≪世界遺産「クラフク旧市街地区」≫
旅行3日目は、「クラフク」のホテルを出てから旧市街地区に向かった。
「クラフク」は11世紀から1596年までの550年間、ポーランドの首都だった街で、人口も75万人で路面電車とバスが行き交う大都市である。
しかし、第二次世界大戦中、「ワルシャワ」などの都市と違い、ナチス・ドイツが駐屯していたため爆撃されなかったので、旧市街もそのまま残された。その歴史的な町並みは、1978年に世界遺産に指定されている。
かってはクラフクの市民の1/3がユダヤ教徒(=ユダヤ人と呼ばれる)だったので、「ユダヤ人街」は映画『シンドラーのリスト』の撮影場所になったり、多くの「シナゴーク」(ユダヤ教会)もあったという。(4枚目の写真は「ザモシチ」で見たシナゴーク)
次いで旧市街の南側でバスを降り、高台に建つ歴代ポーランド王の居城であった「バベル城」まで10分程緩やかな坂を歩いて登って行った。
「旧王宮」は、この時期だけの黄葉やツタの紅葉が美しく、ビジターセンターになっていた。
坂を上り切った所から眼下にヴィスワ川が臨めた。
「バベル大聖堂」は14~18世紀迄の400年間、ポーランド王の戴冠式が行われた場所だ。幾度も増改築が行われたらしく、様々な様式の塔が入り組むように立っていた。
内部は写真撮影が禁止されていたが、祭壇は絢爛豪華な中にも長い歴史と落ち着きが感じられる造りだった。
地下には歴代の王の棺も納められていた。(2010年カチンの森の集団殺害事件と周年記念追悼式典に参加するために向かって航空機事故死したカチンスキ大統領夫妻も埋葬されていた)
見学を終えて坂を下ると、道端で民族服を着た男性がアコーデオンを弾いていた。
間もなく「聖マルチン教会」に出会った。
(私はプロテスタント教会のルター派が、第二次大戦中、ナチスを擁護したと書かれていた本を思い出した。
カトリック教会も多かれ少なかれナチスに屈したのかも知れない。ドイツでこれを反省したマリア教会が、教会新設時にステンドグラスの絵をアメリカに逃れていて助かったユダヤ人のマルク・シャガールに依頼して描いた。この教会は、小さいが世界遺産に指定されている)
この辺りでは観光用に馬車も人気があるようだった。
やがて総面積4万k㎡あって、中世から残っている広場としてはヨーロッパ最大の面積だという中央広場に出た。
広場の一角に1222年に建てられた「聖マリア教会」の塔が聳えて見える。
かってモンゴル軍が、1241年2月13日に凍ったヴィスワ川を渡河してクラクフ公率いるポーランド軍の守るサンドミェシュを包囲し陥落させた事(トゥルスクの戦い)がある。やがてこの年、市民は「クラフク」を捨て去ったという。
モンゴル軍が攻めて来た時、「聖マリア教会」の82mある塔から敵の襲撃を告げたラッパが、今も毎正時に塔の上の窓から吹き鳴らされる。残念ながらその時のラッパ手は敵の矢で喉を射られて死んだので、彼を悼んで吹き鳴らし続けているのだという。
私達はその音を11時の時刻まで待って聞いた。上部の窓が開き、人影が見えた。ラッパを吹き終わると彼は窓から手を振った。
ラッパは十秒間程に思えたが、市民皆で歴史を記憶に留めようと努力している姿に感じ入った。
広場を挟み「聖マリア教会」「市庁舎」の反対側には長さ100m、14世紀に建てられ、織物や衣料品の取引所だった色鮮やかな「織物会館」があった。
現在1階は、特産の木彫り工芸品や琥珀などのみやげ物店が軒を連ねていた。私はここで娘の土産に木彫りの箱を買った。