■ブラサキラジオ 2014.5.20 OA
秋田へ向かう車中から。安全運転なタケオさん
♪Sausage Rock/Super Shuffle(札幌を拠点にするバンド
【5月のテーマは焼き肉 】
メンバのお気に入りは・・・
Cohさん「ジンギスカン」
修二さん「札幌ダルマ」
寝坊したキミノリさん「九州のホルモン」
誰もそれを思い出せなくて、「誰か他の女と間違ってるんじゃないの?(by ユキサン)」「私でもないよ(by Cohさん)」
リンゴ大ってゆってるのに、「ミカンくらいじゃないの(by ユキサン)」w
タケオさん「魂の店」? 店名はヒミツ。
前回の「春」に続き、このテーマで1ヶ月続けられるってのがスゴイw
【飲み屋コーナー】
「Dempsey's Mood”vol.3」て音楽とファッションのコラボ?イベントからのレポ。
【Cohさん+修二さんの“いささか音楽を聴いていただこう”のコーナー】
修二さん「いささかね」w
♪Coppin' Out/Slam Stewart Quartet
だいぶ高度テクニックらしい。ジャズは全部、技術的に難しそうだから、その違いは分からないなぁ
で、また肉の話のつづき。
ユキサン「札幌のジンギスカン」
自然派としては、美味しいホルモンが自分にとってどうかと悩んでいる。
立川の飲み屋を出て「ここ、どこ?」って言ってたって、相当だね
Cohさん「ホルモンといえば、こてっちゃん」説、私もそれしか食べたことないかも。「甲子園の味」?!
甲田さんは「クルマの中のトークは難しいねえ!」ってゆってたけど、
スタジオより全然、メンバの一体感が伝わってきて、自然で楽しい
図書館で借りたCDシリーズ。前回に引き続き、ペギー・リーを数枚と、ノラを借りてみた。
▼...Featuring Norah Jones(ノラ・ジョーンズの自由時間)/Norah Jones
私の中ではデビュー当時のイメージで止まっていたから、その後色々チャレンジしてて驚いた。
♪BLUE BAYOU
僅かなお金を節約しながら
太陽が沈むまで働き続ける
ブルー・バイユーでの
幸福な時を夢見ながら
▼The Fall/Norah Jones
ディスクが森のようなデザイン、ジャケにはセントバーナード、ライナーには、もっとたくさんのわんこ
ラップやったり、レイとの共演もあり(遺作となった)。トム・ウェイツの影響も大きいんだとか/驚
公私ともにパートナーだった恋人を失った孤独感を歌った曲ばかり。
▼...Little Broken Hearts/Norah Jones
ノラのデビュー作の時からセクシーなヒトだと思ってたけど、本人がそんな面より素のまま歌ってたのが新鮮に見えたっけ。
このジャケ写は、そんなノラのセクシーさをとらえた1枚。
今作も失恋後の歌詞、しかも前よりもっとドロドロ
なにも用意せず、スタジオに行って、プロデューサーと一緒にその場で作ったってすごい。
演奏も出来るだけ自分でやったみたい。なんだか、シェリル・クロウを思わせた。
▼Peggy Lee With the David Barbour & Billy May Bands, 1948
ラジオ番組用に録音したものらしく、司会者の紹介する声や、観客の歓声も入っている。
古い音源なのに音もクリアだし、生で歌ってるのに、レコード録音のような完成度。
【ライナーノーツ抜粋メモ】
ペギーが名を上げ始めたのは第二次大戦中だったため、日本で知ったのは戦後、在日米軍放送(現FEN)。
レコードはなかなか発売されず、待ちに待ってようやく1949年秋、日本コロムビアから出された、
ペギーの日本デビュー・レコードは、ベニー・グッドマン・セクステットと歌う
♪いつかどこかで と、♪明るい表通りで を合わせたSPだった。
今作は1948年、ラジオ番組用の録音を初めてアルバム化したもので、当時28歳。
男女を問わず、ペギーほど様々な不幸に見舞われ、それらを克服したエンタテイナーはいない。
子どもの時から音楽の才に優れていたが、乳搾り、ウエイトレス、三流サーカスの呼び子等、生計のためにあらゆる職についた。
リー嬢は、4度結婚した。バーバー、ジャック・デル・リオ、ブラッド・デクスター、デューイ・マーティン、いずれも離婚した。
脊椎に関節炎をわずらい、活動の制限を余儀なくされた時期があった。
その間、詩を詠み、本格的な絵を描き、自ら曲も書いたが、'60-'70ロック全盛期にはあまりに芸術的すぎてヒットにはならならなかった。
'70年代、NYのホテルで倒れ、数年間一切の仕事を中止し、'80年代からは仕事へのはやる心が湧いた時だけ歌うようにしている。
引退もほど遠くないのではないかと思いきや「喜んでくれるお客さんがいる限り、仕事するわよ」と言っている。(1985年)
▼Sings the Blues/Peggy Lee
♪See See Rider から始まって、Cohさんも歌ってた♪Tain't Nobody's Business など知ってる曲もちらほら。
ブルースを歌うって貴重な1枚では?
【ライナーノーツ抜粋メモ】
ブルースの歌詞は独特な基本的形式を持っている。
曲の長さが12小節、4小節ずつの3行からなっている。
歌詞の1行で、本人の苦しみなどを歌い、2行目で反復する。
終わりの3行で、その理由が入り、1コーラスを形成し、2、3コーラスと同じ形式でストーリーを進める。
ビリー・ホリディの死後、ペギーがクラブ「ベイズン・ストリート・イースト」に出演した時、
ナット・コールとエラを見つけ、いたずら気分で、敬愛するビリーの♪God Bless The Child をビリー風に歌った。
オーナーのラルフ・ワトキンスは、ビリーを何度も使ったことがあるので、
ペギーの歌があまりに似ていて、顔面が蒼白になるほど驚いたという。
ナット・コールも「あれはビリーそのものだった」と言ったという。
ペギー・リーは、1920年、ノースダコタ州で北欧系生まれ。
1934年 ファーゴの放送局で歌手兼番組アシスタントとしてプロデビュー。
1940年 ミネアポリスで、セブ・オルセン楽団に参加し、不倫仲となり、ウィル・オズボーン楽団に移る。
気管支炎を患って帰郷、オズボーン楽団も解散。
ハリウッドで、シカゴのアンバサダー・ウエスト・ホテルのクラブ「バタリー」で歌い始める。
そこにベニー・グッドマンが来て、才能を認め、ヘレン・フォレストの後釜として1941年入団。
♪エルマーズ・テューン が初レコーディング。同楽団のギタリスト、デイヴ・バーバーと結婚、
1943年 出産のため退団、一時引退。その後、2人でキャピトルと契約。
夫婦合作で♪マニアーナ がミリオン・セラーとなる
1952年 キャピトルを離れ、アメリカン・デッカと契約。念願の♪ラバー を録音、ミリオンセラーとなる
1956年 古巣のキャピトルに返り咲き、後半はフリーになって、数々の録音を残した。
♪Fine And Mello は♪ビリーズ・ブルース と並ぶ、ビリーの作った数少ないブルース。
秋田へ向かう車中から。安全運転なタケオさん
♪Sausage Rock/Super Shuffle(札幌を拠点にするバンド
【5月のテーマは焼き肉 】
メンバのお気に入りは・・・
Cohさん「ジンギスカン」
修二さん「札幌ダルマ」
寝坊したキミノリさん「九州のホルモン」
誰もそれを思い出せなくて、「誰か他の女と間違ってるんじゃないの?(by ユキサン)」「私でもないよ(by Cohさん)」
リンゴ大ってゆってるのに、「ミカンくらいじゃないの(by ユキサン)」w
タケオさん「魂の店」? 店名はヒミツ。
前回の「春」に続き、このテーマで1ヶ月続けられるってのがスゴイw
【飲み屋コーナー】
「Dempsey's Mood”vol.3」て音楽とファッションのコラボ?イベントからのレポ。
【Cohさん+修二さんの“いささか音楽を聴いていただこう”のコーナー】
修二さん「いささかね」w
♪Coppin' Out/Slam Stewart Quartet
だいぶ高度テクニックらしい。ジャズは全部、技術的に難しそうだから、その違いは分からないなぁ
で、また肉の話のつづき。
ユキサン「札幌のジンギスカン」
自然派としては、美味しいホルモンが自分にとってどうかと悩んでいる。
立川の飲み屋を出て「ここ、どこ?」って言ってたって、相当だね
Cohさん「ホルモンといえば、こてっちゃん」説、私もそれしか食べたことないかも。「甲子園の味」?!
甲田さんは「クルマの中のトークは難しいねえ!」ってゆってたけど、
スタジオより全然、メンバの一体感が伝わってきて、自然で楽しい
図書館で借りたCDシリーズ。前回に引き続き、ペギー・リーを数枚と、ノラを借りてみた。
▼...Featuring Norah Jones(ノラ・ジョーンズの自由時間)/Norah Jones
私の中ではデビュー当時のイメージで止まっていたから、その後色々チャレンジしてて驚いた。
♪BLUE BAYOU
僅かなお金を節約しながら
太陽が沈むまで働き続ける
ブルー・バイユーでの
幸福な時を夢見ながら
▼The Fall/Norah Jones
ディスクが森のようなデザイン、ジャケにはセントバーナード、ライナーには、もっとたくさんのわんこ
ラップやったり、レイとの共演もあり(遺作となった)。トム・ウェイツの影響も大きいんだとか/驚
公私ともにパートナーだった恋人を失った孤独感を歌った曲ばかり。
▼...Little Broken Hearts/Norah Jones
ノラのデビュー作の時からセクシーなヒトだと思ってたけど、本人がそんな面より素のまま歌ってたのが新鮮に見えたっけ。
このジャケ写は、そんなノラのセクシーさをとらえた1枚。
今作も失恋後の歌詞、しかも前よりもっとドロドロ
なにも用意せず、スタジオに行って、プロデューサーと一緒にその場で作ったってすごい。
演奏も出来るだけ自分でやったみたい。なんだか、シェリル・クロウを思わせた。
▼Peggy Lee With the David Barbour & Billy May Bands, 1948
ラジオ番組用に録音したものらしく、司会者の紹介する声や、観客の歓声も入っている。
古い音源なのに音もクリアだし、生で歌ってるのに、レコード録音のような完成度。
【ライナーノーツ抜粋メモ】
ペギーが名を上げ始めたのは第二次大戦中だったため、日本で知ったのは戦後、在日米軍放送(現FEN)。
レコードはなかなか発売されず、待ちに待ってようやく1949年秋、日本コロムビアから出された、
ペギーの日本デビュー・レコードは、ベニー・グッドマン・セクステットと歌う
♪いつかどこかで と、♪明るい表通りで を合わせたSPだった。
今作は1948年、ラジオ番組用の録音を初めてアルバム化したもので、当時28歳。
男女を問わず、ペギーほど様々な不幸に見舞われ、それらを克服したエンタテイナーはいない。
子どもの時から音楽の才に優れていたが、乳搾り、ウエイトレス、三流サーカスの呼び子等、生計のためにあらゆる職についた。
リー嬢は、4度結婚した。バーバー、ジャック・デル・リオ、ブラッド・デクスター、デューイ・マーティン、いずれも離婚した。
脊椎に関節炎をわずらい、活動の制限を余儀なくされた時期があった。
その間、詩を詠み、本格的な絵を描き、自ら曲も書いたが、'60-'70ロック全盛期にはあまりに芸術的すぎてヒットにはならならなかった。
'70年代、NYのホテルで倒れ、数年間一切の仕事を中止し、'80年代からは仕事へのはやる心が湧いた時だけ歌うようにしている。
引退もほど遠くないのではないかと思いきや「喜んでくれるお客さんがいる限り、仕事するわよ」と言っている。(1985年)
▼Sings the Blues/Peggy Lee
♪See See Rider から始まって、Cohさんも歌ってた♪Tain't Nobody's Business など知ってる曲もちらほら。
ブルースを歌うって貴重な1枚では?
【ライナーノーツ抜粋メモ】
ブルースの歌詞は独特な基本的形式を持っている。
曲の長さが12小節、4小節ずつの3行からなっている。
歌詞の1行で、本人の苦しみなどを歌い、2行目で反復する。
終わりの3行で、その理由が入り、1コーラスを形成し、2、3コーラスと同じ形式でストーリーを進める。
ビリー・ホリディの死後、ペギーがクラブ「ベイズン・ストリート・イースト」に出演した時、
ナット・コールとエラを見つけ、いたずら気分で、敬愛するビリーの♪God Bless The Child をビリー風に歌った。
オーナーのラルフ・ワトキンスは、ビリーを何度も使ったことがあるので、
ペギーの歌があまりに似ていて、顔面が蒼白になるほど驚いたという。
ナット・コールも「あれはビリーそのものだった」と言ったという。
ペギー・リーは、1920年、ノースダコタ州で北欧系生まれ。
1934年 ファーゴの放送局で歌手兼番組アシスタントとしてプロデビュー。
1940年 ミネアポリスで、セブ・オルセン楽団に参加し、不倫仲となり、ウィル・オズボーン楽団に移る。
気管支炎を患って帰郷、オズボーン楽団も解散。
ハリウッドで、シカゴのアンバサダー・ウエスト・ホテルのクラブ「バタリー」で歌い始める。
そこにベニー・グッドマンが来て、才能を認め、ヘレン・フォレストの後釜として1941年入団。
♪エルマーズ・テューン が初レコーディング。同楽団のギタリスト、デイヴ・バーバーと結婚、
1943年 出産のため退団、一時引退。その後、2人でキャピトルと契約。
夫婦合作で♪マニアーナ がミリオン・セラーとなる
1952年 キャピトルを離れ、アメリカン・デッカと契約。念願の♪ラバー を録音、ミリオンセラーとなる
1956年 古巣のキャピトルに返り咲き、後半はフリーになって、数々の録音を残した。
♪Fine And Mello は♪ビリーズ・ブルース と並ぶ、ビリーの作った数少ないブルース。