※「作家別」カテゴリー内「ミヒャエル・エンデ」に追加
読み直そうかなと思っていた頃に
ちょうど取り上げてくれて早速予録したv
■1 モモは心の中にいる
ドイツの作家エンデの書いたファンタジー小説
人間にとって時間とは? そして命とは?
少女を主人公に描きます
第1回はモモの不思議な力を通して
見失いがちな本当の豊かさについて考えます
アナ:伊集院さん、今までに無駄に過ごしたなって思う時間はありますか?
伊集院:山ほどあります
アナ:それを他の事に使いたいなと思うことありますか?
伊集院:
売れない時代のタレントなんて
暇はあるのにお金とやる気がないですから
あれをそっくり今欲しいです
アナ:
今月の名著は、人間の時間に関する欲望につけ込む
時間泥棒が登場するファンタジー小説です
今回は心理学の視点から深く読み解いていきます
臨床心理学者 心理療法の専門家 京都大学教授 こころの未来研究センター長 河合俊雄さんが
セラピストの視点から時間と心の本質を描いた物語としてモモを読み解きます
●主人公モモの紹介
身寄りがなく、外見もユニーク
話すことも面白い小さな女の子
モモを通して描かれる時間と物語の豊かさとは?
というテーマについて河合さんに読み解いていただいいただきます
教授:
豊かな時間とは何だろうということをすごく具体的に示してくれている
その豊かさを潰そうという敵が現れる
それによってより豊かさが明らかになっていくという話
ということは時間をかけて読まないと
豊かさというものもわかってこない
作者ミヒャエル・エンデ
1929年 ドイツ南部のガルミッシュで生まれる
伊集院:
『ネバーエンディングストーリー』の映画がすごい流行したのが僕が高校生ぐらい
もしくはこのお仕事を始めた時ぐらい
『モモ』も名前だけは知ってます
びっくりしたのは『ジム・ボタン』は
僕が小学校の低学年ぐらいの頃にアニメ化されたのを見て
その3つの作者が全然自分の中で繋がってなくて
エンデは15年間イタリアに住んでいて
『モモ』を書いたのもイタリアにいた頃
教授:
この作品にも影響を与えていると思う
イタリアは全然時間通りに物事が進まない
例えば私がイタリアの学会に行って
9時5分前についてると、いたのは日本人3、4人で、イタリア人は一人もいない(w
(1分1秒の遅れで騒ぐのは日本人くらいじゃないかな
でも彼らからすると豊かさのある生き方をしている
それに対してドイツ人はすごく几帳面
伊集院:
ドイツ人の彼がイタリアで過ごすことと
時間がどうあるべきかという概念は
ピタッといくわけですね
教授:
全然違う2つの時間がある
エンデは日本にもすごく関心が高かった
日本は電車の発車が秒単位で決まっているけれども
同時に前近代の感覚も残っている
全てのものに魂があるとか
時間に対しても悠久の時間という感覚が我々の中にもあるという意味で
エンデにとって面白かったのではないか
朗読 のん
最初に語られるのははるか昔の大都市の様子
当時の人々は大きな円形劇場で演じられる芝居が大好きだった
それから幾世紀もの時が流れると
高いビルが建ち並び、電車が走り回るようになりました
そんな都会の外れにある円形劇場の廃墟に
一人の少女が住み着いたという噂が広がります
名前はモモ
小さくて髪の毛はもじゃもじゃ
つぎはぎだらけのスカートにだぶだぶの上着
舞台の下の崩れかけた小部屋を住処にしていました
ある昼下がり、近くに住む人たちがやってきてあれこれ聞き出そうとします
物語の冒頭には二つの時代が登場する
教授:
はるか昔の時間と今の時間というのが明らかに対比されている
円形劇場で演じられるような芝居だとか
神話とか物語が現実であるという
豊かな時間が流れていた遥か昔があって
でも今は変わってしまった
ほとんど残っていないんだというセッティングから始まる
伊集院:いわゆる桃太郎のむかしむかしとはちょっと違う
この少女はどんな存在?
