花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「インドネシア旅行」(1)

2013年06月10日 | 海外旅行「東南アジアⅠ」フィリピン・インドネシア
≪明日から6日間の旅に出る≫

本日でようやく外国旅行体験「ルーマニア・ブルガリア」を書き終える事ができて良かった。安心して明日から「インドネシア」に出かける
明日は早朝7;50の飛行機で成田に行く。帰りは16日昼の予定。

インドネシアは、赤道近くに位置していて年中暑い熱帯性気候の国だ。
東南アジアの他の国々に比べると島の数が多く、合計面積は日本の約5倍と広い。
しかし人口は日本の2倍で、多数の民族が住む多民族国家だ。
87%がイスラム教でキリスト教は10%、仏教は0.3%だという。

一番の心配は暑さと虫さされだ。覚悟はして行くがどうなることやら…

当地もやっとこの所気温が上がり出し、晴天続きなので、今朝も庭に水を撒いた。
ボタン、ジャーマンアイリスが開花し、薔薇もようやく葉が出揃った感じだ。
借りている市民農園にも7時に行って来たが、5月29日に種を蒔いた枝豆がようやく出揃っていた。しかし、隣の畑の枝豆が、雌鹿に食べられたというので私の畑も心配だ。
1週間後、帰国した時は、庭や畑の様子が変わっていることを期待している。
荷物造りはこれからする。
健康状態と思いがけない事故に注意し、出かけて来るので宜しく。








「ルーマニア・ブルガリア」旅行(16)

2013年06月10日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅡ」ルーマニア、ブルガリア
観光最後の日の朝、
「アレクサンドル・ネフスキー寺院」
にもう一度行った。
すると たまたまその日は「キリル文字使用記念日」の「国民の祝日」で、大勢の人達が11時に行われるパレードのために町に出て来ていた。

「アレクサンドル・ネフスキー寺院」では、丁度10時からミサが行われる所だった。
市民が見守る中、儀礼服を着た大司教が聖書を朗詠した。TV局のカメラマンも何人も来ていたので、私達にも普段できない写真撮影が許された。
そして何と「イコノタス」の中央部が開いていたのだ。なかなか出会えない様な出来事だった。





その後、中心街をぶらぶらした。大通りで車の通行を遮断して、各種団体が行進しながらパフォーマンスを披露していた。民族衣装を着たグループも多かった。
広場で大統領が挨拶する場面もあったらしいが、私は人が溢れていて傍に行けなかった。友人はしっかり大統領の写真を撮っていた。
最後に「国立劇場」前の広場に行くと、小グループが歌を唄ったり楽器を演奏していた。現地ガイドが頼むと、子ども達は写真を撮らせてくれたり、楽器を演奏してくれた。
思いがけない祝日に遭遇できて本当に良かった。

  

  

これで全ての観光は終ったので、昼食後、バスでソフィア空港に向かい、帰国の途に着いた。
航空機はブカレストで一端着陸して乗客を乗降したが、私達は機内で待機して、再びドーハに向かった。
ドーハで乗り継ぎ、10時間かけて日本時間5月25日17時50分に成田に着いた。
私は成田のホテルに1泊後、翌朝10時20分のJALで新千歳空港に無事帰って来た。

私には11日間の旅行だったので疲れたが、今回も気が合う旅友と出会ったり、楽しい思い出が沢山できた良い旅行になった。
最後に、長い記事に付き合ってくれた皆さんに、お礼を言いたい。
そして、日本からは遠い地にある国「ルーマニア」と「ブルガリア」に、今までよりも親しみを感じてもらえたら幸いである。
                                       (完)

 

 




「ルーマニア・ブルガリア」旅行(15)

2013年06月10日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅡ」ルーマニア、ブルガリア
≪ブルガリア/ボヤナ教会・リラの僧院≫

旅も8日目となり、ブルガリアのハイライト、「リラの僧院」に行く日だった。
初めに、ソフィアのホテルを出て南西8kmの町「ボヤナ」にある世界遺産「ボヤナ教会」を訪れた。
この教会は標高2000m級の山が連なるビトシャ山の麓にあり、11世紀に建築されてから2度増築したというが、本当に小さな教会だった。
しかし、中のフレスコ画が価値があり、世界遺産になっているのだ。(内部の写真撮影は禁じられていた)
写真の左側が最古の建物で、中のフレスコ画も素晴らしかった。

  

それから110km南にある「リラの僧院」に行く途中で、「コウノトリ」が巣を作る村を通った。また昼食は、渓谷の傍に建つレストランで「マス料理」のランチを食べた。美味しかった。

  

