花好き・旅好き80代北国女性の日記(ブログ開設18年目)

趣味はガーデニングと家庭菜園、外国旅行だが、新型コロナ禍と膝の不調、円安が重なり、今は外国行きは見合わせている。

「中部ベトナムの旅」(6)

2017年02月19日 | 海外旅行「東南アジアⅡ」ヴェトナム、カンボジャ

≪「ミーソン遺跡」観光≫

3日目は「ミーソン遺跡」観光の日だった。この遺跡は、「ホイアン」の西南西40km、車で1時間半の所にある。地図で見ると隣国の「ラオス」の国境まで80kmほどの場所だ。
ベトナム中部に2世紀末から17世紀まで「チャンパ王国」が栄えていた。特に9世紀以降は、東南アジアの海上交易の中心的な担い手だったという。
ガイドブックによると、この王国は高地から取れる栴檀(せんだん)や伽羅(きゃら)などの香木や香辛料の交易でオリエントと中国の中継地点として栄えたという。
この頃、日本人が多く住んでいた「ホイアン」には「日本人町」があり、今も残る「日本橋」は町の観光名所となっている。

「ヒンズー教のシヴァ神」を祀ったこの主要な遺跡は、ベトナム全土に現在十数か所残されているというが、その一つの「ミーソン遺跡」は4世紀から13世紀までの900年間「チャンパ王国」の聖地だった。
しかし、ベトナム戦争時、「民族解放戦線」の基地が置かれていたため、その大部分が米軍に攻撃破壊されてしまっていた。

この日の気温は28度位あったらしく、凄く暑かった。
駐車場から入り口の門を抜け、少し歩いたところから小さなトロッコ風の車に乗ってジャングルの奥地に入った。下りてから更に少し歩くと「チャンパ王国舞踊」が見られるちょっとした小劇場があった。舞踊を15分程見てから遺跡の観光をした。
舞踊も遺跡も「カンボジア」の「アンコールワット」を微小型にした雰囲気のものだった。



 

遺跡は、A群からK群まで多数あったが、私達は看板に標示されていた比較的保存状態が良い「BCD群」を主に見学した。

 

         

「男根崇拝」を示す遺跡が2箇所に残っていた。踊る女性像や神の頭部が破壊された石像などもあった。  
 

 

少し離れた場所にあった「G群」の遺跡は壮大だった。階段などが修復されていた。