教授:
民俗学的に言えばストレンジャー
神様の場合もあるし、山姥もあるし
聖者でもあるし、卑しいものでもある存在
何に一番ピッタリかなと思うと座敷童みたいな感じ
豊かさをもたらしてくれる
モモは「いつでも私はそうだった」と言っている
はるか昔からずっといて私がある
変わらない存在
そういう意味ではいにしえの時の復活という意味があるんじゃないかなと思います
伊集院:
昔々から廃墟になるまでの時間の流れを感じさせているのに
その中でモモはどこで生まれたのかということに関しては分からない
教授:
ストレンジャーは割と老人が多い
少女だということは未来を感じさせる
単なる古のものではないというメッセージ
モモは次第に町の人たちと打ち解けて友情が芽生える
町の人たちはモモの部屋を住みやすく整え
食べ物を分けてくれました
親切な人に囲まれてモモは幸せです
しかしそれ以上に彼女を助ける人々のほうがモモに感謝していました
朗読
モモに話を聞いてもらうと
自分の中に自然と解決策が浮かんでくるというのです
伊集院:阿川佐和子『聞く力』ですね
教授:
モモは徹底して受け身で話を聞いている
すると話し手は自分のいろんなことをモモに託すことができる
そうすると自分なりの考えや解決策が生まれてくる
そういう意味で非常にカウンセラーの仕事と似てるなと思います
聞くってなかなか難しくて、どうしても
「いや、そんなことないよ」「大丈夫だよ」と否定したりとか
「俺の若い頃は〜」って自分の話をしたりして
人の話を受け取るということは難しいんです
伊集院:
我々はテレビ、ラジオ、メディアでやたらこっちから話を聞かせる側だと思ってて
よりいろんな話をすれば喜ぶんだって思い込んでるんだけど
実は今の世の中、みんな聞いてほしいんだっていう
だから割とテレビ離れして自分が発信するほうに入っている
ちょっとモモの能力みたいなものを取り戻さないと
これに久々気づいて一旦中断して家に帰りたいですw
教授:
受け身っていうのはモモが空っぽだからできたのではない
豊かさを持っていたことを示すシーンがある
モモがみんな去った後、円形劇場で一人になった時
古い円形劇場で大きな石のすり鉢のところに座っている
頭の上は満天の空で
これって曼荼羅みたいな感じ
これはモモの心の宇宙であるし
これだけ満ち足りているからこそ
相手の話を聞くことができるということがわかる
伊集院:
形状的にも地球も街も円形劇場が耳である
その耳の中に住んでる感じ
聞く存在なんだ
それが幸せなんだと思っている
教授:
モモは豊かな世界と我々の間を橋渡ししてくれている
モモが聞いてくれることによって
自分の中にもそういうものがあるんじゃないかと思う
モモの2人の親友
ジジとベッポはあらゆる意味で正反対
夢見るような目をした器量良しの若者ジジは
自称観光ガイドで、観光客を見つけては
口からでまかせに色々な話を聞かせてお金をもらっていました
ジジにはいつか有名になってお金持ちになりたいと言う夢があったのです
一方、口下手な老人ベッポの仕事は地道な道路掃除
毎日、夜があけないうちに仕事に向かいます
朗読
仕事中、ベッポの心には言葉で表現することのできない
深い考えが浮かんでくることがありました
モモと出会ってからその考えはようやく言葉になります
「いま」を生きる ベッポの禅的時間
教授:
ベッポって近代意識が出来る前の時間の豊かさというか
今が充実している世界に生きている
禅の修行とか悟りとかは目標においてはだめ
目前の庭を掃除することとかから修行が始まる
今ここが満ち足りるという豊かな時間
時計で計算できる時間とは真逆
これは古の時間感覚と豊かさ
ジジはファンタジーやイマジネーションを持つ豊かさ
3人ちょっとずつ違う時間の豊かさを体現している
3人のセットで言うと心理学ではどうしても父親、母親、子ども
全然家族とは関係ないこの3人組がモモの世界
ジジとベッポの仲がいいということがポイント
モモが入っているということで治りがついている
伊集院:
これはよくできた午前中の AM ラジオ番組
ジジというパーソナリティ 喋り手
モモというアシスタント
ラジオを聞いてくれているリスナーの職人さん
これは午前中のラジオ番組の理想の形なんです
その職人さんから教わることがあり
喋べるほうが元気をもらうことがある
これは非常に勉強になります
教授:
ユングは「三位一体」の調和に第4の存在が加わることが重要と指摘している
この3人のすごく調和した世界に
灰色の男が登場して物語が大きく動いていく
楽しく語らうモモとベッポとジジ
その背後で灰色の男たちが動き出す気配が描かれます
朗読
アナ:この男たちに気づいた時、モモにどんなことが起きますか?
教授:
モモは寒気を感じるんです
怪しいということを感じ取る
アナ:この後、物語の豊かさが感じられるシーンがありますよね?
