カワイイ」の追求は「性の商品化」にもつながっていく。
1970年代「見られる存在から見る存在へ」というスローガンがあった。
「男が見る、女は見られる」という構造は変わっていない。
ボディラインが露わなファッションを見て、「自分(彼女)が好きでやっていること」と自己表現が歪んでいる。
男性に都合のいい女性のイメージを強調する表現を押し付けられても「抑圧」と感じられない。


●バラエティ番組、映画・ドラマ、ゲームの影響
男女の性役割モデルに変化がない。
本能で生殖行動が定型化されている野生動物と違って、ヒトのカップルができるまでのプロセスは社会的・文化的な仕組みが必要。
「お見合い」というシステムも一例。



<part3 カレシは欲しい、でもいるとしんどい?>
DV=夫や恋人間で起こる支配・暴力のこと。「デートDV」等。
ネットの時代になり、男女交際は規格化されたモデルや流行が強く影響するようになった。
ケータイは、「監視と拘束のツール」にもなり得る。
背景には、相手がそばにいない時に何をしているか不安で仕方ないという、
人間関係を維持する能力の低下・コミュニケーションの問題がある。

「相手がいないと自分の価値が下がる・肩身が狭い、相手がいると縛られて不自由」
シングルだと「女として不幸じゃない?と言われる。
一方、男性の場合はカノジョがいないことより「仕事をしていない」ことが致命的な打撃となる。


赤ちゃんは産めるうちにという生物学的な期限説
「駆け込み結婚・出産」に走ったり、「女の幸せゲームのゴールは赤ちゃん」という古い考えが
「少子化の克服」などにすり替わっている。
しかし、実際の出産・子育ては、会社のプロジェクトでも、愛らしいペットでもない大仕事

就職して5年後、10年後は、仕事が面白くなる時期。そこに「適齢期」が重なるため、キャリアを諦めるか決断を迫られる。
子育ては楽しいが、キャリアにはならない。
「幼稚園に子どもを送る時、出勤する女性を見ると後悔する」という訴えも多い。

どこに達成感を感じるかはヒトそれぞれ。
自分の能力を発揮して、賞賛として返ると「達成感」が得られ、物事を行う上での動機づけになる。
しかし、「成果」などの仕事と真逆の子育てに適応させることは大変なシフト


<part4 母と娘の関係は?>
カウンセリングにくる女性の悩みの背景に母親が登場することが多い
母のために「良い娘になろう」と必死に努力した結果、パートナーや子どもとの関係を妨げたり、自己実現の邪魔になる。
単なる「子離れ・親離れ」ができない問題だけではない複雑な背景がある。

母親は、娘を自分と同じ役割につかせるよう育てることを社会から期待される
+母親自身の願いでもあることがカウンセリングで明らかになることがある。
母親が自分の結婚に不満・後悔を感じていても、娘には結婚を望むことが多い

女同士の絆が深まるという期待、「愛情という名の無償サービス」を娘が受け入れることで
自分がやってきたことを認めてほしいという願い、老後の介護役の確保等。
「不幸な結婚は、たまたま相手が悪かったから」と思っていて、結婚制度の持つ問題に気づかないまま、娘に同じリスクを負わせる。
妻が経済的・社会的に夫に依存せざるを得ない仕組みが根っこにある。


母親は娘の自立を応援できるか?
「あなたは仕事して一人で生きたほうがいい」は、現実の無力感、男性に対する不信感から。
娘は母親が自分の問題から逃げている・合理化していることを感じ取り、アイデンティティの混乱をもたらす。
幼い頃から「世話係・愛情供給係」を引きうけ、母親を残して自立することに罪悪感を抱く。


息子と娘の育て方の違い
息子は子どもであるだけでなく、男性であることで愛し、世話をする対象。
一方、娘は幼児期に入ると性役割を期待され、「可愛く振る舞い」「弟・妹の面倒をみる良い子」に育てられる。
小学生の女子は男子に比べより周囲の気配や、父母の期待に敏感に応えようとする。
「可愛くて、優しい子、人の気持ちを察する思いやりのある子」が女子の理想像

「もっと甘えたい」「もっと愛されたい」という欲求を抑え、一番大切な母親の孤独を癒し満たすことが最大の仕事になる
とりわけ女子のほうが母親の気持ちに対して責任をとるよう育てられる。

父母の関係が良くなかったり、親戚の間で辛い立場にあると、家族の仲介者の役割を担おうとする
母親を幸せにできなかった無力感を抱いたまま成長し、自分が愛情を受けて楽しむことに後ろめたさを感じたり、
挫折感から子育てに自信を失ったりして、本人も無意識のうちに母と娘の問題が繰り返される。
助けが必要な時も、「お母さんには対処できないだろう」と母親から愛情・援助を求めることをためらう。

