高校三年の時、態度はあまり良くなかったが真面目な生徒だったオジサンが、三日連続で学校をサボタージュしたことかあった。
同じクラスだったオバサンへの片想いで辛い日々を送っていた時期に、後の席に座っていた女生徒が「彼女はI君が好きなのよ」と誰かに囁くのを耳にし大きな衝撃を受けた。
実はこれはガセネタだったのだが、その時は知るよしもない。
その夜から、モンモンとして眠れぬ夜を過ごし、学校などどうでもよくなり、三日三晩布団の上で七転八倒しながらのた打ち回っていた。
その地獄のような苦しみから何とか脱却し「相手がどうであろうと自分の気持ちは変わらない」という悟りに近い心境に落ち着いた三日目の午後、担任のY先生が自転車で訪ねて来られた。
休んでいる理由について特に問い質すこともなく「このような会社から求人が来ているので受験してみないか」と受験申込書を持って来てくれたのだった。
進路は「進学希望」だったのだが、「経済的に苦しいのではないか」と先生は判断されていたようだ。
結局は、その会社に40年近く勤めることになったのだから、人生の岐路というのは何処に転がっているか判らない。
この時の「恩返し」の気持ちで、卒業後クラス会の幹事を務めている。
(以下明日に続く)
ビニールを外し、骨組みだけとなった3~5号のハウス。今日の雨でかなりの水を吸うことができた。
奥には「竹の秋」を迎えた竹林が見える。
同じクラスだったオバサンへの片想いで辛い日々を送っていた時期に、後の席に座っていた女生徒が「彼女はI君が好きなのよ」と誰かに囁くのを耳にし大きな衝撃を受けた。
実はこれはガセネタだったのだが、その時は知るよしもない。
その夜から、モンモンとして眠れぬ夜を過ごし、学校などどうでもよくなり、三日三晩布団の上で七転八倒しながらのた打ち回っていた。
その地獄のような苦しみから何とか脱却し「相手がどうであろうと自分の気持ちは変わらない」という悟りに近い心境に落ち着いた三日目の午後、担任のY先生が自転車で訪ねて来られた。
休んでいる理由について特に問い質すこともなく「このような会社から求人が来ているので受験してみないか」と受験申込書を持って来てくれたのだった。
進路は「進学希望」だったのだが、「経済的に苦しいのではないか」と先生は判断されていたようだ。
結局は、その会社に40年近く勤めることになったのだから、人生の岐路というのは何処に転がっているか判らない。
この時の「恩返し」の気持ちで、卒業後クラス会の幹事を務めている。
(以下明日に続く)
ビニールを外し、骨組みだけとなった3~5号のハウス。今日の雨でかなりの水を吸うことができた。
奥には「竹の秋」を迎えた竹林が見える。