教授:
ジジがモモのために作った恋愛話を語る
ジジはいろんな話をしますがモモだけに話す物語がある
物語って必ず誰かに語られる必要がある
心理療法にあるんですけど
セラピストに語る
人に語ることによって初めて真実になり解放される
2人の間でシェアするってことは大事だと
このエピソードが語っている
今はネット上とかで一方的な発信になりがち
そういうところに灰色の男たちがつけこんでくる時があるのかもしれない
伊集院:
今の時代はみんな自分にとってのモモを探してるんだと思うんです
SNS でも喋りたいことがいっぱいあって
モモ的才能がある人が SNS 上にそういないでしょう
教授:
みんなが求めているし
実はモモって自分の中にいるんだっていうことを示してくれている
伊集院:自分の中にいるモモが見つかりづらくなっているんでしょうね
■2 時間を奪う「灰色の男たち」
時間泥棒・灰色の男たちはモモの前で徐々にその正体を現します
(『モモ』の映画ってまだ観てないかもしれないぞ
教授:
灰色の男たちが現れて時間を節約するように人々を誘惑する
節約した時間は盗まれていく
店の評判も良く、お金持ちはではないものの
それなりに幸せに暮らしている床屋のフージーさん
ある雨の日、お客を待ちながら外を眺めていた時
ふとこう思います
朗読
何もかもがつまらない
不意に脅威に襲われた瞬間
店に葉巻をくゆらせた男が入ってきました
突然のことに驚いているフージーについて
男はすっかり調べ上げている様子でした
男はすかさずこれまでの人生で
家事や趣味、家族とのおしゃべりなどで
フージーさんが浪費してきた時間を計算していきます
これまでの人生で持っていた時間は13億2451万2000秒
男はそこから浪費した時間を引いてみせます
結果はなんと0
時間を無駄遣いしてきたフージーさんには
財産としての時間が残っていないというのです
絶望するフージーさんに男は
今すぐ時間を契約して貯蓄することを勧めます
アナ:この後、フージーさんは時間を倹約し始めるんですよね
教授:
ところが節約したはずの時間というのは
全て灰色の男たちに盗まれていくんです
これは物語の中なので不思議なことが起こるなと思うけれども
本当に現実であって
車で東京に来ていた会議というのがオンラインでできる
するとそのすぐ後に勤め先での会議が出来て
その後にまた授業がある
以前なら東京出張で1日かかっていた
これって時間を節約しているのかというと
節約した時間はいつのまにか無くなってしまう
伊集院:
まさに現代の話ですね
色々便利なものができて生活に余裕ができるはずだったのに、一向にそうならないみたいな
携帯電話ができて誰とでも連絡が取れるようになってすごく便利になったが
携帯電話のお話し中とか電話に出ないってなんであんなに腹立つんだって
教授:灰色の男達って日本における文明批評的な部分ではないかなと思います
アナ:
物語の中でも時間の倹約を始めた人についてこう書かれています
自分のことを言われているような気分がします
伊集院:
ほんとそうですよね
スマホに出ない人に対して「何のための携帯だよ!」っていうあの怒り
教授:
フージーさんも時間を節約してどんどん怒りっぽくなっていって
ハサミ一つ入れる充実感とか
お客さんといろいろ会話を楽しむとか
そういう豊かな時間をなくしていって
心は貧しくなっていく
アナ:
そして時間の節約を始めた大人たちは
みんな慌ただしくなって
モモの住む廃墟に来なくなってしまう
代わりに子ども達が多く来るようになった
子ども達にも変化があったんですよね
教授:
リモコンや完成されたおもちゃを持ってきて、それでしか遊べない
木一本で、これがロケットだ、チャンバラする刀だ
そういうイマジネーションが失われていった
これは遊んでるんじゃなくて、遊ばされている
伊集院:
例えばごっこ遊びでも
コスプレ用の衣装とか完璧だから、それ以外の役に立たない
子育てしてると思うことがあるでしょう?
アナ:
やっぱり楽ですもんね、物を与えるほうが
モモの中でもこの後次第に子ども達は
親が時間を節約するようになってから
自分と遊んでくれなくなった代わりに
お金をくれるようになるんですよね
家では疲れ切ってるから話し相手にもならない
モモは異変に気づく
今は動画を見せていればいいですものね
教授:
モモが訪ねて行くと、大人の人達も「また行くよ」とか言うんですけど
灰色の男たちのやっている仕事を妨害していることになるので
モモを邪魔に思うようになる
ある日、廃墟に人形が置かれていました
モモの気を逸らしたい灰色の男たちの仕業です
同じことしか喋らない人形とは話が噛み合わずモモは退屈します
困り果てたモモの前に現れたのが灰色の男です
さらに人形をモモに与え
本当に友達を大事に思うなら我々に協力しろとモモを誘導します
灰色の男:我々こそ本当の友達だ
モモ:我々って誰?
