存在する音楽

ジャンルに関係なく良いと感じた曲は聴く
誰かの心に存在する音楽は
実際に音が鳴っていない時にも聴こえてくることがある

懐かしい未来

2009-04-28 23:09:21 | ラジオ番組
いよいよ始まりました。
大貫妙子さんと山下達郎さんの会話がラジオから流れて来て
山下君のコンサートが長い というター坊
3時間から3時間20分やってきた。
けっこう話すところも長い。
いっぱい話すと次に歌うときにわからなくならない。そういう自分の型だから大丈夫。

ター坊は「出来ることなら一言もしゃべりたくない」
達郎は「じゃあ、しゃべらずにやりゃあ良いんじゃない?」
ター「間奏もエンディングも短いし、演奏もしないので、ずーと歌い続けてなきゃいけないから喋らざるを得ない。」

1974年に大阪に初めて行ったことを覚えている達郎。
初めての関西弁の恐ろしさ。
最初に演奏したのはデュークという店
大阪の全体のお客さんは以前と変わらない。

フェスティヴァルホールについての話。

音楽が人によっては通過儀礼だったりする
という達郎の解釈は面白い。
ever greenのように音楽を聴くし、演奏するし
自分が高いクオリティーで変えないということに拘ってやってきたという達郎

僕にとって音楽とは何だろう。
演奏するわけでも理論的に解釈するわけでもなく
気軽に良いと思ったものを適当に楽しんでいるもの
音楽で無いと表現できないものもあるので
それがとても魅力的なものなのかな。

ハンドマイクにすると
達郎は格好良いから
ター坊は縦横無尽に動けるからというよりステージの真ん中は歌いにくい。少しずれて歌いたい。
達郎:PAの反響があったりするからね。じゃあ左右に少しずらしてスタンドマイクを二本立てておいて、一曲はコッチのマイクで、次の曲はコッチのマイクでやったら?

なかなか面白いですなー二人の会話。




未来に取り戻したいものがある
=懐かしい未来

コメント (2)
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