リンク先のHPはいつまで残るんだろう?
2023,3,5放送
教授のラジオ番組を通して、無名な音楽を作る人々や映像関係の人々の作品を多く見聞きしてきた。
記憶の中に残るものはあるけれど、実際に会ったのはコトリンゴさん。ライヴで少し会話もさせて頂いた。
UTAU のライヴで何度か平野友康さんらが絡んでネット配信、実際のライヴを体験。もちろん、大貫妙子のアルバムは教授がらみということで昔からよく聴いては来ているんだけれど、今回は教授の依頼で代読してDJをされている。
今回のデモテープオーディション – U-zhaan, 長嶋りかこ, 蓮沼執太のゲストはコトリンゴ
コピペしてて良いのかな?
以下はコピペしてます。
「大貫妙子です。坂本龍一さんが2ヶ月に1度お届けしているレディオ・サカモト。20年近く続いてきましたこの番組、今回で最終回となりますが、坂本さんのご希望で、私が務めることになりました。さて、今回の放送ですが、坂本龍一さんによる高橋幸宏さんの追悼特集。私に代読してほしいというメッセージを頂いているので、そちらを紹介しながら、幸宏さんの曲をオンエアしていきます。番組後半はデモテープオーディション。こちらも、今夜が最終回です。レギュラー出演者、U-zhaanさん、長嶋りかこさん、蓮沼執太さんに加えて、デモテープオーディション出身者のコトリンゴさんをお迎えします。坂本さんのプレイリストのコーナーもあります。」
<高橋幸宏さん追悼特集>
「ここからは、高橋幸宏さんの追悼特集です。坂本さんから、私に代読してほしいというメッセージを頂いているので、そちらを紹介しながら幸宏さんの曲をオンエアしていきます。では、さっそく。」
幸宏との長い付き合いの中で嫌なことは一つも思い浮かばない。
全ては楽しい思い出として残っている。
たくさんの地に行き、たくさんの経験を共にした。
最初の出会いは衝撃だった。
ケンゾーをまとったロックのドラマーがいるとはと僕は目を疑った。
知り合って比較的すぐお宅にお邪魔した。
僕は万年ジーンズにゴム草履、汚い足でお宅に上がるのはさすがに気が引けた。
そして家にまた衝撃を受ける。室内はアールデコの調度品で統一されているのだ。なんという人なんだ、この幸宏という人は。
間違いなくそれまでのぼくの知り合いにはいないタイプの人間だった。
ますます興味は深まった。
僕が高校時代、青山通りでデモをしている同じ時間に、
彼は青山のどこかでダンスパーティをしていたのだ。
そんなバックグラウンドが異なる僕たちは不思議に気が合った。
子犬がじゃれるように、毎晩のように東京の街へ。
まだまだバブルの狂乱の数年前、
一部のお洒落な人たちが行く数軒のバーを引き回された。
東京にこんな所があるのかと驚いたものだ。
そんなバーで飲みながら、
彼の鼻歌をペーパーナプキンにいくつか書きとったものだ。
そのうちの一つが『中国女』になった。
彼ほど自分を表現することを好んだ人を他に知らない。
なので人生の最後期にそれが叶わないことがどれほどの苦痛だったのか、
僕には想像もできない。夫人の喜代美さんはそれをよく支えてくださった。
友に代わってお礼を言いたい。
そして最後のレコーディングが大貫さんの曲だったんだなあ。
これも何かの縁だなあ。それにしてもRydeenが悲しい曲に聴こえてきちゃった。
Saravah!
知り合ってまだ間もない無頼派の僕とおフランス趣味の幸宏がなぜか気が合った。
出会ってまだ日が浅いのに幸宏のソロのアレンジを頼まれた。
バブル以前の東京のほんの一角で起こりつつあったファッションや音楽を中心とした新しいライフスタイルを反映しているアルバム。名曲揃いです。
(1978年『Saravah!』収録)
elastic dummy
モロにEW&Fな上に僕の早引きソロ。恥ずかしいねえ。若気の至り。笑 だけど幸宏はとてもこのトラックを喜んで細野さんに聞かせに行った。細野さんはこの幸宏の声質を「鋼の声」と呼んで、YMOでの歌はこの方向でいくことになった。
(1978年『Saravah!』収録)
カーテン
暗いねえ。とてもいい。トラックと歌、全体がうまくいっているなあ。
(1981年『NEUROMANTIC(ロマン神経症)』収録)
Good Time
これも暗いけどとてもロマンティック。いい曲だ。
(1983年『薔薇色の明日』収録)
回想
僕が「中華三昧」というCMに書いた曲。それを幸宏が気に入って歌にした。トラックもいいね。僕も大好きな曲。
(1982年『WHAT, ME WORRY? ボク、大丈夫!!』収録)
バレエ
これも幸宏の暗いロマンティシズムと筋肉の合体。
(1981年 YMO『BGM』収録)
Rydeen
言わずと知れた。
(1979年 YMO『SOLID STATE SURVIVOR』収録)
中国女
「フーマンチュー唱法」これは歌の出だしの歌詞がFu Manchuで、その独特の節回しがYMOでの幸宏の歌のスタイルになったので本人自ら命名した
(1978年 YMO『YELLOW MAGIC ORCHESTRA』収録)
ある晴れた日に
「僕」という言葉がとても甘く響くのが幸宏のセンチメンタリズムの特徴であります。
(1987年 The Beatniks『EXITENTIALIST A GO GO ビートで行こう』収録)
今日の空
ライブではよく見せてくれるギターを抱えての弾き語り、より歌詞がよく聞こえて好きです。ほんとにセンチメンタルだなあ!