灰色の男:時間貯蓄銀行の仲間のことだ
町の人たちの変化にこの男たちが関係しているのかもと気付いたモモ
勇気を奮い起こして男と向き合います
すると男は自らの正体を喋り始めます
教授:
これが聞く力ですよね
モモが本当に聞いてくれるので
思わぬ事を話してしまう
アナ:
この後、モモは灰色の男と話したことを
ジジとベッポに伝えます
するとジジはデモ行進をしようというアイデアを出して
こうしたプラカードや横断幕を作って町中を練り歩くんです
教授:
でもこれは失敗に終わるわけです
うまくいかなかった理由は二つ考えられます
一つはジジはこれで自分が英雄になれるという浅い思いつきでやっていること
もう一つはことが早すぎた
気がまだ熟していないところがあった
慌ててアドバイスすると心理療法としてもなかなかうまくいかない
でも失敗も大事なんです
デモが失敗したことによって
ジジの方法では灰色の男たちに立ち向かえないことが分かる
ベッポによる異なる方法にスポットが当たって、物語は次の展開に進んでいく
伊集院:
この失敗部分を時間貯金したらダメなんですね
この失敗も大事
アナ:
ベッポは町外れのゴミ捨て場で
モモに本当のことを話してしまった灰色の男が処刑される場面を目撃します
同じ頃、モモの住む廃墟には新たな導き手が現れます
「ついておいで」という文字を甲羅に光らせたカメ
モモはその後を追って廃墟を後にします
自分たちの秘密を知られたことを放っておけない灰色の男たち
必死で探す彼らのもとにモモの目撃情報が入ります
カメに導かれ見知らぬ街を進むモモ
その先に現れたのはさかさま小路
前に行こうとすると進めず
後ろ向きに歩くと進めるという不思議な道です
その突き当たりにあったのは「どこにもない家」
カメをモモのもとに送ったマイスター・ホラのいる時間の国でした
伊集院:読者からしたら早くたどり着きたい目的地なんだけど非効率的だね
教授:
古代中国に亀の甲羅を使った占いがあった
それがこの物語ではもう少し現代的に形になっている
象徴的な意味としては同じだと思います
アナ:
ここにまた新しい3人組ができた
時間を司るマイスター・ホラとモモとカシオペア
それまでの親友3人組との違いはどういうところでしょう?
教授:
マイスター・ホラは時間を司る知恵のある老人
全て分かっているだけに動けない
そこで動物的なものが入ってくる
そして少女という三位一体
これによって物語の舞台が
現実世界の3人組から深層心理に移っていく
心の奥底を語るフェーズに入る
「箱庭療法」
砂箱の中のミニチュアでイメージ表現を行う心理療法
(随分昔からあるけど、心理学の世界も医療同様あまり先に進まないのね
摂食障害の人が作る箱庭には
よく少女と老人と犬がしばしば登場する
摂食障害を癒す中で出てくる三つの組み合わせと似ている
この物語が心の本質を捉えている印象を受けます
たどり着くまでに「まるで知らない」とか
「さかさま」とか「どこにもない」とか、やたら否定が目につく
究極の場所に至る過程に否定があるのはドイツ的
ヘーゲル哲学やドイツ神秘主義でも
否定神学、否定するプロセスが大事
時間や心には否定を通じてしか近づけないのかもしれない
モモを取り逃がしてしまった灰色の男たちは幹部会議を開く
ホラの元から戻ってきた時、モモは大きな力を持つはず
男たちは慄きます
そんな中、一人の男が言います
「あの子はホラの所へ行く道を見つけた
我々が探し続けて発見できなかった道だ チャンスだ」
ホラの元へ案内させるために
男たちはモモの大切にしている友達を狙うことにします
灰色の男たちの矛盾
教授:
灰色の男達ってとても重要なことを言っている
真実は自分だけ持っていても駄目で
共有されないと意味がない
(シェアだよね お金が関わると大切なこともクローズになってしまう
この人たちは人と何かを共有することが
豊かな時間を作り出すことを知っている
だからこそそれを逆転に使おうとしている
敵なんだけれども結構大事なことを教えてくれている
伊集院:
映画の内容が分かりました、ということよりは
この映画をどう思ったというのと
自分は通算1000本見ましたというのと
教授:
通算1000本っていうのはまさに灰色の男たちのロジック
数を観ることに意味がある
それを本当に味わうとか共有するとか
そこに心の豊かさがあるというのがポイントだと思います
読み直そうかなと思っていた頃に
ちょうど取り上げてくれて早速予録したv
■1 モモは心の中にいる
ドイツの作家エンデの書いたファンタジー小説
人間にとって時間とは? そして命とは?
