メランコリア

メランコリアの国にようこそ。
ここにあるのはわたしの心象スケッチです。

内視鏡検査を予約

2013-07-11 21:09:26 | 日記
今日もこれでもかってくらい盛り盛りな1日だった。

▼クリニック
主治医が本来所属している病院のほうでなにか責任ある役をやっていて、
今月はそちらの引継ぎや割り振りなどに奔走していて、今日は遅れたってことで
予約してもいつも1時間ほど待つところを、2時間近く待たされてお腹ペコペコ

いつものように行動療法の経過を説明して、
「まだまだ条件や体調によって不安定ですね。行動療法を積極的にやるのは素晴らしいけれども、
 不安があるなら頓服ももっと活用してもいいと思う。
 発作になることで、“二次的な不安(また発作になるかもしれないという不安感)”が起こるから」

最近ずっと胸のムカつきが酷いから、この後、胃腸の病院にも行くことを伝えて、
前にもらって余ってたムコスタ(胃の粘膜を保護)を飲んだり、偏頭痛でロキソニンを飲んだりしてるから
飲み合わせを聞いたら

「飲み合わせや依存性は問題ないが、胃が荒れやすくなるから量や頻度に気をつけること」とのこと。

いろんな体調不良が誘因になって不安感にもつながってると思うな。



移動して、ランチ。
ランチサービス1日10食限定のオムライス500円!
トマトソースもしっかりしてて、卵がなんだかコクのある乳系な味がして美味しかった


▼胃腸病院
4年前の2009年(そんなに経ってた!?)に内視鏡検査で逆流性食道炎と診断された病院に久々行った。
午後診療は15:30~って診察券に書いてあったのに、行ってみたら16時~に変更されてたけど、3番のカードをゲットv
前回も2、3時間待たされたんだっけ。次から次へと患者が来て、みんななぜか受付のお姉さんたちとフレンドリーに話してる。
後から来た人は「すいません、今からですと1時間半ほど待っていただくことになります」て言われてたし

で、医者の開口一番「まだピロリ菌のクスリは飲んでないんだよね?」はい・・・すみません・・・
前回、3つの要素のうち2つだったから、自分的にはまだいっかって思っていつのまにやら4年も過ぎてたんだけど、
「2009年の結果はもう無効だから」1年に1回検査が必要ってポスターあったな

聞けば、今年の2月からピロリ菌の検査も保険適用になったんだって。
医師「“耐性菌”になると抗生物質が一切効かなくなっちゃうから。胃がんの確率が高くなりますよ」

ピロリ菌撃退には、クスリを1日1錠、1週間飲めばいいんだけど、それでも胃がんにならずに済む確率は60/100人
ピロリ菌は、いくつかの理由で自然消滅することもあるけど、胃がんの危険性がさらに上がるんだって。
若い人だと17歳から胃がんになる人もいて、年齢が上がるとともに確率も上がる。
内視鏡検査を受けないと薬物治療も出来ないルールだから、ここまで脅されたからには予約しました

ちなみに私が気休めに飲んでた「ムコスタ」は、「胸のムカつきには全然効かないよ」て。え・・・?!
クリニックの主治医に話した時は、クスリの本みたいので調べて「胃の粘膜を保護する」て書いてあったのに?

ここの医者も忙しい人だから、内視鏡検査は早くて9月。
前日の夜9時から何も食べずにってゆうのだけでも負担高すぎ/涙

検査の手順
1.体重・血圧測定
2.心電図
3.ノドの麻酔(アメ)
4.ノドの麻酔(スプレー)
5.点滴の準備をして待つ
6.医師が準備出来たら、麻酔注入。15分ほどで済む。
7.画像であらかた分かる。小さな腫瘍ならクスリで治療可能。
8.医師の判断で組織を採取したら10日後にまた来る。

ああ、なにもありませんように/祈
死そのものよりも、手術や、治療のほうがよっぽど怖いんだ



追。
おとといの晩、宅配が来て、再配達にして、昨日届いたのものは、お中元
母にひさびさ電話する時、なるべく相手のペースに巻き込まれすぎないようにと気合を入れてかけたけど、
まあ、比較的穏やかに済んでよかった。相変わらず愚痴や不安事が9割だが

