今朝起きると体が痛い。避難所の固い床のためだろう。
電気が来たので掃除機を掛けた。その時発見したのだが、TV、ピアノ、2段式の仏壇の位置が5~10cmずれていた。
9時の開店直後に近くのスーパーに初めて行って見た。買い物客は多いのに、肉や魚、牛乳などの飲料、カップめ麺類の棚には全く何も無い。
果物や野菜は少しあったが、どれも値上がりしていた。
午後から別の大きなスーパーにも行って見た。やはり同様に欲しいものは何も無かった。
普段から数日分の食糧は備蓄する必要がある事を再認識した。
電気や交通網が復旧すれば、徐々に食料品などは店頭に並ぶ筈だが、まだ数日罹るのかも知れないと思った。
先程も今も余震が繰り返されている。
今日は電気が点いたので、家にいようか。
今は冷蔵庫も動いているが、今回の様に電力生産を苫東の発電所に集中している今の状況は大問題だ。
幾つかの地域の発電所が、それぞれ消費する電力量を発電する仕組みにしなければ、また、北海道中が停電すると言うことになりかねない。
水道、電気、道路などのライフラインの維持の為にこそ、政治は普段から力を尽くして欲しい。
また、今回は全道的な被害が出る状況になった訳だが、改めて道庁や自治体に具体的な災害対策を検討して欲しいと思った。
真っ暗な町は不気味だったし、不埒な人が犯罪を起こしかねない。防犯と安全の為の警察や消防の巡回などが必要だと思ったのは、私ばかりではないと思う。
既にこうした自然災害を体験した多くの自治体から学ぶことも、行政の大事な課題だとも感じた。
私達も現在は貴重な経験をしている。今後の為に多くを学ぶことになる。
今また少し強い余震が起きた。ネットの情報では、深度7kmか、それよりも深い地層で「逆断層型」の地震が起きたらしく、今回は東北東⇔西南西の地層が押し合って起きたものらしい。
北海道のもともとの成り立ちも、西部に東部の島がぶつかり合って現在の形になったと聞いている。その合わさった場所には、現在、大雪山系、日高山系の高い山脈ができている事を思い返した。
新聞やTVの写真を見ると、自然の猛威の怖さをまざまざと感じる。震源地で土砂崩れの下に埋められた人々の捜索が、夜を徹して続けられている。
夕方に近づくと、ラジオが各地域の「緊急避難所」の場所を伝えた。家の傍の「公民館」が入っていた。
大きな余震が起こる可能性があるというので、明るい内に夕食を済ませ、タオル、バスタオルを持ち、戸締りをして「公民館」へ出かけた。
既に50人ほどの人が来ていた。発電機を動かして明かりを確保していた。
受付を済ませ、毛布と寝袋が入った袋を1つずつ渡され、それを早速空いた場所に広げて、貴重品が入ったショルダーバックを枕にして寝ようとした。
しかし、小さな子どもたちが興奮してはしゃぎ、走り回り、大声を出したり泣いたりするので中々休めない。体験上、イギリスの子供なら、こんな時は静かにできるのにと思った。
食事を採っていない人には、レトルトの「チキンライス」が配られ、お湯が用意されていた。
22時になって大広間の電気が消されると、子供達もようやく静まり、私もいつの間にか寝入ったらしい。
朝5時に目が覚めた。まだ多くの人が寝ていたが、そっと抜け出して家に帰った。
二日目の夜も家や戸外は真っ暗なので、夕食を済ませてから「公民館」に行った。
今度は暇つぶしの「クロスワードパズル」と「アイマスク」を持って出かけた。
その日は、食事代わりに菓子パンが置いてあった。避難者は、昨日の半分位だった。電気が来た一部地域の人が来なかったらしい。
疲れたので早めに「アイマスク」をして寝ていたら、22時前に「電気が来た!」と言う声がした。43時間振りで電気が来たのだ。街灯も点いた。
私は家が心配なので帰宅した。何とTVと2部屋の電気が点いていた。
各部屋を点検し、それ迄「圏外」で繋がらなかった携帯電話に充電して、やっと妹と娘にメールが繋がった。
電気が無ければ、文明の利器も何にもならない事を知った。
23時半過ぎに自分のベッドに横になったら、避難所とは違って凄くソフトな感触に驚いた。催眠薬を飲んでいつの間にか寝込んだ。