≪「シルクロード・エクスプレス」に乗車≫
旅の7日目は「サマルカンド」駅から「シルクロード・エクスプレス」の2等車に乗って「タシケント」迄4時間の列車の旅をした。
私が乗った客室は6人が向かい合って座るようになっていた。天井から冷気が降りて来て寒過ぎる位だった。
「タシケント」に着くと、バスで「スーパーマーケット」に行き、残っている通貨スムを使い切った。私は店員にスムの所持額を伝えて、数種類のキャンデーを計ってもらい、使い切った。
レストランで夕食を食べてから「タシケント空港」に向かい、21;05発成田空港行きの「ウズベキスタン航空」で帰国の途に着いた。途中、気流が悪く、機体が結構左右に揺れて怖かったが、疲れてぐっすり寝てしまった。
予定通り8日目朝8;55に成田に着いた。私はその後、京成スカイアクセス線で羽田空港まで移動し、新千歳までJALで帰って来た。
「ウズベキスタン」では、途中、経験したことが無い暑さに体調を崩したが、何とか回復して良かった。
帰宅後数日、寒くて仕方が無かったが、翌日からは庭の草取りと薔薇などの手入れ、畑に行って大豆などの種を蒔いたり、苗を植えたりして毎日働いた。
この3日間ほど、北海道はフエーン現象とかで急に30℃を越す日が続いているが、私には余り暑いと思えないのは「ウズベキスタン」に行って来たからだと思う。
これでやっと「ウズベキスタン」の旅行記を書き終えることができ、ホッとしている。
中央アジアの国へ行ったのは初めてだったが、砂漠の国、シルクロードの中継地の様子が分かった事が収穫だった。
また、イスラム教の信者が大半を占める国ながら、他のイスラム圏と違って宗教の規制が極めて緩い国である事を知った。黒いベールやコートを着ている女性はほとんど見かけなかったし、一夫一婦制だというのも、イスラム圏では最も女性が自由で幸せな国だろうと思った。
長い旅行記を読んでくれた方々に、感謝したい。 (完)
旅の7日目は「サマルカンド」駅から「シルクロード・エクスプレス」の2等車に乗って「タシケント」迄4時間の列車の旅をした。
私が乗った客室は6人が向かい合って座るようになっていた。天井から冷気が降りて来て寒過ぎる位だった。
「タシケント」に着くと、バスで「スーパーマーケット」に行き、残っている通貨スムを使い切った。私は店員にスムの所持額を伝えて、数種類のキャンデーを計ってもらい、使い切った。
レストランで夕食を食べてから「タシケント空港」に向かい、21;05発成田空港行きの「ウズベキスタン航空」で帰国の途に着いた。途中、気流が悪く、機体が結構左右に揺れて怖かったが、疲れてぐっすり寝てしまった。
予定通り8日目朝8;55に成田に着いた。私はその後、京成スカイアクセス線で羽田空港まで移動し、新千歳までJALで帰って来た。
「ウズベキスタン」では、途中、経験したことが無い暑さに体調を崩したが、何とか回復して良かった。
帰宅後数日、寒くて仕方が無かったが、翌日からは庭の草取りと薔薇などの手入れ、畑に行って大豆などの種を蒔いたり、苗を植えたりして毎日働いた。
この3日間ほど、北海道はフエーン現象とかで急に30℃を越す日が続いているが、私には余り暑いと思えないのは「ウズベキスタン」に行って来たからだと思う。
これでやっと「ウズベキスタン」の旅行記を書き終えることができ、ホッとしている。
中央アジアの国へ行ったのは初めてだったが、砂漠の国、シルクロードの中継地の様子が分かった事が収穫だった。
また、イスラム教の信者が大半を占める国ながら、他のイスラム圏と違って宗教の規制が極めて緩い国である事を知った。黒いベールやコートを着ている女性はほとんど見かけなかったし、一夫一婦制だというのも、イスラム圏では最も女性が自由で幸せな国だろうと思った。
長い旅行記を読んでくれた方々に、感謝したい。 (完)
