スガシカオ 一回目
少年時代は?
お金が無くて狭い家に家族三人で住んでいて、東京で住んでいたけれど、ちょうど中学くらいからド下町なダウンタウンに引っ越して、僕の中ではダウンタウンのギャップを感じた。そこでの出来事が未だに影響しているように思えます。
「日曜日の午後」という曲で御両親の話が出てきますがスガさんの御両親のことは?
父親はあまりかまってもらえなくて、休みも出かけていて、負けの美学の人で、
母親は全く空気読まない天然ボケ
お父さんは猜疑心が強く、反体制的で、学生運動なんかをやっていたらしい。僕に勧めてくれる本は学生運動の頃のもので、僕は全然面白くなくて
社会に対する反抗心というか、政治に対する反抗心が強かった。
社会人生活を経てからデビュー
1998年「月刊カドカワ」の対談で出会った。
デビューして間もないスガに対して佐野元春は
言葉のリアリティーを獲得したかったので喫茶店でアルバイトをしたかった。
プロとしてデビューとしても、周りにあるヒットソングが嘘っぽい夢物語ばかり歌っているように感じた。
もっとエッジの効いたリアリティーのある言葉をガンガン出したかった。
ポップソングと言えば、I LOVE YOU YOULOVE MEを書いている人が多いですが、
僕はラブソングを書きたくなかった。
アルバム10曲あって全部ラブソングだったら、どんだけ日常生活でラブなんだろう?
日常生活を円グラフにして考えると、どれくらいの割合がラブなんだろう、と考えて、その円グラフのままアルバムにしたかった。
1996年に初めてプロとして活動を始めた。90年代半ばと言えば
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、猟奇的な犯罪が起きた・・・
時代背景が何かソングライティングに影響しましたか?
しますね、すごく影響しますね。
例えば
ナイフ
という言葉も サカキバラ事件で意味が変わっちゃう
そりゃ影響は絶対出ますよね。
スガシカオは佐野さんに朗読される曲名を言われると
頭を抱えて、えーあんな曲をやるんですか?もうちょと何か、うわーきついなこれ。
ポエトリーリーディング
サングラスをかけた佐野さんが胸を時折叩きながら朗読する
「SWEET BABY」(CLOVERに収録)
あまりやらしくなかったですね。
けっこう性的なことを扱うことが多くて、色々誤解されやすいんですが、
よく、変態とか、僕が普段そういうプレイをしているんですか?って聞かれたりするんですけど
そういうのではく
僕が伝えたい性の馬鹿馬鹿しさとかが伝わってくる感じが。
こういたテーマをメインストルームで捉えたソングライターというのは過去にいなかったんじゃないかって思うんですよ。
そうですね
こうしたことをテーマにすることに抵抗はなかったですか?
やらしく聞こえたら辞めようと思っていたんですが、ファーストアルバムでやってみたら意外とやらしくなかったので、これだったらいけるかなと思って
それとね、例えば「いいなり」「リンゴ・ジュース」の詞で支配される側と支配する側との攻防戦というか やりあいというか
詞の書き方が二通りあって
すごい、こういうことを書きたいと思って書くことと
自分じゃない誰かに書かされているものと二通りあるんですよね。
支配する側と支配される側うんぬんということを考えてないですね。
佐野:わかります、僕も自動書記的に書いていることがあります。
そうすると客観的に「いいなり」「リンゴ・ジュース」の詞で支配される側と支配する側との攻防戦と僕なんかは考えてしまう訳ですが、必ずしもそういうテーマがあって書いたものではなかったですか?
「いいなり」は完全に無意識で、「リンゴ・ジュース」は意図的に書いています。
「リンゴ・ジュース」は丁度日韓友好の何とか年が始まる頃で、
ギクシャク感とか差別感とかを何かそういう思いっきりストレートに出さない主題でなく書けないかなと思ってたんですね
急に社会が友好・友好と言い出して、そういうのが、本当に人ってそんなに簡単に変われるのかな?って
表面だけ変わっても、必ず何かグズグズしたものが残るだろうなって
それをナイフに例えて書いてみたんです。
人を許す許さない について聞いてみたいんですけど
歌詞における「寛容」というのはソングライティングでは大事なテーマなんですか?
すごい出てきますね。
でしょう?
許す許さないっていうのは結局 何か結論が出ない自問自答だったりもするし
歌詞はそのことに向かっていっちゃう時が多いですね。
僕たちはいったいどこまで寛容でいられるんだろうという そうした自問自答?
