≪ルーマニア/シギショアラ観光≫
歴史的な建物が多い美しい町であり、ルーマニア第二の都市である「ブラショフ」を後にして、120km南下し、「シギショアラ」に行った。
「シギショアラ」は人口3万人の中世の雰囲気が残る小さな町だが、1191年にハンガリー王の命でドイツのザクセン人が入植して繁栄し、15~16世紀には15ものギルドがある城壁で囲まれた城砦都市だったという。
「時計塔」は、町が商工ギルドの自治都市になったのを記念して14世紀に建てられた町のシンボルで、今でもその仕掛け時計は健在だった。
また、時計塔の傍に伝説「ドラキュラ」で有名な「ヴラド・ツェペシュ王」の生家があり、現在はレストランになっていた。
彼の父親「ヴラド・ドラクル」は、この家に1431年から4年間、ハンガリー王により幽閉されていたという。(右側奥の黄色い家)
私達はそのレストランで昼食を取ったが、『血のスープ』と名づけられたトマトスープは美味しかったし、続いて出たマッシュポテトと牛肉の煮込み料理の盛り合わせもなかなか美味しかった。
昼食後、写真奥に写っている入り口から、約700段ある屋根が付いた階段を登って、見晴らしが良い「山上教会」にも行った。
レストラン前の小さな広場では、風景画を描いて売る人や結婚式を前にしたカップルが色々なポーズをとって写真を写していた。楽しい雰囲気に溢れた町だった。
歴史的な建物が多い美しい町であり、ルーマニア第二の都市である「ブラショフ」を後にして、120km南下し、「シギショアラ」に行った。
「シギショアラ」は人口3万人の中世の雰囲気が残る小さな町だが、1191年にハンガリー王の命でドイツのザクセン人が入植して繁栄し、15~16世紀には15ものギルドがある城壁で囲まれた城砦都市だったという。
「時計塔」は、町が商工ギルドの自治都市になったのを記念して14世紀に建てられた町のシンボルで、今でもその仕掛け時計は健在だった。
また、時計塔の傍に伝説「ドラキュラ」で有名な「ヴラド・ツェペシュ王」の生家があり、現在はレストランになっていた。
彼の父親「ヴラド・ドラクル」は、この家に1431年から4年間、ハンガリー王により幽閉されていたという。(右側奥の黄色い家)
私達はそのレストランで昼食を取ったが、『血のスープ』と名づけられたトマトスープは美味しかったし、続いて出たマッシュポテトと牛肉の煮込み料理の盛り合わせもなかなか美味しかった。
昼食後、写真奥に写っている入り口から、約700段ある屋根が付いた階段を登って、見晴らしが良い「山上教会」にも行った。
レストラン前の小さな広場では、風景画を描いて売る人や結婚式を前にしたカップルが色々なポーズをとって写真を写していた。楽しい雰囲気に溢れた町だった。