3 picks
1 From Above : Ben Folds & Nick Hornby
2 Claire's Ninth :Ben Folds & Nick Hornby
丸山繁雄がゲスト
(CBSソニーに入社し、EPICソニーを立ち上げたりしたロック界に多大な影響を与えた実業家、プレーステーションの製造にも関った)
丸山氏
アナログからデジタルへ レコードとCDを両方出さなきゃいけなくなって、そのうちCDだけを売るように仕向けたのは僕ナンかはそうだった。
空気の振動による音楽を楽しんでいた。
20世紀は変わった時代。
ミュージシャンつまりクリエーターは食えたけれど、それに周辺で食っている連中が食えなくなる。
本来はミュージシャンは騒いでなくて、周辺の連中が騒いでいるだけではないか?
佐野
ミュージシャンはどこか、風来坊のようなところがあって、良い音楽を作ることが目的で、良いレコードを作ることが目的じゃないんだ
3 星の下 路の上 : 佐野元春
丸山さんとこの30年間沢山こうやってお話をする機会があったけれど、本当に大切なことは聞けてない。
東京生まれ東京育ち?1941年。ほぼディランの音楽は勿論、60年代、70年代と聴いてこられて
中学生は文学少年、高校になって、運動神経がないのにラグビーを始めて、大学では才能がないので、ラグビーの監督をするようになった。
高度経済成長期
テレビというのはまだ、そんなに家庭には入ってない。自分でしか世界のことは見ることは観ることができなかった。現在はリアルじゃなくてもバーチャルなことで体験できる。僕らの後の団塊の世代はテレビがある。年下の奴の方が情報が多くて、年上の僕らの方が知らない。何となく年下から馬鹿にされた世代。だからぼんやりした世代だと思う
それがある程度追いついたのは、39くらいだったかもしれない。
たまたま大学の専攻がマーケティングという言葉が出始めたことで、そういう言葉が格好良いということもあってね、そういう理由から専攻した。同じ宣伝をするんであったらクライアントが
出来たばかりのCBSソニーに入って。全員社会人経験者で立ち上げた会社で、その時にソニーが「集まれ」といって人を集めて作った。
営業でレコードを売っていた。
当時の給料はそんなに高いわけでもないが、初めて親から独立して仙台で暮らしていて、当時は新幹線も無い時代。汽車を乗り継いで、その町のレコード店にレコードを売り渡り歩いた。
4 The Boxer : Simon & Garfunkel
僕らはサラリーマンではあったけれど、たまたまゲームをやることができた。
新しいルールを作って
香港に支社を作れということで、香港に行った。
あの頃も今もあんまり変わらず。
A面サイモン&ガーファンクル B面ビートルズというレコードが平然と売られていた。
日本は合法的にしなきゃいけないという合意事項があるけれど
日本以外のアジア諸国はみなさん勝手なことをおやりになって合意が出来ないよね。
1970年から現在に至るまであんまり状況は変わっていないよね。
2年間香港、それから東京に戻って、邦楽のプロデュースをしなさいということで、そうして佐野さんのことも関るようになった。偶然と言われた叱られちゃうけれど、カラーテレビが作られて家庭に入っていって、そのカラーテレビに一番売れるものというのはアイドルタレントで、三ミュージックというのはそれにとても当てはまったので、最初の頃それでとても伸びちゃったんだよね。
5 ハートのイヤリング:松田聖子
キャンディーズ、山口百恵、松田聖子、郷ひろみ といった流れ
メインストリームとそれに対抗するものがあったんですか?
演歌という大人の音楽に対して、若者の音楽のフォークが出始めましたね。吉田拓郎さんを筆頭とするフォークとアイドルとが殆ど同時ですよね出てきたのが。
レコードレベルで売るのはフォークとか関係なかったのですか?
いや、ファンが全然違って、演歌、アイドル、フォーク、洋楽を聞くというのは聴く層が違っていた。
シンガーとシンガーソングライターが口コミで売れていった。
メジャーなものが声をかけて、宣伝費を掛けて
レコード会社が青田買いして、僕らが売れる前に声を掛けてスタートする。
ファンがついて来ると、芸プロが声をかけてきて、そのジャンルが膨らむ。するとファンが広がる。
佐野
ソニーというのはメジャーカンパニーの中では、積極的に、ミュージシャン達にも発掘して、って印象があるんですが
丸山
レーベルに所属していた社員のような作曲家・作詞家が居ないソニーは、たまたまシンガーソングライターの時代になったから、他のものに比べて早くシンガーソングライターと一緒に仕事をするようになったんで、そうした風になったんだよね。
6 朝が来るまで君を探している : 佐野元春
イントロがアリスの「今はもう誰も」かと思う始まりでした。
来週も引き続き丸山繁雄さんをゲストにお迎えします。
1 From Above : Ben Folds & Nick Hornby
2 Claire's Ninth :Ben Folds & Nick Hornby
丸山繁雄がゲスト
(CBSソニーに入社し、EPICソニーを立ち上げたりしたロック界に多大な影響を与えた実業家、プレーステーションの製造にも関った)
丸山氏
アナログからデジタルへ レコードとCDを両方出さなきゃいけなくなって、そのうちCDだけを売るように仕向けたのは僕ナンかはそうだった。
空気の振動による音楽を楽しんでいた。
20世紀は変わった時代。
ミュージシャンつまりクリエーターは食えたけれど、それに周辺で食っている連中が食えなくなる。
本来はミュージシャンは騒いでなくて、周辺の連中が騒いでいるだけではないか?