「僧院」は「リラ山脈」の奥深く、曲がりくねった山道を登った先にあった。「リラ」とはトラキア語で「水の豊かな地」という意味だそうだ。
着いた時は雨が降り出していて、まだ午後を過ぎたばかりなのに薄暗かった。

  

ここは元々10世紀に『イヴァン・リルスキ』という僧侶が隠遁の地に選び、小さな寺院を建てたのが始まりという。14世紀に王に庇護されて今の様な形になり、「ブルガリア正教」の総本山となった。
500年間のオスマン朝の支配の時代には、税金を納めることでこの僧院の存在が黙認されたらしい。

周囲を取り囲む僧坊の中心に「聖母誕生教会」が建てられていて、三方のアーケードの壁と天井にぎっしりと描かれたフレスコ画ははっきりとした色彩の絵で圧倒された。
教会内部の撮影は禁止されていたが、幅10mもあるという木製の「イコノタス」(その奥は天国に通じると考えられている仕切り)には、非常に精巧な彫刻がされていて、それに金箔が張ってあり、輝いていた。

 

  

360もあった僧房は、1833年大火で「フレリョの塔」以外は消失してしまった。その後復旧再建され、1983年世界文化遺産に登録された。

 
 
僧房の一部が公開されていた。写真は上級僧侶の部屋であろう。また、裏側に回るとライラック(リラ)の花が植えてあり、花は終りかけていた。



「僧院」には「歴史博物館」が併設されていて、貴重な文物が展示されていた。そこも撮影は禁止されていた。
 
その夜、オプショナルに行かなかったので、友人と夕食をホテル傍のスーパーマーケットに買いに行った。ダンボールショップの様な形式の大型店で、何でも大量の品物がパックに詰められていて驚いた。すし屋があったので、注文して巻いてもらいホテルで食べた。まあまあ美味しかった。

 



「ルーマニア・ブルガリア」旅行(14)

2013年06月10日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅡ」ルーマニア、ブルガリア
≪ブルガリア/首都「ソフィア」観光≫

「プロブディフ」観光後、150km西北西にある首都「ソフィア」までバスは走った。
「ソフィア」は、ブルガリアの西部、ビトシャ山の麓にある町なので、標高が550mもある人口140万人の高原都市なのだ。私には何となく暑さが和らいだ様に感じられた。

ガイドブックに拠ると紀元前7世紀に「トラキア人」が町を造ったが、紀元後は「ローマ」の支配を受けた。そして1398年~19世紀の500年間は「オスマン朝」が支配した
19世紀末の露土戦争で独立したが、第二次大戦後は政治的に旧ソ連に組み込まれ、社会主義化が推し進められた。旧ソ連の民主化後は、ブルガリアも親西欧路線を推し進めている。

「ソフィア」に着くと直ぐ、バスを「アレクサンドル・ネフスキー寺院」傍の駐車場に止めて中心部の市内観光をした。

この寺院は、1878年、オスマントルコからの独立を果たした露土戦争で、ロシアから支援に来て戦死した20万人のロシア兵を慰霊するために、1882年から40年の歳月をかけて建造した寺院だ。
高さ60mの金色ドームと12のドームがあり、巨大なシャンゼリア、モザイク画で飾られている。
余りに大きいので、かなり離れないと写真に収められなかった。内部の撮影は禁止だった。

この寺院を見た時、突然、昔唄ったロシア民謡『バルカンの星の下に』を思い出した。『黒き瞳いずこ 我が故郷いずこ ここは遠きブルガリア ドナウの彼方…』という歌だ。(調べたら、第二次世界大戦末期の1944年頃、故郷を懐かしんだロシア兵たちに歌われた歌だという)

 

次に「聖ソフィア寺院」「聖ロシア正教会」「旧王室」「大統領官邸」「旧共産党本部」「聖ソフィア像」「バーニャ・バシ・ジャーミャモスク」「聖ゲオルギ教会」と順に見学した。支配者が変わる毎に建てられたそれぞれの時代の文化財が肩を並べていた。
 
①聖ロシア正教会(1913年建立) ②バーニャ・バシ・ジャーミャモスク


③大統領官邸と衛兵交代式


④聖ソフィア像           ⑤聖ゲオルギ教会(4世紀の温泉施設もあった教会)

  

⑥聖ペトカ地下教会(14世紀オスマン朝時代に遠慮がちに半地下で建てられた教会)

  

「アレクサンドル・ネフスキー寺院」傍の緑地に、日本とブルガリアの国交40周年を記念して1999年10月に日本が桜の苗木50本を贈ったという記念碑が立っていた。