少女を主人公に描きます
第1回はモモの不思議な力を通して
見失いがちな本当の豊かさについて考えます
アナ:伊集院さん、今までに無駄に過ごしたなって思う時間はありますか?
伊集院:山ほどあります
アナ:それを他の事に使いたいなと思うことありますか?
伊集院:
売れない時代のタレントなんて
暇はあるのにお金とやる気がないですから
あれをそっくり今欲しいです
アナ:
今月の名著は、人間の時間に関する欲望につけ込む
時間泥棒が登場するファンタジー小説です
今回は心理学の視点から深く読み解いていきます
臨床心理学者 心理療法の専門家 京都大学教授 こころの未来研究センター長 河合俊雄さんが
セラピストの視点から時間と心の本質を描いた物語としてモモを読み解きます
●主人公モモの紹介
身寄りがなく、外見もユニーク
話すことも面白い小さな女の子
モモを通して描かれる時間と物語の豊かさとは?
というテーマについて河合さんに読み解いていただいいただきます
教授:
豊かな時間とは何だろうということをすごく具体的に示してくれている
その豊かさを潰そうという敵が現れる
それによってより豊かさが明らかになっていくという話
ということは時間をかけて読まないと
豊かさというものもわかってこない
作者ミヒャエル・エンデ
1929年 ドイツ南部のガルミッシュで生まれる
伊集院:
『ネバーエンディングストーリー』の映画がすごい流行したのが僕が高校生ぐらい
もしくはこのお仕事を始めた時ぐらい
『モモ』も名前だけは知ってます
びっくりしたのは『ジム・ボタン』は
僕が小学校の低学年ぐらいの頃にアニメ化されたのを見て
その3つの作者が全然自分の中で繋がってなくて
エンデは15年間イタリアに住んでいて
『モモ』を書いたのもイタリアにいた頃
教授:
この作品にも影響を与えていると思う
イタリアは全然時間通りに物事が進まない
例えば私がイタリアの学会に行って
9時5分前についてると、いたのは日本人3、4人で、イタリア人は一人もいない(w
(1分1秒の遅れで騒ぐのは日本人くらいじゃないかな
でも彼らからすると豊かさのある生き方をしている
それに対してドイツ人はすごく几帳面
伊集院:
ドイツ人の彼がイタリアで過ごすことと
時間がどうあるべきかという概念は
ピタッといくわけですね
教授:
全然違う2つの時間がある
エンデは日本にもすごく関心が高かった
日本は電車の発車が秒単位で決まっているけれども
同時に前近代の感覚も残っている
全てのものに魂があるとか
時間に対しても悠久の時間という感覚が我々の中にもあるという意味で
エンデにとって面白かったのではないか
朗読 のん
最初に語られるのははるか昔の大都市の様子
当時の人々は大きな円形劇場で演じられる芝居が大好きだった
それから幾世紀もの時が流れると
高いビルが建ち並び、電車が走り回るようになりました
そんな都会の外れにある円形劇場の廃墟に
一人の少女が住み着いたという噂が広がります
名前はモモ
小さくて髪の毛はもじゃもじゃ
つぎはぎだらけのスカートにだぶだぶの上着
舞台の下の崩れかけた小部屋を住処にしていました
ある昼下がり、近くに住む人たちがやってきてあれこれ聞き出そうとします
物語の冒頭には二つの時代が登場する
教授:
はるか昔の時間と今の時間というのが明らかに対比されている
円形劇場で演じられるような芝居だとか
神話とか物語が現実であるという
豊かな時間が流れていた遥か昔があって
でも今は変わってしまった
ほとんど残っていないんだというセッティングから始まる
伊集院:いわゆる桃太郎のむかしむかしとはちょっと違う
この少女はどんな存在?