(1993年『Heart of Hurt』収録)
<大貫妙子さんの近況>
「今回の放送は坂本龍一さんに代わって、大貫妙子がお届けしています。ここからは私の近況をお話ししていきます。まずコンサートの予定ですけども、コロナの影響もあって、なかなかコンサートができなくて、まぁたくさんのミュージシャンも本当に心待ち、一緒にやることを心待ち……いつやるの、いつやるの、っていつもメールいただいてたんですけど(笑)。で、去年そして今年と、バンド……フルバンドですね。フルバンドっていうかツインドラムに、3キーボードにベースと。それにシーケンサー、それとギターも流しながら、久しぶりにですね、昔の曲をたくさん、聴いていただくことができました。80年代まで、あと90年代もそうですけど、坂本さんにアレンジしていただいたものがすごく多くて、やっぱり基本シンセサイザーというか、そういうものを多用しているんですよね、すごく。そうするとバンドでは、もうその世界がどうしても出せないということで、まあアレンジを変えたりしてやってたんですけど、なんかピーターラビット(「ピーターラビットとわたし」)もカントリーみたいになっちゃったりして、これ違うよねとか(笑)、自分の心の中でちょっとストレスがあったりしてですね。で、今回は、坂本さんのレコーディング時のマルチをうちのマネージャーが倉庫から出して、それをコピーして、コンサートでも一緒に流したんですよね。それがベースになって、それにみんなが乗っかるって形なんですけど、もう久々にそれで本当に70年代80年代の坂本さんがアレンジしてくれた時の楽曲を、もう本当にその音源をその時のまま再現することができて、ああ、もうこの何十年の胸のつかえがやっと取れたっていう(笑)、私もすごい楽しいコンサートだったんですけど。」
「そしてバンドはバンドなんですけど、それとは別にアコースティックのヴァイオリン、弦カル中心としたコンサートもずっと続けてきて、今年もそれを行います。4月には「Pure Acoustic 2023」というコンサートを予定しています。」
「もう札幌はほんっとに、私も札幌に部屋を借りていたことがあるぐらい北海道大好きなんですけど。もうコンサートで伺うことができず、なんと7年ぶりになります。弦のカルテットですけれども、とてもいいメンバーですのでぜひいらしてください。そして福岡もご無沙汰しておりますので、お待ちしています。ぜひいらしてください。それからですね、昨年末に行った東京のコンサートの音源配信を予定してます。通常の2MIXと、空間オーディオ、どちらでもお楽しみいただけます。」
「ではここで1曲聴いてください。一昨年10月27日にレコーディングしたんですけれども、これが幸宏さんにとっての最後のレコーディングになってしまいました。とても残念ですけれども。幸宏さんの体調が、やっぱりその時期ずっと思わしくなくて、だけど音楽っていうのは誰がプレーするかで全く違うものになってしまうので、もう絶対幸宏さんが元気になるのを私は待つと言って、1年半待ってですね、今日は大丈夫そうだ、ということで実現した……叩いてドラムをレコーディングできたという、本当に待ってよかったなという1曲です。本当に幸宏さんのドラムじゃなきゃ駄目なのよ(笑)、何度も言いますけど。幸宏さんありがとう。大貫妙子で「ふたりの星を探そう」。」
<リスナーの皆さんへ、坂本龍一からのメッセージ>
「坂本龍一さんに代わって、大貫妙子がお送りしてきました、J-WAVE レディオ・サカモト。さて、そろそろお終いです。最後に坂本龍一さんから皆さんへ、メッセージをご紹介して、終わりとさせていただきます。」
この番組は2003年に始まったので、今年でちょうど20年。
ずいぶん長寿な番組となりましたが、とうとう最終回となりました。
始めた当初は2ヶ月に1回などという、
ふざけたやり方でいいのかなと思っていましたが、
やり始めると2ヶ月は思ったより早く来てしまうというのが実感でした。
こんなに長くこの番組を続けてこられたのはリスナー方々あってのことです。
本当にありがとう。
オーディション・コーナーにも数えきれない数の投稿をしてくださり、
僕たちはいつも聴くのが楽しみでした。
2014年9月からU-zhaan、長嶋さん、
そして2020年9月から蓮沼さんも加わり、
今の3人のスタイルになりました。長い間ご苦労さま。
そしてコトリンゴさんは、
2006年3月のオーディションにデモテープを送ってくれたんでした。
いやあ育ちましたねえ。
大貫さんをはじめ、
僕の代役としてナヴィゲーター役を引き受けていただいた皆さま、
ありがとうございました。
また、裏で番組を支えてくれたJ-WAVEのスタッフ、
そして台本書きから録音、ディレクション、選曲などなどと、
マルチな活躍をしてくれた中村祥一さん、本当にご苦労さま!
最後に、忘れてならないのは、こんな番組を長年にわたって作らせてくれた、
懐のふかーいJ-WAVEとスポンサー企業のみなさまに大きな感謝を。
それじゃ皆さんまたねー。坂本龍一
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