花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「ルーマニア・ブルガリア」旅行(13)

2013年06月09日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅡ」ルーマニア、ブルガリア
≪ブルガリア/プロブディフ観光≫

旅行7日目は、前夜の宿泊地「プロブディフ」観光から始まった。
「プロブディフ」の歴史は古く、紀元前19世紀にはトラキア人が住んでいたらしい。
現在は人口38万人のブルガリア第二の都市だ。
旧市街の傍に「マリッツア川」が流れていて、両岸には街路樹が植えられ散策路が整備されていた。ホテルは旧市街の傍だったので、歩いて屋根のある橋を渡り、旧市街に向かった。橋に行って見たら両側が店になっていて、川は全く見えなかった。

 

先ず、「イマレット・ジャーミヤモスク」に行った。かっては救護院だったらしい。(写真は無い)
続いて「ジュマヤモスク」に行った。14世紀のオスマン朝皇帝「ムラト2世」の時代に建てられた中型のモスクだが、入り口に清めの場所があった。男性は1階、女性は2階で祈るのだ。
モスクには一切の偶像は置かれていない。一番奥の壁が凹んだ所が1番大切な場所でメッカの方角を現している。信者は1日5回、その方向に向かって祈りを捧げるのだ。

  

 

「ジュマヤモスク」の傍の地下に「ローマ時代の競技場跡」の一部が発掘保存されていた。かって戦車の戦いやレスリングなどが行われた競技場で、観客は3000人が入れたという。(全体像がわかる模型が飾られていた)
競技場から数メートル上にある現代の地面を見上げると、そこに現代の市民が暮らす建物と生活があり、不思議な感じがした。ローマが支配した地域には、まだ発見されていない似たような地下遺跡が多数あるのだと思う。

  

 


暫く東側に歩いて坂を登ると「聖処女教会」に着いた。その傍に丘の下の町を臨むことができる半円形の「ローマの円形劇場跡」が残っていた。
3000人が入れる立派な劇場跡で、今でも夏にはコンサートや野外劇が行われているという。傍にあった「つる薔薇のパーゴラ」が素敵だった。

  

その後、木造建築が保存されている「民族復興地域」に行った。ドイツの木造建築に似た「木組み様式」で建てられた建築が多かった。近くに1847年に建てられた「民族博物館」があった。私達はそこのトイレを借りた。

  

一つ、面白い事があった。写真を撮りたい店があったので、私は中にいた男性店員に撮っていいか聞いた。すると首を横に振ったので、駄目なんだと思って出て来た。添乗員に言うと、「首を横に振ったのはOKという意味です。駄目なら縦に振ります。」と言うので、また行って写真を撮って来た。
ブルガリア人のしぐさには、日本と反対のしぐさがあった。



「ルーマニア・ブルガリア」旅行(12)

2013年06月09日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅡ」ルーマニア、ブルガリア
(6日目の記事が抜けていたので、ここに掲載する)

≪ブルガリア/野外博物館、薔薇博物館、トラキア人の墓≫

6日目はヴェリコ・タルノヴォを出て50km南西の「カブロヴォ」近郊にある「エタル野外博物館」に立ち寄った。
ここは1960年に造られ、職人町を再現した場所だった。「シベク川」の水を利用して水車を回し、穀物を搗いたり、糸をつむいだり、刃物を研いだりする動力に利用していた。木彫り細工、刃物、毛皮、パン、お菓子などを造って売る店があった。

  

さらに50km南に走り、「カザンラク」にある「薔薇の香油博物館」に行った。香油の採取法が展示されていた。
毎年6月の初めに開かれる「薔薇祭り」でその年の「ミス薔薇祭り」が選ばれるそうで、歴代の優勝者の写真も飾られていた。
「カザンラク」とは、薔薇の香油を作る時に使う「銅の釜」の意味。薔薇の谷で一番大きい薔薇栽培の中心地だった。
薔薇は早朝に花びらを摘み、直ぐに処理をするそうだ。
博物館の庭には、沢山の薔薇が咲いていたが、油虫にまみれた薔薇も多かった。

  

 

「香油博物館」を出た後、現地ガイドさんの好意で薔薇農園に立ち寄って、香りの強い「ダマスクス系の薔薇」を摘む体験をした。
農家の経営者が来ていたので、「油虫などの害虫対策はどうしているのか。」と質問したら、「化学薬品は使わず、自然素材の薬を毎日撒いている。」という答えが返って来たので、私は納得した。

 

その後、「カザンラク」で発見された「トラキア人の墓」(レプリカ)が展示されている場所に行った。
ここは1944年に防空壕を掘った時、偶然発見され、今はユネスコの世界遺産に指定されている。
墓に描かれているフレスコ画は、紀元前3~4世紀のもので、戦闘場面、葬送儀式が描かれていた。絵に拠ると、夫が妻の手首をつかんで別れをしている様子が克明に描かれていた。
左の写真は墓の場所。右は別の場所に作られているレプリカ。その内部は撮影禁止だった。
(レプリカの写真は、展示場の入り口にあった「ドーム型の天井に描かれているフレスコ画」。馬の絵も精巧で驚かされる)

 

  

「ルーマニア・ブルガリア」旅行(11)

2013年06月09日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅡ」ルーマニア、ブルガリア
≪ブルガリア/ベリコ・タルノヴォ観光≫

「イワノボ岩窟教会」から南南西90kmのところの町「ベリコ・タルノヴォ」に向かった。
この町は、 「バルカン山脈」の東端にあって、幾つかの丘に囲まれた蛇行する「ヤントラ川」の渓谷に開けた町で、私達のホテルはその渓谷を背にして建てられたものだった。
また1187~1393年の200年間は、ブルガリア帝国の首都だった所でもある。

ホテルの5階にフロントや喫茶があり、そこから下の渓谷の中州を臨む景観が素晴らしかった。中州には「ベリコ・タルノヴォ美術館」があった。川の向こうに町が広がっていた。
 
  

  

ホテルは旧市街にあったので、そこから歩いて美しい旧市街を散策し、ブルガリア帝国時代の宮殿跡がある「ツァレベッツの丘」に行った。
1393年、オスマントルコ軍との3ヶ月の戦いで征服され、宮殿は破壊された。現在は頂上に「大主教教会」が建っていた。
その後500年間、ブルガリア全土はオスマン朝に支配された。

途中、夕立の強い雨と雹が降ったので小さなみやげ物屋に非難した。私はこの店で薔薇の香りがする「薔薇ハンドクリーム」を10個買った。雨が止んだので出て見たら綺麗な虹が掛かっていた。