佐野
ミュージシャンはどこか、風来坊のようなところがあって、良い音楽を作ることが目的で、良いレコードを作ることが目的じゃないんだ
3 星の下 路の上 : 佐野元春
丸山さんとこの30年間沢山こうやってお話をする機会があったけれど、本当に大切なことは聞けてない。
東京生まれ東京育ち?1941年。ほぼディランの音楽は勿論、60年代、70年代と聴いてこられて
中学生は文学少年、高校になって、運動神経がないのにラグビーを始めて、大学では才能がないので、ラグビーの監督をするようになった。
高度経済成長期
テレビというのはまだ、そんなに家庭には入ってない。自分でしか世界のことは見ることは観ることができなかった。現在はリアルじゃなくてもバーチャルなことで体験できる。僕らの後の団塊の世代はテレビがある。年下の奴の方が情報が多くて、年上の僕らの方が知らない。何となく年下から馬鹿にされた世代。だからぼんやりした世代だと思う
それがある程度追いついたのは、39くらいだったかもしれない。
たまたま大学の専攻がマーケティングという言葉が出始めたことで、そういう言葉が格好良いということもあってね、そういう理由から専攻した。同じ宣伝をするんであったらクライアントが
出来たばかりのCBSソニーに入って。全員社会人経験者で立ち上げた会社で、その時にソニーが「集まれ」といって人を集めて作った。
営業でレコードを売っていた。
当時の給料はそんなに高いわけでもないが、初めて親から独立して仙台で暮らしていて、当時は新幹線も無い時代。汽車を乗り継いで、その町のレコード店にレコードを売り渡り歩いた。
4 The Boxer : Simon & Garfunkel
僕らはサラリーマンではあったけれど、たまたまゲームをやることができた。
新しいルールを作って
香港に支社を作れということで、香港に行った。
あの頃も今もあんまり変わらず。
A面サイモン&ガーファンクル B面ビートルズというレコードが平然と売られていた。
日本は合法的にしなきゃいけないという合意事項があるけれど
日本以外のアジア諸国はみなさん勝手なことをおやりになって合意が出来ないよね。
1970年から現在に至るまであんまり状況は変わっていないよね。
2年間香港、それから東京に戻って、邦楽のプロデュースをしなさいということで、そうして佐野さんのことも関るようになった。偶然と言われた叱られちゃうけれど、カラーテレビが作られて家庭に入っていって、そのカラーテレビに一番売れるものというのはアイドルタレントで、三ミュージックというのはそれにとても当てはまったので、最初の頃それでとても伸びちゃったんだよね。
5 ハートのイヤリング:松田聖子
キャンディーズ、山口百恵、松田聖子、郷ひろみ といった流れ
メインストリームとそれに対抗するものがあったんですか?
演歌という大人の音楽に対して、若者の音楽のフォークが出始めましたね。吉田拓郎さんを筆頭とするフォークとアイドルとが殆ど同時ですよね出てきたのが。
レコードレベルで売るのはフォークとか関係なかったのですか?
いや、ファンが全然違って、演歌、アイドル、フォーク、洋楽を聞くというのは聴く層が違っていた。
シンガーとシンガーソングライターが口コミで売れていった。
メジャーなものが声をかけて、宣伝費を掛けて
レコード会社が青田買いして、僕らが売れる前に声を掛けてスタートする。
ファンがついて来ると、芸プロが声をかけてきて、そのジャンルが膨らむ。するとファンが広がる。
佐野
ソニーというのはメジャーカンパニーの中では、積極的に、ミュージシャン達にも発掘して、って印象があるんですが
丸山
レーベルに所属していた社員のような作曲家・作詞家が居ないソニーは、たまたまシンガーソングライターの時代になったから、他のものに比べて早くシンガーソングライターと一緒に仕事をするようになったんで、そうした風になったんだよね。
6 朝が来るまで君を探している : 佐野元春
イントロがアリスの「今はもう誰も」かと思う始まりでした。
来週も引き続き丸山繁雄さんをゲストにお迎えします。
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