しーちゃんは元気
ベッドの上にのってフンをしてしまうのが困るって。それサイアクじゃん
いつも受話器を近づけて「ほら、なにか喋ってみて」てゆうけど、ムリですから

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『今あなたに知ってもらいたいこと』(幻冬舎)

2013-07-11 09:36:12 | 
『今あなたに知ってもらいたいこと』(幻冬舎)
オノ・ヨーコ/著

図書館巡りで見つけた1冊。

●解説より抜粋メモ
本書は、2004年10月に、東京の朝日カルチャーセンターで行われたオノ・ヨーコの特別講演がきっかけで出版された。
参加者は約200名。8割が女性。
参加者に「いつもあなたが知りたかったこと」を用意して講演に臨むよう要請した。
講演記録や過去のインタビューを基に、ヨーコ自身が全面的に加筆、新たに書き下ろしたもの。


●最近の活動
2000年、N.Y.開催「YES ヨーコ・オノ」展は世界の美術館を巡回し、日本でも大きな反響を呼んだ。
ジョンの長年の夢だったヨーコの光のアート作品「イマジン・ピース・タワー」が2007年アイスランドで完成。
2003年以降、ダンス・ミュージックが毎年のようにアメリカのヒット・チャートを賑わし、5曲が1位になった。
「レノンオノ平和賞」「カレッジ・アワード・フォー・アーツ」創設。
プラスティック・オノ・バンドのCD「ビトウィーン・マイ・ヘッド・アンド・ザ・スカイ」リリース。
「ドリーム・パワー ジョン・レノン・スーパー・ライブ」では、途上国に85校の学校を贈った。


【内容抜粋メモ】
小学生の時、東京大空襲に遭い、その後、親の仕事の都合でN.Y.に移住
30歳で京子、42歳でショーンを出産。
私は決して強い人間ではない。弱い人間には弱い人間の生き方がある。
弱者は、それを知っていて慎重に物事を観察するようになる。

中心ではなく隅っこにいると、いろんなことが見えてくる。
「どこに座るか」ということに神経を使ってほしい。
座る場所が、家庭での自分の立場も表現している。
「コンフォート・ゾーン」が大事な居場所。
座る位置を変えてみるだけで、ものの見方が変わり、人生改革ができる。


●ジョンが陽、わたしが陰の時に2人は出会った
私は20代の頃は非常に「陽」な人間だったが、さまざまなバッシングを受けて「陰」の力を開拓した。
一方、ジョンは境遇から「陰」だったが、大成功して「陽」になった。
私は東洋の文化を背負い、ジョンは西洋の文化を背負っている。
私が前衛的な音楽を創り、ジョンは大衆音楽を創る。2人のバランスがとてもよかった。
2人とも感情に動かされやすく、権威に反発するというところは一緒だった。
ジョンを狙った狙撃犯は、次にヨーコをやろうという考えだったと思う(驚


苦手な相手を祝福する
ジョンは射殺される夜「ショーンが寝る前に顔を見ておかなくちゃね」と言った。
しばらくはジョンが好きだったチョコレートしか食べられなかった。私は大嫌いだったのに。
それまではジョンの保護があったのに急になくなって、追い討ちをかけるような事をたくさん言われた。

自分を守るために「Bless(祝福)」することを始めた。
嫌がらせや誹謗中傷している人たちの名前を祝福したら、1週間後、気持ちに変化が表れた。
その人たちが態度を変えたわけではないが、多忙になったり、仲間割れしたりして、私は前進することができた。
「私の体をメチャクチャにしていたのは、自分の中にある恐怖や怒りなんだ」と知った。
怖がっていること自体が自分の気持ちを弱くしていた。

だから、あなたをいじめる人を可哀相だと思って「祝福」してあげてください。
あなたが祝福している相手が自分を愛してくれる、という甘いことではない。
あなたがもう少し強い人間になって、相手もそれを感じないわけにはいかないということだと思う。