そうですね、自分に罪の意識が色々とあるんだと思うんですよね。
罪の意識があると思うんですが、多分罪の意識がない人はいないと思うんですよ、多分何もなければソングライティングには向かないと思うんですが。僕もなんか人一倍罪の意識が凄い強くて、その一つ一つが許されたんだろうか、許されてないんだろうかって、
それは凄く面白いよ
常に詞を書くときにソングライティングの時に常にそのことを考えちゃう。
定型質問のコーナー
好きな言葉
未来
嫌いな言葉
ないですね
うんざりすること
同じ事を繰り返すこと
とにかく一番うれしいこと
美味しいものを食べてること
好きな映画
ゴットファーザー
僕もそうです。どこが気に入っているんですか?
自分の歌詞でもそうですが、
とにかくリアリティーを追求しているじゃないですか。だってやたらパーティーをするじゃないですか。あの人たち、本当にやったって言うじゃないですか。料理も楽団も入れて三百人四百人も入れて毎回違うパーティーをやっている。それをちょっと誤魔化して部分撮りとかせずにやっているっていうのがね。心打たれたんですよ。
表現の細部に神が宿るという人がいますよね
ディティールに凝れば凝るほどリアリティーが獲得できるではないか
でも圧倒されますよね。
他になりたかった職業は?
学校の先生
教えるっていうことに興味があったの?
歌詞を書くのも音楽を作るのも全部一緒なんですけど、人の心に何かを残すというのをしたかったんですよ。子供の頃から。だから最初は建築家になりたくて、あれも自分の作ったものの中に住むじゃないですか、その人の生活に自分の何かが入りこむことができる。学校の先生もそうじゃないですか、教育と言う形で色んなものを残していく。人の心に入り込んでいく。僕らのソングライティングや歌歌いもそうですけど、音楽を通じて誰かの心に何かを残していく、そういう生き方をしたかったんです。
死ぬ前に愛する人に残す伝言?
うーん難しいですよね・・・・・「後は頼むぞ」
意外と古風な(笑)
これは難しいですね、御礼を言うべきなのか、それともその先の事を考えて言うのか
へそくり遺しとこうかとか、何でもないです・・・・
(歌詞を書きとめる創作ノートを三冊ほど持参して)
佐野:実に興味深いですね。僕もこうしたノーツをつけてはいますけれども、他の創作者が書いているこうしたものを見ると何か感動的ですね。おびただしい言葉か書き連なって、多分この試行錯誤の後に曲ができあがって
僕はあまり時間をかけずに作るので、曲が出来上がってしまって詞を書くぞっていうことになるとほぼ一晩でいくので、使って四ページくらい。
詞が思い浮かぶという場合は必ずしも側にノートが無い場合もあると思うんですが
ICレコーダーですね。
思いついたらICレコーダーに吹き込んで、
自分が生活する、そこらじゅうに置いてあるんですよ。ベッドサイドとかお手洗いとか仕事場とか
全部違うICレコーダがあるんですよ。いつでも出来るようになっている。
それは凄く具体的な話で面白い。そうすると日にちが経ってそこに録音したものを自分で聞く?
それが意外に聞かないんですね。溜めるだけためて自分の中から出てくるものを記録しておかないと勿体無いから録っているだけで、それでその歌詞を使うかというと滅多に使わないですねメロディーもそうですけど
いつ才能が枯れるかわからない恐怖というのが常にあるじゃないですか。そういう時のためにも沢山溜めておこうて。そういう強迫観念でただ録っているだけで
安心するってこと?
はい
なるほど
じゃあ、それを使うか使わないかというのは関係なく録っているってことね。
では、創作・製作のフローというのは?最初にリズムとかメロディーがあってデザイン化されて言葉がやってくるのか、それともある言葉があって他の音楽的要素がくるのか?
