花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「ウズベキスタンの旅」(8)

2014年06月02日 | 海外旅行「中央アジア」ウズベキスタン
≪西部都市ヒヴァの観光≫(3)

②「ジュマ(金曜日)・モスク」
このモスクは10世紀に建てられた後、修復工事を重ねた「多柱式」モスクである。約3m間隔で213本の木の柱が並んでいる。
柱には一本々々細かい異なる彫刻が施されていて見事だ。脂を塗って水をはじいていた。人の形をデザイン化したものもあった。
天窓から入る光だけが明かり取りなので、独特な雰囲気がある。
42mの高さのミナレットがあった。

 

  

③「奴隷市場」
「ヒヴァ」には、中央アジア最大の奴隷市場があった。
ガイドブックによると、19世紀の初めにロシアは、ロシア人奴隷の解放を口実にして「ヒヴァ」に軍隊を送り込んでいたが、1873年「ヒヴァ」を全面降伏させて3000人のロシア人奴隷を解放したという。健康で強靭なロシア人奴隷は、ラクダ4頭で売られていたらしい。
この時、それ以外の奴隷も3万人いたというが、ロシアは解放した。

かっての「奴隷市場」は今はアーケード街になっていて、大勢の人々が行き交っていた。壁側の小部屋は、みやげ物店や家内工業の場所として使われていた。

 

④「タシュ・ハウリ宮殿」
こ宮殿は1830年代に建てられた豪華な宮殿で、中庭を囲む二階建ての建物が「アラクリ・ハン」の「ハーレム」だった。
中庭南面の大きな5つの部屋は、それぞれハンと4人の正妻が住んでいた。(イスラム教では、4人の妻まで持つことが認められている)中庭北面の中小163もの部屋には、その他の女性が住んでいたという。
入り口にあるハンの暗い部屋の奥には、ハンが使ったベッドが置かれていた。



 

⑤木彫り工芸品・「ナン」を焼く若い女性
伝統的な木彫りの工芸品が色々売られていたが、職人達がドアを彫っている所を見た。中学を卒業したばかりの様な少年も混じって、日陰で一所懸命にノミを使っていた。

昼食のレストランの側で、土製のかまどに綿花の枯れ枝を押し込んで燃やし、「ナン」を焼いている女性を見かけた。
その日の気温は38℃はあったと思うが、炎天下、煙が立ちこめる熱いかまどに「ナン」を出し入れしている姿には感嘆した。
「ナン」は「ウズベキスタン」の主食のパンで、塩だけの味だが美味しかった。





旧市街見学後少し休んでから、夕方、飛行場がある「ウルゲンチ」にバスで向かった。
途中、かって「ヒヴァ」王朝の夏の宮殿だった所で夕食を食べた。庭が広く、ワイン用のブドウ畑があった。各部屋の装飾が素晴らしかった。
  


「ウルゲンチ」発21;10の飛行機でおよそ330kmの「ブハラ」迄飛んだ。「ブハラ」のホテルに着いたら深夜だった。
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