久しぶりにPCに向かっています。今「旅行記」はじめから読み終えました。
「サマルカンドブルー」という色があることは聞いたことがありましたが、「サマルカンド」という地名があることは知りませんでした。改めて無知ぶりを発見してしまいました。
読むたびにいつも「へぇ~、そうなんだ」の繰り返し。今回も楽しい旅行記ありがとうございました。
「サマルカンドブルー」という言葉があるのですね。知りませんでした。
本当にモスクのドームには、太陽に光る青が眩しく映えていましたよ。
旅行は独特の歴史や文化などの知らないことを発見したり、経験したりできるので、いつもとても刺激的ですよ。
「サマルカンドブルー」ではなくて「サマルカンド・ブルー」でした。持っている吉田拓郎のアルバムの中にある曲名です。かつて何度も口ずさんでいたもので、つい思い出したものですから・・・。
きっとサマルカンドで見たブルーの美しさに魅せられ作った曲にちがいありません。
いや~、懐かしく同行させて貰いました。
私の訪ねた頃は、ソビエトの友好国として、共産主義下にあったと思いますが、見た目では、とても民族的な色合いのある国でしたね。
一番、思い出に残っているのは、昼下がりの木陰で、青く澄み渡った空の下、のんびりと「チャイ」を楽しむご老人たちでしょうか・・・そういえば、どこかも街で「雨」に逢い、50年振りだと言われたことを思い出しました。
お暇な時間がありましたら、ご覧になってみてください・・・あまり詳しくはないですが。
カテゴリー:旅の足跡2
日時:2006-11-25 &2006-11-27
タイトル:シルクロード行きつ戻りつ点々旅
(第4回目)
この曲をネットで探して、もし見つかれば聞いて見たいと思います。
探す楽しみができました。ありがとう。
コメント有難うございました。
今、「旅の足跡」1~2を概観させていただきました。
伊豆の花さんの当時の強い思いが伝わって来ます。
どの旅先にも現地の人々の飾らない写真が溢れていて、見応えがありますね。
今は世界中にネットで公開されてしまうので、私の場合は個人写真の扱いには特に気をつけています。そうすると全く面白くない写真になってしまうんですが、仕方が無いと思っています。
敦煌やチベットにはまだ行っていませんが、中国「大同」には28年前に小学生の娘を連れて行きました。写真を見て素晴らしかった石窟寺院を思い出し、懐かしかったです。
またじっくりと読みますね。
何か悲しい曲ですね。恋人を思うけれど、決して共には生きられない…
確かにそんな感慨を思わせる風景かも知れませんね。
約600年前、「チンギス・ハーン」が破壊した街を「ティムール」が再建し、次々と「サマルカンド・ブルー」のモスクやメドレセを建てたのですが、この色は中国の陶磁器の技術とペルシャの顔料が結合して生まれたとの事です。
そしてこの街が無ければ、イスラム建築の発展は無かったそうですよ。
旅行記、大変興味深く読ませていただきました。
サマルカンド・ブルーは中国の陶磁器とペルシャの顔料が出合って生まれたのは、何となく知っていましたが…まさしくシルクロードのブルーですね。
神秘的な色ですよね。
モスクのブルータイルや、幾何学模様もいつか見てみたいなぁ~と思いながら、写真も興味津々でした。
札幌はこのところ暑かったようですね。
お庭の花々もにぎやかになり、お手入れも忙しくなると思いますが、どうぞ旅のお疲れが出ないようになさって下さいね。
また、バラの花の便りも楽しみにしております(*^^*)
本当に青色が、雲ひとつ無い砂漠の空と大地に映えていました。
イスラム様式の幾何学模様は、ガチャピンさんはお好きですか。
私は焼き付けたタイルを細かく割って、組み合わせて行く職人たちの苦労をつい思ってしまって、凄いなと思うけれどあまり好きにはなれないのです。