僕はほとんど一番最後に歌詞を書く
8割以上がまだ何を歌うか全然決まってない段階で
一番・二番・ソロがあってから歌詞を書く
レコーディングしちゃってから歌詞をどうしようかなって書くほどですね
制限がないと歌詞をかけないんですよ きっと。自由に書いてくださいといわれたら、何も書けない。
ビートがあって自分の思いがあって 制限があると書けるようになる。
スガさんの興味を持った文学作家について聞きたいんですが、
村上春樹、意外だなと思ったんですが、鮎川信夫さん
決して歴代の詩人からみたら、そんなに才能豊な人だとは思わないんですが、そこから滲み出る強さみたいな、才能がある人よりも好きで
村上春樹さんは子供の頃からよく読んでいて、言葉の師匠みたいな
よくニュアンスとか似ていますよねって言われるんですが、そりゃ似てるよって開き直ったりするくらい影響されている
その村上春樹さんはスガさんを評価している
作品にはスガシカオに関するものがある。(「アフターダーク」で「バクダン・ジュース」、「意味が無ければスイングはない」など)
師匠からまあまあ良いだろうと、免許皆伝もらったみたいな。
一番最初、僕がスガさんの作品で感銘を受けたのが
「黄金の月」(1997)ですね(セカンドシングル)
デビュー当時の持てる力を全て使い切って作った曲
印象的に使われている言葉を聞いた質問に(当時の対談で)
夜が好きで太陽を人があがめるように僕は月を世界の頂点として思っている
これは今でも変わらない?
これはかなり気取ってますね。佐野さん用の答えですよこれ。こんとき舞い上がっちゃって
この答えは僕はズーと覚えていたんですよ
太陽って眩しすぎて見れなくないですか、僕も自分で本当に太陽って見てないかなとか、でも明らかに月は見えるじゃないですか、より明確により月はリアリティーのあるものとして見えているんですよね僕の中では
これは音楽的は話になるんですけれど、今までのJ POPというのと僕の作品とはかなり違っていて、母音の当て方とか強音の当て方とかが違うんですよ。「黄金の月」でも出てくるんですけど
8ビートがありますよね、4ビートでも良いんだけど
一番強いところがありますよね、その1と2の間の裏拍のところに一番強い言葉を持ってくる
音楽と言うのは、その裏拍のところでスイング感が決まる。どれぐらいのグルーヴ感で音楽が揺れているのかというのが決定していくんですよ。1234だけでは決定しないんですよ。
1手拍子2手拍子3手拍子4手拍子 ここで決定するんですよ。
そこに一番強い言葉をボーンと当てることで
言葉の中にその音楽の持っているグルーヴ感というのが発生するんですよ
裏が明確になる。それを凄い意識して作ってます。
なるほど
今までは、
1234で一番強い・一番強い・一番強い・一番強い
というのが日本の音楽のほとんどだったんですけど
裏を取るような音楽を凄い意識して作りました。
少年時代は?
お金が無くて狭い家に家族三人で住んでいて、東京で住んでいたけれど、ちょうど中学くらいからド下町なダウンタウンに引っ越して、僕の中ではダウンタウンのギャップを感じた。そこでの出来事が未だに影響しているように思えます。
「日曜日の午後」という曲で御両親の話が出てきますがスガさんの御両親のことは?
父親はあまりかまってもらえなくて、休みも出かけていて、負けの美学の人で、
母親は全く空気読まない天然ボケ
お父さんは猜疑心が強く、反体制的で、学生運動なんかをやっていたらしい。僕に勧めてくれる本は学生運動の頃のもので、僕は全然面白くなくて
社会に対する反抗心というか、政治に対する反抗心が強かった。
社会人生活を経てからデビュー
1998年「月刊カドカワ」の対談で出会った。
デビューして間もないスガに対して佐野元春は
言葉のリアリティーを獲得したかったので喫茶店でアルバイトをしたかった。
プロとしてデビューとしても、周りにあるヒットソングが嘘っぽい夢物語ばかり歌っているように感じた。
もっとエッジの効いたリアリティーのある言葉をガンガン出したかった。
ポップソングと言えば、I LOVE YOU YOULOVE MEを書いている人が多いですが、
僕はラブソングを書きたくなかった。
アルバム10曲あって全部ラブソングだったら、どんだけ日常生活でラブなんだろう?
日常生活を円グラフにして考えると、どれくらいの割合がラブなんだろう、と考えて、その円グラフのままアルバムにしたかった。
1996年に初めてプロとして活動を始めた。90年代半ばと言えば
阪神淡路大震災、地下鉄サリン事件、猟奇的な犯罪が起きた・・・
時代背景が何かソングライティングに影響しましたか?
