登山家 田部井淳子さんが亡くなった。77歳の若さだったという。
彼女の登山をTVが最後に伝えたのは、7月末に東北の高校生達と登った富士登山だった。
TVではまだまだ元気そうに見えたが、実は病院から「外泊」の許可を貰って参加した彼女の体調が思わしくなく、高校生達を励ましながらも自分は登頂ができなかったそうだ。
今朝の新聞を見ると、2012年に「腹膜癌」が分かった時、医師からは「余命3ヶ月」と告げられたそうだ。それから4年、友人の話では「最後まで、できる事を全力でやった人だった」という。
私は52歳から医師に運動する事を薦められて軽登山を始めてから、女性登山家として有名な彼女の事を知った。
北インドのヒマラヤ山脈の中腹に位置する「ダージリン」に行った時、「登山博物館」を見学した。
そこに日本人登山家「田部井淳子さん」が、1975年5月、35歳で「女性としてエベレスト(8848m)の初登頂に成功した時の写真と記録」もあった。それを見た時、日本人として実に誇らしく思った記憶がある。
彼女はその後も登山を愛し、1992年には女性として世界初の「7大陸最高峰登頂」を果たした。
「余命3ヶ月」と宣告された人が、4年後の一昨日まで、登山家として人生を全うしたのだ。
一人の偉大な女性を失ってしまった事を残念に思うと共に、同じ癌患者の一人として、足元にも及ばないが、彼女の生き方に多少なりとも学べたら良いなと思う。
(朝日新聞の記事から)
彼女の登山をTVが最後に伝えたのは、7月末に東北の高校生達と登った富士登山だった。
TVではまだまだ元気そうに見えたが、実は病院から「外泊」の許可を貰って参加した彼女の体調が思わしくなく、高校生達を励ましながらも自分は登頂ができなかったそうだ。
今朝の新聞を見ると、2012年に「腹膜癌」が分かった時、医師からは「余命3ヶ月」と告げられたそうだ。それから4年、友人の話では「最後まで、できる事を全力でやった人だった」という。
私は52歳から医師に運動する事を薦められて軽登山を始めてから、女性登山家として有名な彼女の事を知った。
北インドのヒマラヤ山脈の中腹に位置する「ダージリン」に行った時、「登山博物館」を見学した。
そこに日本人登山家「田部井淳子さん」が、1975年5月、35歳で「女性としてエベレスト(8848m)の初登頂に成功した時の写真と記録」もあった。それを見た時、日本人として実に誇らしく思った記憶がある。
彼女はその後も登山を愛し、1992年には女性として世界初の「7大陸最高峰登頂」を果たした。
「余命3ヶ月」と宣告された人が、4年後の一昨日まで、登山家として人生を全うしたのだ。
一人の偉大な女性を失ってしまった事を残念に思うと共に、同じ癌患者の一人として、足元にも及ばないが、彼女の生き方に多少なりとも学べたら良いなと思う。
(朝日新聞の記事から)