「娘がなかなか結婚してくれない」という相談の裏に、本音はこのまま一緒にいてくれれば心強い、老後の世話係として手放したくない気持ちがある。
不満な夫の代わりに寂しさを満たしてくれる、母としての生き甲斐の延長にもなる。

パラサイトしている娘は、掃除・洗濯・ご飯など、ぜんぶ自分でやるのは無理というのが本音。
しかし、親の介護の問題に突き当たる。日本では、家族に女性がいれば当然、家事・介護は彼女の責任とされる。
「保護という名の保管・管理」「あなたのためだから・・・」は、「愛に名を借りた支配」だったりする。


独身キャリアを選んだら?
従来の性役割社会から降りたキャリア組は、まだまだマイノリティの存在。
「こんなに生きづらいのは私の性格が原因か?」「やっぱり女性が一人で生きるのは大変?」と思ってしまう。
周りからは「キャリアを選んだなら、男みたいに働け」と要求する一方で、「女らしくない」と非難する→「ダブルバインド(二重拘束)」

酒井順子さん著『負け犬の遠吠え』は、
「自分は本流から降りているのは自覚しているので、どうぞ放っておいてください」というテーマで書かれたが、
「負け犬」という単語だけ一人歩きしている状態。
職場には男性の価値観が残り、家庭では女性の役割分担が残っている状態。



<part5 表面から見えにくくなった性役割分業>
男性の子育ては、運動会などの「ハレの日」のみの「いいとこどり」に妻は不満が募る。
どうせなら楽しい部分だけじゃなく、日常の家事もひっくるめて担って欲しい。共働きならなおさら。
妻は「文句ばかり言っているようで自分でもイヤ」とコミュニケーションから撤退してしまう。
出産・子育ても商業ベースに乗ったイベントになってきたことにも関係する。

男性の意識のみならず、女性の「家事・育児は結局自分の仕事だ」という刷り込みもある
「夫は家事に協力的だ」ではなく「家事は夫婦で分担するもの」。
「気づいた人が損な役をやる」のではなく、「気づいても、敢えてやらない勇気を持つ」か、
「洗濯は誰がする?」など「主語」を変えてみる。
不満は言葉で伝えなければ伝わらないし、普段何もしたことのない夫にはすぐに実行できない。
逆に夫が病気、失業したら、収入が途絶え、妻が働こうとしても難しい。日ごろの「ライフスタイルのツケ」。


自分の思いを伝えることと、その通りにするよう相手に要求することは違う
「わかってほしい」と感情で言っても良い結果にはならない。
疑問を感じてもうまく言葉に出来ない辛さが、相手への不満になって不完全燃焼を引き起こす。



<part6 DVは“男らしさ”の束縛から?>
社会は、男性には「強さ・逞しさ・積極性・理性」などを期待する。
内閣府調査では、パートナーのいる女性の24.9%が身体的暴力を受けた経験があるという結果が出た。

なぜ、加害者は男に多いのか?
情緒的には女性に頼りながら、それに怒り・憎しみ等の屈折した感情を抱えて、女性を暴力で脅かし、支配するのがDVに走る男の典型。
女性を殴ることで、自分の無力さ・自己嫌悪から一時的に逃げている。
母親だけが子育てをしている家庭では、子どもが母親に精神的な依存を進め、それが続くと父親は子育てから遠ざかるという。
結果、息子は「自分を満足させてくれるもの」として女性を「所有」するようになる。

無力感を感じると女性はうつになりがちだが、男性は暴力、薬物依存・自殺などに走るのはなぜか?
男を不自由にしているのは「力・権力・所有」
優越志向・権力志向(自分の意思を他者に押しつけたい)・所有志向という欲求。

会社で問題があったり、経済的責任を負えなくなって、「男らしさ」を追求する手段を失うと、
男性は自尊感情を損なう。それを取り戻すために、女性を威嚇し、暴力で支配しようとする。
人間関係を築くのをやめ、モノの世界に居場所を求めると「コレクター」「オタク」になる場合もある。


●自尊感情を保つ男女の違い
大阪近郊でのDV実態調査では、男性の6、7割が「妻に暴言・暴力をふるったことがある」と答えた(多すぎないか
割合で最多は40代の「働かされ盛り」。企業社会でのストレスも背景にあると考えられる。