●エネルギーはポジティブに使う
人を批判、恨んだりしていると自分の体が悪くなる。まず、体と心の健康を保つこと。
自責、悲観していると、周囲までネガティブになる。
誰も愛せないかわいそうな自分を愛するだけでもいい。
真実をもって物事を動かす人は、愛という油を使うことを知っている人。


●変化を怖れない
続けられないことに劣等感を抱く必要はない。
食べものも毎日同じものばかり食べていると、体が慣れてしまって栄養にならなくなる。
変わることを止めようとせず、変化をそのまま受け止めるということ。

自分は好きな人生を歩いているんだから「いいんだ」という気持ち。
すると、自分が自分のパターンから全然外へ出ていないことに気づいた。
むしろ、どんなに変えてきたつもりでも、自分の中に何か一筋つながるものがあることが分かってくる。


優越感ではなく、誇りを持つ
人は、どんな些細なことにも違いを見つけ、それに優越感を持とうとし、正体を確立しようとする。
一念があれば、人は普段できないようなこともできてしまう。皆、計り知れない力を持った存在。
劣等感を持つ必要もない。


まずは始めてみる
ジョンのリトグラフの個展『バッグ・ワン』がアメリカを巡回した時、
「ロックスターの絵なんて・・・」と断られることが多かった。
アメリカ全体が保守的で、平和よりも戦争をという時代だった。
子どもが♪イマジン を歌うといじめられた時期(驚
個展を開くたび、慈善団体、移動養護施設などに寄付をしていたら、
展覧会が絵を見せる行為を超えて、もっと大きな意味を持ち始めた。

ジョンの考えを超えた何か大きな存在の意思が働いていたとしか思えない。
これは有名人だけに起こることではなく、誰にでもあること。
ただ、何かを始めなければ、なんの力も働かない。

私たち一人ひとりのすることが、世界を変えているという明確な意識と善意を持つこと。
goodness(善意・善性)がとても大事な時代になった。
世界、宇宙に、よいバイブレーションを送りましょう。


●許すことが愛につながる
生きていて一番難しくて、大切なことは「許す」こと。愛の力は「理解」につながっている。
「許せない」というのは、自分と違う価値観を持っている奴ということ。
人を許すということは、相手と自分の違いを受け入れること。


●毎日ひとつ、心が躍ることをする
憂鬱な時は、誰か他の人の心が躍ることをしてあげる。


●歳を重ねる喜び
男女ともによく年齢を気にしているのを聞く。
ジョンは「歳を重ねるたびに教養や気品がにじみ出る女性に魅力を感じる」と言っていた。
「ヨーコはまだちょっと若すぎるけど、まあいいか」なんて言われた
70歳になって、よくここまで生きながらえたと誇りみたいなものを感じた。
今は「あと50年ちょーだい」と言いたい。
自分というものをもっと生きてみたい。人生はまだまだ未知数。


●夢を持つ
女性は結婚、出産したからといって夢を諦めないでください。小さな夢でもいい。
私はアーティストとしての仕事には絶対の自信を持っていた。
10年間分かってもらえなくても、本当のメッセージなら11年目には分かってもらえると考えてきた。
人生には無駄はない。自分が夢見た人生は、いつか自分のものになる。

叶わない時は「今は叶えないほうが、あなたのためになる」と天が介在してくれている場合。
人を押しのけてでも叶えてしまおうとは思わないこと。
自分の手に入るものなら、必ず向こうからやってくる。


●壁は自分を鍛えるチャンス
「もうダメだ」「しょうがない」とは思わない。壁にぶつかると知恵を与えられる。
ただ「怖い」と感じてやめるか、「おもしろい」と思って乗り越える方法を見つけるか。
壁や制約はあなたが飛躍する機会を与えてくれる。


●迷うことは贅沢なこと
戦争で足を失う人もいる中、あなたは今とても幸福な状態にいる。
その最高の幸福を感じずに「これがイヤ」「あれがイヤ」と思うのは非常に贅沢なこと。
限られた時間を持つ生物として、あなたが生きているということがどんなに素晴らしいかを忘れないでください。


