≪ルーマニア/ブラン城観光≫
4日目は、ブラショフの南西30kmのブラン村にある「ブラン城」の見学から始まった。
車窓にはのどかな田園風景が続き、広々とした牧草地に牛や山羊、羊が放牧されているのだった。
次第に「カルパチヤ山脈」が迫って来て、山岳地帯の風景になった。
ブラン村に着いた。チケットを買って「ブラン城」の門をくぐった。
この城はもともとブラショフに攻めてくるオスマン朝軍を発見するために1377年にドイツ商人が建てたものだが、14世紀末に「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったワラキア公3世「ヴラド・ツェペシュ」の祖父が居城にしたのだった。
「ヴラド・ツェペシュ」は、裏切り者やオスマン朝の兵士を串刺しにして処刑し、見せしめにしたと伝えられ、それがおぞましい「吸血鬼ドラキュラ」のイメージに重なったと言われる。現在では国の英雄として称えられている。
「ブラン城」は、小さな中庭がある木造4階建ての建物で、王の執務室、居間、食堂、寝室など、部屋はどれも美しく整えられていた。
中庭の向こうに塔を見るベランダからの景色は、開放的で素敵だった。
甲冑や武器を飾った部屋と無数の針が付いた拷問用の椅子も展示されていた。
4日目は、ブラショフの南西30kmのブラン村にある「ブラン城」の見学から始まった。
車窓にはのどかな田園風景が続き、広々とした牧草地に牛や山羊、羊が放牧されているのだった。
次第に「カルパチヤ山脈」が迫って来て、山岳地帯の風景になった。
ブラン村に着いた。チケットを買って「ブラン城」の門をくぐった。
この城はもともとブラショフに攻めてくるオスマン朝軍を発見するために1377年にドイツ商人が建てたものだが、14世紀末に「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったワラキア公3世「ヴラド・ツェペシュ」の祖父が居城にしたのだった。
「ヴラド・ツェペシュ」は、裏切り者やオスマン朝の兵士を串刺しにして処刑し、見せしめにしたと伝えられ、それがおぞましい「吸血鬼ドラキュラ」のイメージに重なったと言われる。現在では国の英雄として称えられている。
「ブラン城」は、小さな中庭がある木造4階建ての建物で、王の執務室、居間、食堂、寝室など、部屋はどれも美しく整えられていた。
中庭の向こうに塔を見るベランダからの景色は、開放的で素敵だった。
甲冑や武器を飾った部屋と無数の針が付いた拷問用の椅子も展示されていた。