ストレスにさらされた時、人間関係に悩んだ時、どう行動するかの基礎は、生育・環境で育まれる。
子どもが問題にぶつかる前に母親がとりのけてしまうと、子どもの精神的成長は止まる。
そのまま大人になると、トラブル時に「他者に責任転嫁」しがち。


●自分の気持ちのコントロール
自分の感情処理が苦手→だだをこねる幼児と同じ。
男は手が出ても仕方ないと暴力の容認してきたのも問題。
最近の「草食男子」は、そんな「男らしさ」の枠組みや競争から降りることを選択した人たちではないか。



<part7 エンパワーメントとは?>
「女だから」という抑圧や阻害を取り除いて、本来の力を発揮すること。
枠を取り払うと、ありのままの自分の姿・能力が見えてくる。自分を「縮小コピー」にかけないこと。


ジェンダーとは?
生物学的な違いとは異なり、歴史・文化の中で作られた社会的な性の区別。
女=妊娠・出産ができる(生物学的)。子育てを女性がする習慣(ジェンダー)。
男=筋肉量が多い(生物学的)。男は理知的で、女性は感情的だという固定観念(ジェンダー)。
日本は特に強固で、「あるべき姿」に自分を当てはめてしまう。


●現代の若者たちの脆さ
相手の気持ちを想像できない、問題が見えない・気づけない、断られたらどうしたらよいか不安など、枠組みからはみ出す問題に対処できない。
苦労の少ない豊かな時代に育ったことの弊害か。
教えられた知識より、経験で学んだことのほうがよく身につく。自分で判断し、動く経験が大事。
自由に動けるようになるには、まず自分にOKを出し、潜在する力を引き出すエンパワーメントが必要。


リストカット
親や社会が子どもを病気や事故等から守る最大限の努力をして危険から遠ざけた結果、「身体感覚の希薄さ」がある。
血が流れるのを見ないと「自分のカラダ」を感じられない子どもがいる。



<part8 女性と職場>

「特別扱い」は差別のはじまり
チヤホヤされる=軽く扱われ、無視されることと同じ。
「女性にいれてもらったお茶は美味しい」(言われたことある)などの特別扱いの裏には、
「男性社員が知ってる情報が女性社員には伝わらない」など、「ラッキー♪」と思えることでも、気づけば同期の男性社員との差が生まれる。
女性の意見は軽視・無視され、正論を言う・相手を議論でやり込める→敬遠され、ジョークやからかいの対象にされる。

差別的な扱いで傷つき、それを問題にしたことで、「女らしくない」と言われてさらに傷つく。
ついつい相手の理不尽な言動を我慢し、見過ごすと、その積み重ねでますます差別的言動が増長する
「女らしくあろうとすれば一人前ではいられず、人として尊敬されようとすれば女らしくないと言われる」→「ダブルバインド(二重拘束)」
「女らしさ」はセクハラのターゲットにもなりやすい。


自己表現トレーニング&認知行動療法/驚
「自己表現トレーニング」テスト:30問に答えて点数を計算する。
A:非常に消極的、受け身。B:自立ができていて、自分を生かす態度。C:積極的になりたいが、やり方が分からない。
(私のテスト結果は、A3、B10、C7ってことでBが一番多かったけど、気持ち的にはAな気がするなぁ。
 なんだか質問内容と答え方に矛盾があるような感じで難しかった

イヤなことは、相手に言えることなら言えばいい。言えないことは割り切って、八つ当たりせずに済むようになるのが目標。
「気のおけない仲間」とは、相手の評価が気にならないということ。
人が自分をどう見ているかに気づくことは大事だが、それを気にするかどうかは別問題。

妥協せず自分のやり方を通すことの問題点は、今までの我慢の裏返しとして出てしまう。
例:「お墓のことだけは私の思いを通させてもらいます!」

妥協しながら相手との関係を調整するのは、かなり円熟した能力。
「オール・オア・ナッシング」ではない。ゼロよりは70%で我慢するなどで対処。

「思い通りにならずに落ち込む」のは、まだ引きずっているものがあるから。
「次善の策を考えないための言い訳」かもしれない。

【ポイント】
・感情的になると、相手に伝わりにくい。
・愚痴だけでは、不満の改善にはならない。
・責任を取れない問題もある
・周囲に対しても温かくフェアに認める。

アサーション(アサーティブネス)・トレーニング
少数派にも多数派と同じさまざまな権利があることを自覚し、主張する能力を身につけること。
自己表現の意味も含んでいるため、自分と他者を大切にする前提。自分勝手とは違う。
心情を論理的に考えることで克服するトレーニング。

(つづく
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