教授:
民俗学的に言えばストレンジャー
神様の場合もあるし、山姥もあるし
聖者でもあるし、卑しいものでもある存在
何に一番ピッタリかなと思うと座敷童みたいな感じ
豊かさをもたらしてくれる
モモは「いつでも私はそうだった」と言っている
はるか昔からずっといて私がある
変わらない存在
そういう意味ではいにしえの時の復活という意味があるんじゃないかなと思います
伊集院:
昔々から廃墟になるまでの時間の流れを感じさせているのに
その中でモモはどこで生まれたのかということに関しては分からない
教授:
ストレンジャーは割と老人が多い
少女だということは未来を感じさせる
単なる古のものではないというメッセージ
モモは次第に町の人たちと打ち解けて友情が芽生える
町の人たちはモモの部屋を住みやすく整え
食べ物を分けてくれました
親切な人に囲まれてモモは幸せです
しかしそれ以上に彼女を助ける人々のほうがモモに感謝していました
朗読
モモに話を聞いてもらうと
自分の中に自然と解決策が浮かんでくるというのです
伊集院:阿川佐和子『聞く力』ですね
教授:
モモは徹底して受け身で話を聞いている
すると話し手は自分のいろんなことをモモに託すことができる
そうすると自分なりの考えや解決策が生まれてくる
そういう意味で非常にカウンセラーの仕事と似てるなと思います
聞くってなかなか難しくて、どうしても
「いや、そんなことないよ」「大丈夫だよ」と否定したりとか
「俺の若い頃は〜」って自分の話をしたりして
人の話を受け取るということは難しいんです
伊集院:
我々はテレビ、ラジオ、メディアでやたらこっちから話を聞かせる側だと思ってて
よりいろんな話をすれば喜ぶんだって思い込んでるんだけど
実は今の世の中、みんな聞いてほしいんだっていう
だから割とテレビ離れして自分が発信するほうに入っている
ちょっとモモの能力みたいなものを取り戻さないと
これに久々気づいて一旦中断して家に帰りたいですw
教授:
受け身っていうのはモモが空っぽだからできたのではない
豊かさを持っていたことを示すシーンがある
モモがみんな去った後、円形劇場で一人になった時
古い円形劇場で大きな石のすり鉢のところに座っている
頭の上は満天の空で
これって曼荼羅みたいな感じ
これはモモの心の宇宙であるし
これだけ満ち足りているからこそ
相手の話を聞くことができるということがわかる
伊集院:
形状的にも地球も街も円形劇場が耳である
その耳の中に住んでる感じ
聞く存在なんだ
それが幸せなんだと思っている
教授:
モモは豊かな世界と我々の間を橋渡ししてくれている
モモが聞いてくれることによって
自分の中にもそういうものがあるんじゃないかと思う
モモの2人の親友
ジジとベッポはあらゆる意味で正反対
夢見るような目をした器量良しの若者ジジは
自称観光ガイドで、観光客を見つけては
口からでまかせに色々な話を聞かせてお金をもらっていました
ジジにはいつか有名になってお金持ちになりたいと言う夢があったのです
一方、口下手な老人ベッポの仕事は地道な道路掃除
毎日、夜があけないうちに仕事に向かいます
朗読
仕事中、ベッポの心には言葉で表現することのできない
深い考えが浮かんでくることがありました
モモと出会ってからその考えはようやく言葉になります
「いま」を生きる ベッポの禅的時間
教授:
ベッポって近代意識が出来る前の時間の豊かさというか
今が充実している世界に生きている
禅の修行とか悟りとかは目標においてはだめ
目前の庭を掃除することとかから修行が始まる
今ここが満ち足りるという豊かな時間
時計で計算できる時間とは真逆
これは古の時間感覚と豊かさ
ジジはファンタジーやイマジネーションを持つ豊かさ
3人ちょっとずつ違う時間の豊かさを体現している
3人のセットで言うと心理学ではどうしても父親、母親、子ども
全然家族とは関係ないこの3人組がモモの世界
ジジとベッポの仲がいいということがポイント
モモが入っているということで治りがついている
伊集院:
これはよくできた午前中の AM ラジオ番組
ジジというパーソナリティ 喋り手
モモというアシスタント
ラジオを聞いてくれているリスナーの職人さん
これは午前中のラジオ番組の理想の形なんです
その職人さんから教わることがあり
喋べるほうが元気をもらうことがある
これは非常に勉強になります
教授:
ユングは「三位一体」の調和に第4の存在が加わることが重要と指摘している
この3人のすごく調和した世界に
灰色の男が登場して物語が大きく動いていく
楽しく語らうモモとベッポとジジ
その背後で灰色の男たちが動き出す気配が描かれます
朗読
アナ:この男たちに気づいた時、モモにどんなことが起きますか?
教授:
モモは寒気を感じるんです
怪しいということを感じ取る
アナ:この後、物語の豊かさが感じられるシーンがありますよね?
