昨日14日は、娘を誘って私の母方の実家の墓におまいりに行った。
その墓は、昭和初期に私の母の父親(つまり私の祖父)が作った墓で、それまでお寺の納骨堂にあった8つの骨箱のお骨を引き上げ、去年12月に伯母と一緒にすべて納骨した墓なのである。
そこには亡くなった伯父から38年前に希望された私の母の分骨も眠っているのだ。
帰りには、朝、すでに墓参りを済ませたという伯母の所に寄った。
伯母は、「墓があるので私も安心だけれど、私の後にはもう誰も来てくれる人は居ない。今では結婚しない人、しても子供が居ない人など色々居る。自分も1人息子にも先立たれてしまって、仕方がないと思うけれど、それを思うと寂しい。」という。
私は、「私が生きている間だけは、時々お参りをするから。」と言って慰めた。
今、葬儀のあり方や遺骨をどのようにするかなど、従来の風習に縛られない考え方に基づいた新しいスタイルの葬祭が行われるようになって来ている。
これには、非婚者の増加、核家族化、少子化、家族の絆の弱体化、人口の都市集中による地域の絆の崩壊、田舎の過疎化など、戦後の社会の変化に伴って、田舎の墓を守るというこれまでの形式を維持することが難しくなって来ているという背景がある。
私自身もその時を考えても来た。公共の墓地に墓を作ることも考えて見たが、現在の私の希望は、家族葬(直葬)をして海に散骨してもらう事で、家族にもそれを伝えてある。
子孫に負担を掛けない方法としては、これが一番いいのではないかと考えているのだ。
昨日出かける前に作った白花豆入り蒸しパンと、庭のトマト、掘りあげておいたレッドムーンのじゃが芋を伯母の土産にした。
今朝、お礼の電話が来たが、蒸しパンもトマトも凄く美味しかったと言うので、「花豆が甘いので、パンの砂糖は少なめにしたんだよ。また作って持って行くからね。」と返事をした。
その墓は、昭和初期に私の母の父親(つまり私の祖父)が作った墓で、それまでお寺の納骨堂にあった8つの骨箱のお骨を引き上げ、去年12月に伯母と一緒にすべて納骨した墓なのである。
そこには亡くなった伯父から38年前に希望された私の母の分骨も眠っているのだ。
帰りには、朝、すでに墓参りを済ませたという伯母の所に寄った。
伯母は、「墓があるので私も安心だけれど、私の後にはもう誰も来てくれる人は居ない。今では結婚しない人、しても子供が居ない人など色々居る。自分も1人息子にも先立たれてしまって、仕方がないと思うけれど、それを思うと寂しい。」という。
私は、「私が生きている間だけは、時々お参りをするから。」と言って慰めた。
今、葬儀のあり方や遺骨をどのようにするかなど、従来の風習に縛られない考え方に基づいた新しいスタイルの葬祭が行われるようになって来ている。
これには、非婚者の増加、核家族化、少子化、家族の絆の弱体化、人口の都市集中による地域の絆の崩壊、田舎の過疎化など、戦後の社会の変化に伴って、田舎の墓を守るというこれまでの形式を維持することが難しくなって来ているという背景がある。
私自身もその時を考えても来た。公共の墓地に墓を作ることも考えて見たが、現在の私の希望は、家族葬(直葬)をして海に散骨してもらう事で、家族にもそれを伝えてある。
子孫に負担を掛けない方法としては、これが一番いいのではないかと考えているのだ。
昨日出かける前に作った白花豆入り蒸しパンと、庭のトマト、掘りあげておいたレッドムーンのじゃが芋を伯母の土産にした。
今朝、お礼の電話が来たが、蒸しパンもトマトも凄く美味しかったと言うので、「花豆が甘いので、パンの砂糖は少なめにしたんだよ。また作って持って行くからね。」と返事をした。