しますね、すごく影響しますね。
例えば
ナイフ
という言葉も サカキバラ事件で意味が変わっちゃう
そりゃ影響は絶対出ますよね。
スガシカオは佐野さんに朗読される曲名を言われると
頭を抱えて、えーあんな曲をやるんですか?もうちょと何か、うわーきついなこれ。
ポエトリーリーディング
サングラスをかけた佐野さんが胸を時折叩きながら朗読する
「SWEET BABY」(CLOVERに収録)
あまりやらしくなかったですね。
けっこう性的なことを扱うことが多くて、色々誤解されやすいんですが、
よく、変態とか、僕が普段そういうプレイをしているんですか?って聞かれたりするんですけど
そういうのではく
僕が伝えたい性の馬鹿馬鹿しさとかが伝わってくる感じが。
こういたテーマをメインストルームで捉えたソングライターというのは過去にいなかったんじゃないかって思うんですよ。
そうですね
こうしたことをテーマにすることに抵抗はなかったですか?
やらしく聞こえたら辞めようと思っていたんですが、ファーストアルバムでやってみたら意外とやらしくなかったので、これだったらいけるかなと思って
それとね、例えば「いいなり」「リンゴ・ジュース」の詞で支配される側と支配する側との攻防戦というか やりあいというか
詞の書き方が二通りあって
すごい、こういうことを書きたいと思って書くことと
自分じゃない誰かに書かされているものと二通りあるんですよね。
支配する側と支配される側うんぬんということを考えてないですね。
佐野:わかります、僕も自動書記的に書いていることがあります。
そうすると客観的に「いいなり」「リンゴ・ジュース」の詞で支配される側と支配する側との攻防戦と僕なんかは考えてしまう訳ですが、必ずしもそういうテーマがあって書いたものではなかったですか?
「いいなり」は完全に無意識で、「リンゴ・ジュース」は意図的に書いています。
「リンゴ・ジュース」は丁度日韓友好の何とか年が始まる頃で、
ギクシャク感とか差別感とかを何かそういう思いっきりストレートに出さない主題でなく書けないかなと思ってたんですね
急に社会が友好・友好と言い出して、そういうのが、本当に人ってそんなに簡単に変われるのかな?って
表面だけ変わっても、必ず何かグズグズしたものが残るだろうなって
それをナイフに例えて書いてみたんです。
人を許す許さない について聞いてみたいんですけど
歌詞における「寛容」というのはソングライティングでは大事なテーマなんですか?
すごい出てきますね。
でしょう?
許す許さないっていうのは結局 何か結論が出ない自問自答だったりもするし
歌詞はそのことに向かっていっちゃう時が多いですね。
僕たちはいったいどこまで寛容でいられるんだろうという そうした自問自答?
そうですね、自分に罪の意識が色々とあるんだと思うんですよね。
罪の意識があると思うんですが、多分罪の意識がない人はいないと思うんですよ、多分何もなければソングライティングには向かないと思うんですが。僕もなんか人一倍罪の意識が凄い強くて、その一つ一つが許されたんだろうか、許されてないんだろうかって、
それは凄く面白いよ
常に詞を書くときにソングライティングの時に常にそのことを考えちゃう。
定型質問のコーナー
好きな言葉
未来
嫌いな言葉
ないですね
うんざりすること
同じ事を繰り返すこと
とにかく一番うれしいこと
美味しいものを食べてること
好きな映画
ゴットファーザー
僕もそうです。どこが気に入っているんですか?
自分の歌詞でもそうですが、
とにかくリアリティーを追求しているじゃないですか。だってやたらパーティーをするじゃないですか。あの人たち、本当にやったって言うじゃないですか。料理も楽団も入れて三百人四百人も入れて毎回違うパーティーをやっている。それをちょっと誤魔化して部分撮りとかせずにやっているっていうのがね。心打たれたんですよ。
表現の細部に神が宿るという人がいますよね
ディティールに凝れば凝るほどリアリティーが獲得できるではないか
でも圧倒されますよね。
他になりたかった職業は?
学校の先生
教えるっていうことに興味があったの?
歌詞を書くのも音楽を作るのも全部一緒なんですけど、人の心に何かを残すというのをしたかったんですよ。子供の頃から。だから最初は建築家になりたくて、あれも自分の作ったものの中に住むじゃないですか、その人の生活に自分の何かが入りこむことができる。学校の先生もそうじゃないですか、教育と言う形で色んなものを残していく。人の心に入り込んでいく。僕らのソングライティングや歌歌いもそうですけど、音楽を通じて誰かの心に何かを残していく、そういう生き方をしたかったんです。
死ぬ前に愛する人に残す伝言?
