4日目に南端の墾丁を出て間もなく、西側に原子力発電所が見えた。ガイドは、発電所ができてから廃液により海水温が上がって、海の生態系が破壊されてしまったのだと説明した。
やがてバスは、山道を通って太平洋側に出ることになった。
ガイドの説明では、その山岳地帯には台湾族の住まいが多いらしい。(台湾に古くから住む少数民族は、12民族に上ると言われている)
水が無い枯れた石ころだらけの川沿いで、彼らはスイカを栽培しているのだという。見ると小さな家の前に売り物らしい細長いスイカが積んであった。ホテルやレストランで毎食出されるデザートのスイカだと思った。
ガイドは、原住民の所有する土地は、土地以外の人の売買が禁止されている、また、原住民の商売には税金を掛けないし、原住民の子どもには学校給食が無料なのだと、色々な保護政策の説明をした。国会議員の議席も2~3議席が予め確保されているのだという。
山を越えて太平洋側の台東県に入ると、バスは海側の道を少し行った所で山側の道に反れた。
関山から玉里までの道沿いには、青々とした水稲が豊かに実っていた。
この辺りは台湾でも有数の穀倉地帯で、1年に3~4期作も可能なのだそうだ。
日本のジャポニカと台湾米を掛け合わせた「宝来米」という品種を生み出して、生産に励んでいると言う。
日本より遥かに有利な気候条件を生かして作付けしていることを聞き、改めて日本の米作りも何とかしたいと思ったのだった。
また今回、台湾に行って見て初めて分かったことの一つが、海岸近くに広がる平地を除いて、内部には標高2000m級の険しい山岳地帯が広がっていたということだ。
その山岳地帯の一部が、硬い大理石でできた石山なので、本当に台湾には「宝の山」があるのだ。
台東の花蓮という町に宿泊した翌日、バスで「タロコ渓谷国家公園」に向った。
この辺りは大理石でできた山が連なっていて、道路を開くのに苦労した場所なのだ。
日本人が居た当時、交通の便を良くするために、東の花蓮県から西の台中県に通じる山道を、アミ族(台湾に古くから居る少数民族)の手引きで切り開いたのだという。
その細道を、後に来た蒋介石の100万人の軍隊が太くし、現在の全長192kmもの道路を作ったらしい。犠牲者も多く212人に上ったという。
正に断崖絶壁が聳え立つ渓谷が20kmにも渡り、続いていた。
バスを降りて見た対岸の大理石は、赤や青、緑など、色々な色が混ざり合っていた。
その後、私たちは花蓮に戻り、大理石加工場を見学した。
掘り出した巨大な大理石を、建築材料として薄板状に切ったり、各種工芸品に加工していた。
重いという欠点はあるが、今や台湾の大理石は主要な輸出産業の一つになっているのだった。
良く聞くと加工は重労働なので、今はマレーシア、インドネシア、フィリピンから労働者を雇っているのだと言う。やはりと思った。
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