教授:
ジジがモモのために作った恋愛話を語る
ジジはいろんな話をしますがモモだけに話す物語がある
物語って必ず誰かに語られる必要がある
心理療法にあるんですけど
セラピストに語る
人に語ることによって初めて真実になり解放される
2人の間でシェアするってことは大事だと
このエピソードが語っている
今はネット上とかで一方的な発信になりがち
そういうところに灰色の男たちがつけこんでくる時があるのかもしれない
伊集院:
今の時代はみんな自分にとってのモモを探してるんだと思うんです
SNS でも喋りたいことがいっぱいあって
モモ的才能がある人が SNS 上にそういないでしょう
教授:
みんなが求めているし
実はモモって自分の中にいるんだっていうことを示してくれている
伊集院:自分の中にいるモモが見つかりづらくなっているんでしょうね
■2 時間を奪う「灰色の男たち」
時間泥棒・灰色の男たちはモモの前で徐々にその正体を現します
(『モモ』の映画ってまだ観てないかもしれないぞ
教授:
灰色の男たちが現れて時間を節約するように人々を誘惑する
節約した時間は盗まれていく
店の評判も良く、お金持ちはではないものの
それなりに幸せに暮らしている床屋のフージーさん
ある雨の日、お客を待ちながら外を眺めていた時
ふとこう思います
朗読
何もかもがつまらない
不意に脅威に襲われた瞬間
店に葉巻をくゆらせた男が入ってきました
突然のことに驚いているフージーについて
男はすっかり調べ上げている様子でした
男はすかさずこれまでの人生で
家事や趣味、家族とのおしゃべりなどで
フージーさんが浪費してきた時間を計算していきます
これまでの人生で持っていた時間は13億2451万2000秒
男はそこから浪費した時間を引いてみせます
結果はなんと0
時間を無駄遣いしてきたフージーさんには
財産としての時間が残っていないというのです
絶望するフージーさんに男は
今すぐ時間を契約して貯蓄することを勧めます
アナ:この後、フージーさんは時間を倹約し始めるんですよね
教授:
ところが節約したはずの時間というのは
全て灰色の男たちに盗まれていくんです
これは物語の中なので不思議なことが起こるなと思うけれども
本当に現実であって
車で東京に来ていた会議というのがオンラインでできる
するとそのすぐ後に勤め先での会議が出来て
その後にまた授業がある
以前なら東京出張で1日かかっていた
これって時間を節約しているのかというと
節約した時間はいつのまにか無くなってしまう
伊集院:
まさに現代の話ですね
色々便利なものができて生活に余裕ができるはずだったのに、一向にそうならないみたいな
携帯電話ができて誰とでも連絡が取れるようになってすごく便利になったが
携帯電話のお話し中とか電話に出ないってなんであんなに腹立つんだって
教授:灰色の男達って日本における文明批評的な部分ではないかなと思います
アナ:
物語の中でも時間の倹約を始めた人についてこう書かれています
自分のことを言われているような気分がします
伊集院:
ほんとそうですよね
スマホに出ない人に対して「何のための携帯だよ!」っていうあの怒り
教授:
フージーさんも時間を節約してどんどん怒りっぽくなっていって
ハサミ一つ入れる充実感とか
お客さんといろいろ会話を楽しむとか
そういう豊かな時間をなくしていって
心は貧しくなっていく
アナ:
そして時間の節約を始めた大人たちは
みんな慌ただしくなって
モモの住む廃墟に来なくなってしまう
代わりに子ども達が多く来るようになった
子ども達にも変化があったんですよね
教授:
リモコンや完成されたおもちゃを持ってきて、それでしか遊べない
木一本で、これがロケットだ、チャンバラする刀だ
そういうイマジネーションが失われていった
これは遊んでるんじゃなくて、遊ばされている
伊集院:
例えばごっこ遊びでも
コスプレ用の衣装とか完璧だから、それ以外の役に立たない
子育てしてると思うことがあるでしょう?
アナ:
やっぱり楽ですもんね、物を与えるほうが
モモの中でもこの後次第に子ども達は
親が時間を節約するようになってから
自分と遊んでくれなくなった代わりに
お金をくれるようになるんですよね
家では疲れ切ってるから話し相手にもならない
モモは異変に気づく
今は動画を見せていればいいですものね
教授:
モモが訪ねて行くと、大人の人達も「また行くよ」とか言うんですけど
灰色の男たちのやっている仕事を妨害していることになるので
モモを邪魔に思うようになる
ある日、廃墟に人形が置かれていました
モモの気を逸らしたい灰色の男たちの仕業です
同じことしか喋らない人形とは話が噛み合わずモモは退屈します
困り果てたモモの前に現れたのが灰色の男です
さらに人形をモモに与え
本当に友達を大事に思うなら我々に協力しろとモモを誘導します
灰色の男:我々こそ本当の友達だ
モモ:我々って誰?