うーん難しいですよね・・・・・「後は頼むぞ」
意外と古風な(笑)
これは難しいですね、御礼を言うべきなのか、それともその先の事を考えて言うのか
へそくり遺しとこうかとか、何でもないです・・・・
(歌詞を書きとめる創作ノートを三冊ほど持参して)

佐野:実に興味深いですね。僕もこうしたノーツをつけてはいますけれども、他の創作者が書いているこうしたものを見ると何か感動的ですね。おびただしい言葉か書き連なって、多分この試行錯誤の後に曲ができあがって
僕はあまり時間をかけずに作るので、曲が出来上がってしまって詞を書くぞっていうことになるとほぼ一晩でいくので、使って四ページくらい。
詞が思い浮かぶという場合は必ずしも側にノートが無い場合もあると思うんですが
ICレコーダーですね。
思いついたらICレコーダーに吹き込んで、
自分が生活する、そこらじゅうに置いてあるんですよ。ベッドサイドとかお手洗いとか仕事場とか
全部違うICレコーダがあるんですよ。いつでも出来るようになっている。
それは凄く具体的な話で面白い。そうすると日にちが経ってそこに録音したものを自分で聞く?
それが意外に聞かないんですね。溜めるだけためて自分の中から出てくるものを記録しておかないと勿体無いから録っているだけで、それでその歌詞を使うかというと滅多に使わないですねメロディーもそうですけど
いつ才能が枯れるかわからない恐怖というのが常にあるじゃないですか。そういう時のためにも沢山溜めておこうて。そういう強迫観念でただ録っているだけで
安心するってこと?
はい
なるほど
じゃあ、それを使うか使わないかというのは関係なく録っているってことね。
では、創作・製作のフローというのは?最初にリズムとかメロディーがあってデザイン化されて言葉がやってくるのか、それともある言葉があって他の音楽的要素がくるのか?
僕はほとんど一番最後に歌詞を書く
8割以上がまだ何を歌うか全然決まってない段階で
一番・二番・ソロがあってから歌詞を書く
レコーディングしちゃってから歌詞をどうしようかなって書くほどですね
制限がないと歌詞をかけないんですよ きっと。自由に書いてくださいといわれたら、何も書けない。
ビートがあって自分の思いがあって 制限があると書けるようになる。
スガさんの興味を持った文学作家について聞きたいんですが、
村上春樹、意外だなと思ったんですが、鮎川信夫さん
決して歴代の詩人からみたら、そんなに才能豊な人だとは思わないんですが、そこから滲み出る強さみたいな、才能がある人よりも好きで
村上春樹さんは子供の頃からよく読んでいて、言葉の師匠みたいな
よくニュアンスとか似ていますよねって言われるんですが、そりゃ似てるよって開き直ったりするくらい影響されている
その村上春樹さんはスガさんを評価している
作品にはスガシカオに関するものがある。(「アフターダーク」で「バクダン・ジュース」、「意味が無ければスイングはない」など)
師匠からまあまあ良いだろうと、免許皆伝もらったみたいな。
一番最初、僕がスガさんの作品で感銘を受けたのが
「黄金の月」(1997)ですね(セカンドシングル)
デビュー当時の持てる力を全て使い切って作った曲
印象的に使われている言葉を聞いた質問に(当時の対談で)
夜が好きで太陽を人があがめるように僕は月を世界の頂点として思っている
これは今でも変わらない?
これはかなり気取ってますね。佐野さん用の答えですよこれ。こんとき舞い上がっちゃって
この答えは僕はズーと覚えていたんですよ
太陽って眩しすぎて見れなくないですか、僕も自分で本当に太陽って見てないかなとか、でも明らかに月は見えるじゃないですか、より明確により月はリアリティーのあるものとして見えているんですよね僕の中では
これは音楽的は話になるんですけれど、今までのJ POPというのと僕の作品とはかなり違っていて、母音の当て方とか強音の当て方とかが違うんですよ。「黄金の月」でも出てくるんですけど
8ビートがありますよね、4ビートでも良いんだけど
一番強いところがありますよね、その1と2の間の裏拍のところに一番強い言葉を持ってくる
音楽と言うのは、その裏拍のところでスイング感が決まる。どれぐらいのグルーヴ感で音楽が揺れているのかというのが決定していくんですよ。1234だけでは決定しないんですよ。
1手拍子2手拍子3手拍子4手拍子 ここで決定するんですよ。
そこに一番強い言葉をボーンと当てることで
言葉の中にその音楽の持っているグルーヴ感というのが発生するんですよ
裏が明確になる。それを凄い意識して作ってます。
なるほど
今までは、
1234で一番強い・一番強い・一番強い・一番強い
というのが日本の音楽のほとんどだったんですけど
裏を取るような音楽を凄い意識して作りました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます