一昨日夜、BS映画「老親」を見ただろうか。
老親の介護を誰がどうするのかがテーマの映画だったが、子ども夫婦のそれぞれの生活の自立も絡めていて興味深かった。
あらすじはこうだ。
奈良で両親と同居していた長男夫婦だったが、夫が東京に単身赴任して7年間、嫁はひたすら夫の老親二人の介護と子育てに明け暮れた。やがて姑が死去したが、葬儀の後で親戚中から長男の嫁としての介護の仕方や態度が悪かったと非難された。
夫が大阪に転勤になったのを幸いに、仕事に逃げて子育ても介護も妻にまかせっぱなしを決め込んできた夫に、妻は離婚を請求する。これからは嫁として期待される生活ではなく、自分の人生を生きたいという理由だった。従って財産分与はしてもらわなくて良いと言うのだ。
夫婦が離婚後、妻に先立たれた舅は長男である夫が同居して面倒を見る事となったが、その舅が家出をして息子と離婚した彼女と子どもが暮らす家へ転がり込んだのだ。
彼女は生活のために仕事をしているため、舅に自分のことはできるだけ自分でやってくれるなら同居しても良いという。今までやったことのない炊事をすることになった舅は、失敗しながらも一生懸命頑張ってやろうと努力するのだ。
とまあこんな具合に、一人の人間として老親も息子も嫁(離婚後の彼女)もそれぞれが自立した人間としての生き方を模索し、かつ老親の介護のあり方を考えさせられる映画だった。
今日、私は病院の待合室で映画と似た夫婦に会った。
認知症の父親に付き添った息子とその妻が診察を待っていたのだが、車椅子に座って、休み無くお喋りしている90才に近い父親の傍で細やかに世話をしているのは妻、少し離れた場所の椅子に座って、まるで他人のような顔をして新聞を読んでいるのが長男らしい息子だ。
父親が「息子は帰ったのか」と聞くと、妻が「すぐ傍に居るよ」と教えて安心させていた。私はどうして息子が傍に居てやらないのか不思議だった。自分の親の介護を嫁としての妻に丸投げしている様に見え、自分の親なのに責任感が薄弱のように感じた。(後で分かったのだが、息子は会社を休んで車で病院に送迎する役割をした様だった)
すでに三十年も前から、老親の介護の仕方は変わった。介護を含めた全生活を施設にお任せする事が一般化したのだ。それも悪いことではないと思うが、心のケアーは家族や兄弟姉妹などの近親者が担う必要があると私は思う。
現代は少子化で、一人息子と一人娘が増えているのだから、夫婦で4人の老親を看取らねばならないのだ。もう男だから、女だから、嫁だからと言って居られないだろうと思う。それぞれができることを精一杯するのが一番ではないかと思うのだが、どうだろうか。