灰色の男:時間貯蓄銀行の仲間のことだ
町の人たちの変化にこの男たちが関係しているのかもと気付いたモモ
勇気を奮い起こして男と向き合います
すると男は自らの正体を喋り始めます
教授:
これが聞く力ですよね
モモが本当に聞いてくれるので
思わぬ事を話してしまう
アナ:
この後、モモは灰色の男と話したことを
ジジとベッポに伝えます
するとジジはデモ行進をしようというアイデアを出して
こうしたプラカードや横断幕を作って町中を練り歩くんです
教授:
でもこれは失敗に終わるわけです
うまくいかなかった理由は二つ考えられます
一つはジジはこれで自分が英雄になれるという浅い思いつきでやっていること
もう一つはことが早すぎた
気がまだ熟していないところがあった
慌ててアドバイスすると心理療法としてもなかなかうまくいかない
でも失敗も大事なんです
デモが失敗したことによって
ジジの方法では灰色の男たちに立ち向かえないことが分かる
ベッポによる異なる方法にスポットが当たって、物語は次の展開に進んでいく
伊集院:
この失敗部分を時間貯金したらダメなんですね
この失敗も大事
アナ:
ベッポは町外れのゴミ捨て場で
モモに本当のことを話してしまった灰色の男が処刑される場面を目撃します
同じ頃、モモの住む廃墟には新たな導き手が現れます
「ついておいで」という文字を甲羅に光らせたカメ
モモはその後を追って廃墟を後にします
自分たちの秘密を知られたことを放っておけない灰色の男たち
必死で探す彼らのもとにモモの目撃情報が入ります
カメに導かれ見知らぬ街を進むモモ
その先に現れたのはさかさま小路
前に行こうとすると進めず
後ろ向きに歩くと進めるという不思議な道です
その突き当たりにあったのは「どこにもない家」
カメをモモのもとに送ったマイスター・ホラのいる時間の国でした
伊集院:読者からしたら早くたどり着きたい目的地なんだけど非効率的だね
教授:
古代中国に亀の甲羅を使った占いがあった
それがこの物語ではもう少し現代的に形になっている
象徴的な意味としては同じだと思います
アナ:
ここにまた新しい3人組ができた
時間を司るマイスター・ホラとモモとカシオペア
それまでの親友3人組との違いはどういうところでしょう?
教授:
マイスター・ホラは時間を司る知恵のある老人
全て分かっているだけに動けない
そこで動物的なものが入ってくる
そして少女という三位一体
これによって物語の舞台が
現実世界の3人組から深層心理に移っていく
心の奥底を語るフェーズに入る
「箱庭療法」
砂箱の中のミニチュアでイメージ表現を行う心理療法
(随分昔からあるけど、心理学の世界も医療同様あまり先に進まないのね
摂食障害の人が作る箱庭には
よく少女と老人と犬がしばしば登場する
摂食障害を癒す中で出てくる三つの組み合わせと似ている
この物語が心の本質を捉えている印象を受けます
たどり着くまでに「まるで知らない」とか
「さかさま」とか「どこにもない」とか、やたら否定が目につく
究極の場所に至る過程に否定があるのはドイツ的
ヘーゲル哲学やドイツ神秘主義でも
否定神学、否定するプロセスが大事
時間や心には否定を通じてしか近づけないのかもしれない
モモを取り逃がしてしまった灰色の男たちは幹部会議を開く
ホラの元から戻ってきた時、モモは大きな力を持つはず
男たちは慄きます
そんな中、一人の男が言います
「あの子はホラの所へ行く道を見つけた
我々が探し続けて発見できなかった道だ チャンスだ」
ホラの元へ案内させるために
男たちはモモの大切にしている友達を狙うことにします
灰色の男たちの矛盾
教授:
灰色の男達ってとても重要なことを言っている
真実は自分だけ持っていても駄目で
共有されないと意味がない
(シェアだよね お金が関わると大切なこともクローズになってしまう
この人たちは人と何かを共有することが
豊かな時間を作り出すことを知っている
だからこそそれを逆転に使おうとしている
敵なんだけれども結構大事なことを教えてくれている
伊集院:
映画の内容が分かりました、ということよりは
この映画をどう思ったというのと
自分は通算1000本見ましたというのと
教授:
通算1000本っていうのはまさに灰色の男たちのロジック
数を観ることに意味がある
それを本当に味わうとか共有するとか
そこに心の豊かさがあるというのがポイントだと思います