●ひとつだけ願いが叶うなら
みんなが一緒に楽しく生きられるような天国をこの世に作りたい
私たちはすでに地球上で天国を経験している。天国は空の彼方にある特別な場所ではない。
私たちは常に自分たちだけが幸せだということではないと知っていて、
幸せでない人たちに攻撃されるのではないかという恐怖の中に生きている。
皆が幸せな世界というのは、その「恐怖」がなくなった世界のこと。


●宇宙を作った記憶
私たちには「美しいものを作りたい」「おもしろい人生を送りたい」という本能がある。
一見無駄なようだが、それが脈々と続いた私たちの大切な文化。
しかし、その文化が次々壊されている。たとえばバグダッド。
私たちが文化に対して無知でいるから貴重なものがどんどん破壊されている
が破壊されたものを直せる。「神」ではなく「愛」が宇宙を作った。
人が愛し合い、子どもを産むのは、私たちの中に「宇宙を作った記憶」があるから。
今は競争の時間。破壊を進める人がいて、愛の力で直していこうとする人がいる。
どちらが先に到達するか競い合っている。


●世界はつながっている
出会った人たちの知恵や経験があなたの中に入っている。
地下鉄に一緒に乗った人、未知の人も出会いの中に入れてください。
お互いなんらかの影響を受けたり、与えられたりしながらつながっている。

あなたのエネルギーの方向は、全世界に影響を及ぼしていることを理解してください。
世界と個人は影響し合うという点で一体。
♪イマジン も理解してもらえたと感じたのは曲ができてから20年も過ぎてから。
1人ひとりの平和に対する念力を信じましょう。


祈り
祈りは宗教と関係なく、念力を使って念願するということ。
みんな一緒になると、宇宙まで届くような大きな力が出る
ボストンで世界初のフェミニスト大会が行われた時、♪ウーマン・パワーを歌った。
1人ひとりが何かの因縁でその場所に来ている。
知らないうちに、お互いに影響し合い、より経験深くなっている。


芸術(音楽も)こそサバイバルの方法
どんなアートでも創造された、生まれた、というだけで人に新しいエネルギーと叡智を与える。
叡智はアーティストが与えるものではなく、作品を鑑賞した人の中にすでに存在しているものを作品が引き出す。
見聞きするだけでなく、自身が創作する。創作力に頼って生きていくということは、非常に大事。
アートを創作するのは、自分の分身をいくつも作っているようなもの。


悲しみに溺れない
4、5歳の頃から「これを文章に書かなくちゃ」と思う子だった。
母は「あなたは作家になるのね」と言って疎開先で苦労している時も「これは絶対書かなくちゃ」と言ってくれた。
すると、悲しみに溺れずに、自分の人生を客観的に見る習慣がついた。
楽しみを自分で作っていくということ。それは自分の精神の持ち方。
幸せかどうかは、自分の考え次第。


差別と闘う
女性は生まれながらにして、男性社会の中で差別や偏見を受ける存在。
私も長い間さまざまな差別と闘って、今度は年齢差別にぶつかった。
「今までの50年は、これからのわたしの出発のための土台です」とレコードカバーに書いたら、
「50になったくせに出発だなんて、一体何をやるつもりなんだ」とDJが言っていた。

「更年期」もジョンが急死して出てくる余裕もなかった。
みなさんも「今までの50年は、これからの出発のための土台」と考えてください。


●自分の思いを基準に判断にする
世の中には人を非難、批判することに生き甲斐を感じている人がたくさんいる。
でも、それにくじけていたら何もできない。
「引きこもり」も世界的現象。外に出ることがだんだん危険になったからということもある。
それは、彼らの人生の一過程であって、家にいたからといって悪い人間に育つとはかぎらない。
昔と違い家の中にこもるタイプの生活になり、社会が変化すると「これはよくない」とすぐ批判しがち。

社会の既成概念にあてはめて、よい悪いを考えるより、変わった社会をどう利用して、自分のものにしていくかを考える。
「世間、批評家はこう言っている」というのを気にしなくていい。
その批評家は、自分の感覚を基準にして感じたことを言っているだけ。
それが彼らの仕事だから、世界のステートメントのように書いているだけで、私たちには関係ないこと。
他人の避難、批判より、自分の思いを基準に判断してください。


自分も他人も受け入れる
今は「戦争産業」と「平和産業」の2つに分かれている。
「戦争産業」の人たちは、ものを破壊し、人殺ししても、自分たちが世界を征服しようと精神がぴたりと一致しているからものすごく強い。
「平和産業」の人たちはみな「理想主義者」だから、お互いを批判し合うことに時間を費やして意見が一致しない。
エネルギーを会話や議論に費やして目的に向かっていかないから弱い。

道を清掃している人も、花屋さんも、それは「平和産業」の活動の一環。その人、行為も愛し、尊敬していることを伝える。
まずはお互いを理解し合うこと。それが基本。ここからはじめなければ、何も始まらない。


●真実を見極める
政治家など社会的地位の高い人たちがフィクションを語るようになった。
映画や小説はフィクションよりもドキュメンタリーのほうが売れるようになった。世の中の真実を知りたいから。
生きるには真実を見極めなくてはならない。

何か新しいことを始めようとして、自分が迷っているときに、人の忠告をどう捉えるかは難しい問題。
その時、相手がなぜそう言ったのか、動機を考えること。
私を心配して「やめたほうがいい」と言っているのか、その人の都合で言っているのかでは意味合いが違ってくる。
人の言うことは、そのまま受けとらず、一度考えなくちゃいけない。
人の助言や忠告には迷信とかさまざまな動機が後ろにあり、言った本人も分からないことが多い。

今、たくさんのハウ・トゥ本が出ているが、やってみて自分に合わないと思ったら、無駄ながんばりをしないこと。


男と女
アメリカの救急病院に駆け込む患者の4人に1人は家庭で暴力をふるわれた女性。
どの国でも、女性の抱えるさまざまな問題が、まだ非常にたくさんある。
「男女の力関係が均衡してるなんてとんでもない。男がしたくない仕事ばかりが女性に回されている」
「家に帰ると食事の支度、子どもの世話はやはり女性。仕事があるぶん二重に大変

それは私たち女性にも責任がある。
孔子の三従の礼では、「幼い時には父に従い、嫁いだら夫に従い、老いたら子どもに従え」これではまるで奴隷扱い。
女がいかに力強くて美しいものか自覚してほしい。

人類は私たち女性が作っている。
偉そうなことを言っている男性でも、ひとりの女性が痛い思いをして、命をかけて産んだ人間

今、女性は「団結」をいろんな形で表現している。お茶のみ会も強い結びつきを確認するとても大事な集まり。
今まで日本の主婦の立場が非常に悪く、それを見て育った女性が結婚しなくなり、子どもを産まなくなった。
見方によっては、「産まない」選択をしている、という団結と捉えることもできる。「沈黙の革命」「沈黙のデモ」。

そんな女性の強さを自愛した上でもう一歩進む。
暴力に頼ることしかできない男性、そのために戦争に行って片腕を失くして帰ってくる男性に同情を抱くこと。
それが地球を天国にする第一歩。


生き続ける
9.11の時、なぜか私の体は震えなかった。東京大空襲の体験があったから。
ジョンもリバプールがドイツの空襲を受けている時に誕生した。
私とジョンが平和活動を始めた原点は、2人の幼年期の戦争体験だった

野菜や米を作ってきた労働者は、平和を望む生活をしてきた。
世界が全滅せずに、地球がまだ存在しているのは、そんな人たちのおかげ。
まず自分の力に対して信念を持つ。自分の念力に自信を持つこと。

もともと人間は強い生存欲を持っている。
大きなショックを受けても、私たちは復活する力を持っている。


●あとがき
森律子さんという有名な女優さんの関東大震災の時の話を幼い頃に聞いた。
幼い娘の手をとって火の海の中で、一点の青い空に向かってひたすら歩き続け、助かったという。
みんなでその一点の青い空に向かって歩いていきましょう。

「ひとりで見る夢は、ただの夢。一緒に見る夢は、現実となる」

まず、自分の生活を一生懸命やっていくこと。
そして、この壮大な宇宙に一瞬であっても一緒に生きている、周りの人々に「分かっているよ」と言ってあげてください




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