花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「ポーランド旅行」(2)

2013年10月26日 | 海外旅行「東ヨーロッパⅠ」ポーランド・コソボ,マケドニア,アルバニア

ポーランドは夏時間だったので、1日目は24+7時間=31時間という長さの一日だった。首都「ワルシャワ」のホテルに到着した時刻は、現地時間22時50分だった。
風呂に入って寝たのは24時半頃だったが、催眠薬を飲んでぐっすりと寝た。

≪世界遺産「ザモシチ旧市街地区」≫

2日目、6時のモーニングコールで起こされ、スーツケースに荷物をまとめて朝食のレストランに行った。
EU共同体に入っているためか食材が豊富で、新鮮な果物や果肉100%の各種果物のジャムやジュース、ハム、ソーセージ、ベーコン、トマト、胡瓜、レタスなどが所狭しと並べられていた。どれも私の口に合ってとても美味しかった。翌日からのホテルの食事も似ていて満足だった。

  

  

7時半にバスで出発して、「ワルシャワ」の南東253kmの「ザモシチ」を目指し4時間半走った。
濃霧が立ち込めた薄暗い国道の両側に車窓から見る景色は、深まった秋を思わせる広葉樹の黄葉が美しく、まるで絵画を見ているようだった。
途中で見たヤドリギが私には珍しかった。

   

 

「ザモシチ」は人口7万人の小都市だが、貴族の「ヤン・ザモイスキ」(乗馬姿の銅像)が自分が見たイタリアの景観を再現するために1580年からイタリアから建築士を招いて造り、1600年に完成したルネッサンス様式の都市なのだそうだ。
今も当時の建物をそのままにした市民の暮らしがあった。

  



外敵の侵入を防ぐために、北海道の「五稜郭」に似た五角形の星型城壁を築いて都市が囲まれていたらしいが、今も一部がその当時のままに残されていて、「ザモシチ旧市街地区」はユネスコの世界遺産に指定されていた。

1939年、ザモシチにナチス・ドイツが侵攻した際は、その一部が処刑場として使われ、ポーランド人、ユダヤ人、ソ連兵が8000人も殺戮されたという。博物館の入り口にレリーフが1枚飾られていた。
私達はポーランド観光の第1日目から、目を覆う様な歴史的事実を突きつけられたのだった。

 

 

「ザモシチ」で昼食を摂り、午後はさらに320km西南の「クラフク」を目指して、バスで5時間走った。


コメント (6)
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